セーフティネット

 社会福祉を考える上で、まず問題となるのが「セーフティネット」です。

 セーフティネットとは、個人や企業が、失業や倒産などで経済的な危機に直面し、最悪の事態に陥った時、保護する仕組みのことです。『サーカスの綱渡りで万が一落下してしまった時でも、命を守るために張られたネット』に例えられます。このセーフティネットが存在することで、リスクをとったチャレンジができるのです。

 参考

 では、どこまでが正当で、どこからが過度なのでしょうか。幸福の科学大川隆法総裁は、セーフティネットの限度を示しつつ、次のように指摘しています。

 「国が面倒を見るべきなのは、やはり身寄りのない方々です。身寄りのない方々で、かつ自己責任でなくそうなったような人たちです。例えば、事故や災害で身寄りを亡くしたりした人たちは、やはり何とかしなければいけないと思いますが、意図的に老後の備えをしなかった人が全面的に国家の支援を受けるというのは、やはり少し過ぎているのではないかと思います。(中略) やはり、家族というのが基本的には最終的なセーフティネットだと思うのです。」(法話「国家経済と人間の自由」質疑応答)

 家族の絆がセーフティネットになり、膨らみ続ける福祉に対する歯止めの役割を果たすのです。

 

福祉の目的は「霊的人生観」から考えなくてはいけない

 なぜ福祉は抑制的でなければいけないのでしょうか。それは「人間はあの世からこの世に生まれ変わり、智慧を獲得する」という人生の目的にあります。その智慧は、自助努力を重ね、人生の苦難困難を乗り越えていく中で、教訓として獲得されるものです。また、人生の目的は、突き詰めると、「人間とは何か」という人間観につながっていきます。

  この人間観について、大川隆法総裁は次のように述べています。

仏教においては、その根本に、仏性思想を中心とする、もっと力強い人間像があります。(中略)みずからの手で、みずからを救っていく、あるいは人間はすでに救われているのだという肯定的な考え方があると言えるのです。」(『釈迦の本心』)

 これは、人間はか弱い存在なので、社会保障を手厚くし、今すぐに救ってあげないといけないという従来の福祉が示す人間観と真逆です。人間とは本来、神仏と同じ性質を宿す力強い存在なのです。

 従来の福祉は、政府が国民の面倒をみるという「大きな政府」の考え方に基づきます。大きな政府は、マルクス主義に基づく唯物論の影響を強く受けており、人間を不幸にする考え方です。

 マルクス主義から出てくる考え方は、人間はモノや機械、良くてもせいぜい動物と同じというものです。こうなれば、地上の命が絶対的に大事になり、この世で生きながら得ることが最優先になってしまいます。当然、そこにはあの世へ智慧を持って還るという考えもありません。

 

福祉国家ではお金持ちも貧乏人も幸福になれない

 一人ひとりの幸福という観点から見ると、「霊的人生観」に基づく福祉は大切ですが、「全体的な幸福」という観点から見ても、同じことが言えます。富裕層から強制的に資産を奪い、貧しい人たちに配分すれば、資産を奪われる方、再配分される方、どちらにとっても、大きな政府に生殺与奪の権を握られるようになるからです。

 経済学者のハイエクは著書『隷属への道』で、人々の経済的な自由を制限する福祉国家は、全体主義へとゆっくり向かい、国民の自由が失われていくと述べています。

 個人においても、国家においても、お金持ちから奪い続けて所得再配分を行う巨大な福祉国家では、幸福な人は誰も生まれないのです。

 

本人の意志と祈りの力

 「社会福祉」と言われているものについては、単にお金と人さえ導入すれば解決すると思われているようです。

 しかし、そうでないところがあります。宗教的な意味で言えば、本人の意志と周りの人の祈りや励ましなどという霊的な力、愛の力、あるいはチームを組んだ人たちの念い の力というものが人々を変え救っていきます。この力は相当強いものなのです。

 その人たちを駄目にしていくのであれば、それは悪いことなのです。自分でできる範囲を、少しずつ、少しずつ広げて、良くなっていかないと福祉は駄目だということです。