同一労働・同一賃金

「同一労働・同一賃金」

 「同一の職種に従事する労働者には、同一の賃金が支払われるべき」という考え方です。性別、雇用形態(正社員、非正規社員など)、人種、宗教、国籍などの違いに関係なく、同じ仕事をしていたなら同じ賃金を払うべきだということです。Fotolia_27021068_XS

 確かに、同じような能力で同じように努力しているのに、男性より女性の給料が低い場合は不条理でしょう。ただし、「同一労働」の「同一」というのを、誰がどのように決めるかというのが最大の課題です。たとえば、スーパーで働いているパートのおばさんの仕事ぶりは、経験や能力でそれぞれ違います。各店舗の店長や管理職が、パートのおばさんたちの仕事を見ていますから、仕事ぶりによって時給に差をつけます。その場合、「同一労働・同一賃金」は分かりやすい。しかし、これを日本全体に当てはめようとすると難しい問題があります。正社員と非正規社員、フルタイムとパートタイムで、その仕事ぶりを見て現場が給与水準を判断するのはよいですが、政府が「雇用形態にかかわらず、みんな同じにしなさい」と言うのは問題です

 賃金は労働の価格ともいえますので、労働市場における労働への需要と供給で決まります。自由主義市場において、商品やサービスの価格を政府が決めるのがおかしいのと同じで、労働の対価である賃金は政府が決めるべきものではありません

 ひとことで「専門職」とか「職人」といっても、本人のスキルは全然違うわけですから、全国一律の水準を当てはめることはできません。

 ゲーリ・ベッカーという経済学者は、経済において人を資本とみなす「人的資本」という考え方を提唱し、「人的資本」を向上させるのは教育が大事であると主張した方です。同じ1時間の仕事でも、教育を受けている人とそうでない人は違うため、「格差が出て当たり前だ」と言っています。

 彼は労働に関するスキルには2種類あると述べています。

 一つは「スペシャルスキル」です。これは、その会社だけで役に立つスキルです。いわゆる「阿吽の呼吸」のようなものです。たとえば、大企業にはベテランの社長秘書がいて、社長が「アイツを呼べ」と言ったら、個人名を言わなくても「アイツ」が誰だか分かるわけです。

 それはその会社でしか通用しないスキルではありますが、社長にとっては余人をもって代えがたいものです。別の会社で同じような仕事をしていたからといってすぐに代わりはきかないのです。

 もう一つは「ゼネラルスキル」といって、どの会社でも役立つスキルのことです。税理士や弁護士など、一定の知識が要求される定型化されたスキルです。もちろん、スペシャルスキルも備えた税理士や弁護士もいますが、ここでは、学校を卒業し、一定の資格をとれば得られるスキルのことを指すと考えてください。

 この二つのスキルのうち、実社会では「スペシャルスキル」の方が大切で、付加価値を生むことが多いわけです。たとえば、料理学校で料理の基礎知識を身に着けただけでは、「ゼネラルスキル」を得た段階ですが、これでは 3つ星レストランのシェフは務まりません。本当に高度な仕事は「スペシャルスキル」がないとできません。

 つまり、「同一労働・同一賃金」は、「ゼネラルスキル」の部分については可能ですが、「スペシャルスキル」の部分については、何をもって「同一」とみなすかという問題が出てくるのです。

 この部分は、各労働市場で決めるべきもので、政府では決して決められないのです。

 もう一つ例を挙げれば、一流ホテルのボーイは、1000万円の年収をもらっている人もいます。そのホテルの何百人もの顧客情報を頭に入れているボーイは、そのホテルにとっては大きな付加価値を生むからです。ただ、別のホテルに行ったら、ゼロから顧客情報を頭に入れ直さなくてはならず、しばらくは1000万円分の仕事はできません。

 ここについて、政府が介入する余地は一切ありません。もし口を挟むのだとしたら、共産主義的発想そのものです。

 「同一労働・同一賃金」のような議論が出てきたのは、派遣社員の不公平感についての是正の部分が大きいかもしれませんが、もともとのルーツはなんでしょうか? 

