そもそも年金制度は制定されるべきではなかった?

 いきなり厳しい言葉です。年金制度は1880年代にドイツで導入されたものだが、日本が本格的に採り入れたのは戦後になってからです。ここで押さえておきたい単純な事実は、人類はこの数千年の歴史のほとんどの期間を、年金制度なしに生きてきたということ。

 これまでは、まず家族による生活保障があり、次に地域による扶助があり、さらに宗教による救済があった。それでも救えない層について、ようやく国が面倒を見るというのが基本スタイルなのです。

 ミルトン・フリードマン(1912~2006)は、1980年に代表的著書『選択の自由』で、「公的年金制度の廃止」を真正面から論じている。

 「現行の福祉政策の大半は、そもそも制定されるべきではなかった。制定さえされなかったならば、今ではこれらの政策に依存しなくてはならなくなっている人びとの多くが、国による被保護者となるのではなく、自立している個人であったはずだ」

 なぜ年金廃止を訴えたのか。それは意外にも「人道的ではない」という理由からです。

 社会保障とは「若い世代から年老いた世代への所得の強制的な移転を意味している」。昔は、これを親子・親族で行ってきた。この家族による社会保障は、「人びとの自発的意思」に基づいて、「親身に」行われてきた。「子供が両親を助けるのは義務からでなくて、愛情から」だった。しかし、国による社会保障は、「若い世代は、強制と恐れのために誰か他人の両親を扶養するため、献金をさせられている」という。つまり、「強制的・非人格的・非効率・非人道的」であるから、公的年金制度は廃止すべきだと言うのである。

 今、「年金制度はやめるべきだ」などと言おうものなら、「非人道的だ」と言われかねない。フリードマンは、まったく逆の意味で非人道的だと主張した。公的年金制度は、せいぜいこの2~3世代の文明実験であったわけで、「年金がなければ生きていけない」というのは一種の思い込みであると言う。

参考

 現在の年金制度が定着することで日本の社会がどのように変容したのでしょうか。

 家族の支え合いの必要が減るので子供を産む必要がなくなる
   ↓
 少子化の進行で社会保障の負担が増える
   ↓
 財政赤字が深刻化し、増税圧力が常にかかる
   ↓
 投資や消費が減って経済成長が鈍化
   ↓
 政府への依存心が増し、親孝行の美徳も失われた

年金は大丈夫? これからの年金

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