人口容量

 「人口容量」とは、「その国や社会が養うことのできる人口」のことです。

参考

 人口学に詳しいある専門家によると、人口増加を実現するうえで、「人口容量」という考え方がカギになるそうです。人類の歴史を振り返ると、飛躍的に人口が拡大する時期があり、それは、その文明が受け入れられる人口の上限(人口容量)が引き上げられた時期だという説があります。

 人口減少の流れを推し留めるために、これまで様々な少子化対策が行われてきました。「出産や育児への支援を強化すべきだ」という意見には、確かに正当性があるように思えます。だが、こうした政策だけで実際に人口が増えることはほとんど期待できません。なぜなら、人口が増減する背景には、「人口容量」という、もっと大きな要因が関わっているからです。

 人類の長い歴史を振り返って見ると、人口の増減と文明の進展には明らかに相関性があります。「人口容量」とは、さまざまな文明のなかで生きられる人口の上限を意味しています。この壁にぶつかると、人口は必ず減っていくのです。

 現在の日本では、食糧や資源の自給率が低いため、科学技術を取り入れただけでは7500万人くらいしか生きられません。その上に約5000万人を上乗せできているのは、資源・エネルギーを輸入して高付加価値の製品を作り、それを輸出した収益で食糧や資源を購入するという「加工貿易」システムを生み出しているからです。

 したがって、現在の1億2800万人の「人口容量」を支えている主な要素とは、西欧から導入した「科学技術」企業が中心となって富を増やす「市場経済システム」、そして世界中と取引する「グローバル化」の3つと考えます。

 しかし、人口はすでに減少に向かっています。現在の「人口容量」を支えている、この3要素のいずれもが限界を迎えているからです。

 現在の科学技術を支えているエネルギーは石油に代表される化石燃料ですが、これは今後不足して、価格が高騰するのはほぼ確実です。食糧にしても、かつての中国のように輸出していた国がどんどん減っているので、食物の価格は上がっていくでしょう。

 さらに、これまでの日本は、グローバル化のおかげで工業製品を他の国々に輸出してきましたが、21世紀に入ると、そのグローバル化が逆に日本経済を縛り始めています。世界中に工業国が増加していますから、さまざまな工業製品は安くなり、それが大量に輸入されて、デフレに苦しむようになっています。

 日本の場合、人口容量を決める、これら3条件に縛られています。これを変えることができなければ、しばらくの間、人口は減少していくでしょう。

 

 「人口容量」の内容を具体的に言うと、「食糧」「居住環境」「所得」「時間と空間の自由度」などで構成される生活の全体、いいかえれば「生活水準」ということができます。

 社会全体の豊かさや自由度がまだまだ伸びている時代であれば、人口を増やしつつ生活水準を保つことが可能だったのですが、もはや伸びない時代になると、家族単位でも、子供を産めばその分だけ一人当たりの生活水準は下がるようになります。そうなると、一人ひとりは意識していなくとも、誰もが自分の生活水準を維持する方向に動きます。子供を産むより、夫婦の生活水準を優先します。これが今、大きな流れとなって、日本の人口を減らそうとしています。

 その意味では、一人当たりの生活水準を向上させる少子化対策は、一見有効なように見えます。しかし、社会が停滞している状態で、政府の力で生活水準を上げるのは無理な話です。人口容量が伸びなければ、税収も伸びません。政府が借金を重ねれば、将来の税金が高くなりますから、子供を産む人は逆に減っていきます。実際、他の先進国でも様々な対策を講じていますが、劇的な効果は得られていないのが実情です。安易な解決策ではいけないのです。

 日本の人口減少については、生活基盤の貧弱さが大きな原因となっています。「広くて安い住宅」の供給や、「塾に頼らない公立学校」の復活などを通じて、日本の人口容量を一気に引き上げたいと考えています。  

 住環境と教育環境の充実は、いずれも規制緩和・撤廃が不可欠です。土地売買・利用、建築規制の緩和によって、細分化されてしまっている土地を集約して高層ビル化し、広くて安い住宅を供給します。

 教育についても、教員免許のない社会人が教壇に立てるようにしたり、塾を学校として認めるなどして、参入の壁を低くし、教育負担を引き下げます。  

 こうした文明基盤や生活基盤を充実させたうえで、少子化対策として一般的な子育て支援を手厚くすることで、人口増加が可能となります。こうして、人口が増えても大丈夫な器を創ることができてはじめて、対症療法的な少子化対策が効くことになるのです。