鈴木真実哉氏: 国連の専門機関である国際労働機関(ILO)や世界人権宣言で、「同一労働・同一賃金」を推奨しています。ここがルーツでしょう。

 ILO憲章の前文では「同一価値の労働に対する同一報酬の原則の承認」という言葉があります。「世界人権宣言」第23条には「すべて人は、いかなる差別をも受けることなく、同等の勤労に対し、同等の報酬を受ける権利を有する」とあります。これらは、経済・経営のことをまったく理解していない人たちがつくった内容といえます。

 ヨーロッパでは「同一価値・同一賃金」が一般的だと言っていますが、これは人権保障の観点から行われていることです。性別など個人の意思や努力で変えられない属性を理由とした賃金差別を正すということが原則だといっているのです。

 確かに、性別、人種、民族、宗教とか、個人の努力で変えられないものによって差をつけるのは問題があります。ヨーロッパは異なる民族間で賃金格差がありますし、キリスト教徒よりもイスラム教徒の方が賃金が低い傾向があります。

 アメリカでも、性差別、人種差別、年齢差別をしてはいけないという雇用平等法制はあります。でも、正社員と非正規社員など雇用形態が異なったら給与を同じにしなくてはいけないというような法律はありません。

 そもそもヨーロッパの経済はうまくいっていませんから、そこで行われている「同一労働・同一賃金」を導入すべきだという議論はナンセンスではないでしょうか。現在、自民党などが具体的な立法に向けて検討を始めていますが、うまくいかないでしょう。各国の賃金体系は伝統と歴史の中で作られてきたわけですから、国連などが口を挟むべき問題ではありません。日本のような自由主義国では、賃金は政府が一律に決めるものではなく、会社と従業員の間で決めるべきです。「契約自由の原則」です。

 もし、法整備が進むとすれば、誰が「同一」であるかどうかを決めるのかも問題になります。労働基準監督署でしょうか。それとも別の組織をつくるのでしょうか。また、無駄が生まれます。

 なお、「同一労働・同一賃金」を導入しようとしたときに最初に反対したのは労働組合です。労働組合のメンバーはフルタイム労働者です。「同一労働・同一賃金」にすれば、正社員の給与が下がり、非正規雇用者の給与があがることになるので、自分たちの取り分が減ってしまうからです。すなわち、「貧しさの下の平等」が実現する方向にいきますので、この考え方の「正体」は社会主義政策といえます。

  正社員の給与が高く、非正規雇用の給与が低いなら、非正規雇用者が正社員になろうとして努力することが大事であって、みんな同じにしようというのは正義ではありません。

 むしろ、正社員が守られすぎている点を正して、「チャンスの平等」を実現すべきでしょう

  市場原理をゆがめる「同一労働・同一賃金」の導入は、日本経済をもっと弱体化させてしまいます。

 参考

「パレートの法則」

マルクスの政治思想は誤り

「同一労働・同一賃金」で日本経済は低迷する

 たしかに、非正規社員を中心に待遇の改善への期待の声もある。だが、実際に「同一労働同一賃金」が実現すれば、雇用は減り、日本経済は低迷してしまうでしょう。

 というのは、正社員の賃金は引き下げないことを前提にしているため、企業の人件費は増える。企業の側が人件費を増やせない状況であれば、雇用する人数を減らすしかない。また、投資に使えるお金も減るため、設備の整備や研究開発が進まない。

 新たな事業を始めたり、新商品を開発しづらくなれば、自由競争の中で勝ち残れない企業も出るでしょう。そうなれば、雇用そのものを失うことになる。

 

「分配」すれば「成長」する?

 そのキーワードが「成長と分配の好循環」である。

 例えば、「同一労働・同一賃金の実現」、「最低賃金の引き上げ」など、政府が労働賃金に口を出す政策が盛り込まれている。企業から労働者にお金を「分配」することで、消費が増え、経済が「成長」するという意図である。まず、「同一労働・同一賃金」や「最低賃金の引き上げ」を進めれば、人件費が上がる。すると、企業は雇用に慎重にならざるを得なくなる。こうして失業者が増えれば、それこそ景気が悪くなる。

 また、バラマキをするために徴収される税金も、どこかで消費や投資を減らしている。2015年にマイナス成長が続いたのも、個人消費が弱かったからです。消費税率の引き上げが影響しているのは明らかです。

 好循環を止めているは「分配」の不足ではない。個人消費や企業の活動を阻む税金なのです。

 参考

富の「分散」から「集中」へ

 経営学者のドラッカー(1909年~2005年)は、『ポスト資本主義社会』でマルクス主義にもとづく福祉国家の終わりについて以下のように述べておられました。

 「経済システムとしての共産主義は崩壊した。共産主義は富を創造する代わりに、貧困を創造した」

 「信仰としてのマルクス主義が崩壊したことは、社会による救済という信仰の終わりを意味した」

 福祉国家は、「社会による救済という信仰」にもとづくもので、それが終わったということになる。各党とも「信仰」をもう捨てるしかない。では、そのあとはどうすればよいのでしようか。

 ドラッカーは、『断絶の時代』で以下のように述べておられます。

 「福祉国家は、優先度を決めることができない。それは膨大な資源を集中させることができないということであり。したがって何も実行できないことになる」

 優先度を決め、膨大な資源を集中させることが、福祉国家の次の政府のあり方ということになりそうです。

 幸福の科学大川隆法総裁は、政府のお金の使い方について、『Think Big!』で以下のように指摘しておられます。

「資本主義の原理は、基本的には『富の集中』です。それぞれの人がバラバラに十万円ずつ使ってもたいしたことはありませんが、お金を、数億円、数十億円、数百億円と集めたら、大きな仕事ができるようになります

 共産主義の原理を私はよく批判していますが、共産主義の下での平等主義は、『富を分割し、分散して、すべてを同じ状態にする』というものです

ただ、そういう『富の分散』は、それ以上のものを生みません。支給したもの以外の価値を生まないのです。しかし、富を集中すると、実は、大きな仕事ができるようになります。そのことを知らなくてはいけません」

参考

部下に仕事と権限を与える

 部下に権限を与え、ひとつの分野の仕事を思い切って任せてしまうことも大切です。日本企業では、上司が抱えている仕事の一部を部下が手伝うスタイルが一般的ですが、これだと何度も打ち合わせが必要になり、お互いに時間を取られます。部下も指示がなければ動けず、なかなか独り立ちできません。結局、「上司の自分がやった方が早い」となるのは当たり前です。

 上司は判断に徹し、空いた時間で、将来の発展につながる「緊急度は低いが重要な仕事」に取り組み、成果を出すべきです。

 「同一労働・同一賃金」などという議論が出てくるのも、正社員がパート社員と同じ仕事をしていて、新たな付加価値を生んでいないからだと思います。

 

仕事の付加価値は単純に測れない

 仕事の内容によっては、同じ内容であっても、生み出される付加価値を単純に測ることはできない。例えば、サービス産業においては、仕草や表情、言葉をかけるタイミングが違っただけで大きな差が出ることもある。同じ仕事内容だから同じ賃金というのはあまりにも大雑把です。

 もちろん、熟練度も判断能力も生み出す価値も、全く変わらないのに賃金に差があるのなら改善すべきでしょうが、それは国が命令することではない

 

善意に燃えた人々が全体主義への道を準備した

 政府が企業の経営に口を出すことは、「全体主義への道」でもある。経済学者のフリードリヒ・ハイエクは、著書『隷属への道』で、経済的な統制や計画化が、果ては独裁や全体主義に行き着く危険性を指摘している。序文には以下のような言葉がある。「起こりうる最大の悲劇とは、ドイツの例をとれば、善意に燃えた人々、民主主義国でも尊敬され、お手本とされた人たちこそが、実際に創り出したわけではないにせよ、全体主義への道を準備し、推し進める諸要因を生みだす基礎を作った、ということである」(『隷属への道』より)

 「同一労働同一賃金」の提言は、非正規雇用の人々が不公平感を感じないようにという善意からのものかもしれない。たとえそうであっても、全体主義を生み出してしまうことがある。もちろん、この提言だけで全体主義になるわけではないが、企業の経済活動に制限をかけたり命令することは、そこへつながる道のひとつです。

 「格差は悪」という考えに基づく方法とは別の道を考えていくべきです。ビジネスで成功する人が出ることで、景気も良くなり、新たな雇用も生まれる。成功者を祝福し、景気自体をよくしていこうとする姿勢が、政府にも民間にも必要なのではないでしょうか。

 参考

 政府が企業の労働時間や賃金などの決定に口を出すことは、本来、資本主義社会では差し控えられるべきもの。介入は、「結果平等」を求める共産主義の思想につながりかねないからです。

 賃金の引き上げについて、大川隆法総裁は、著書『危機に立つ日本』のなかで次のように述べておられます。

「(最低賃金の引き上げのような)そういう底上げをすることは、非常に優しくて、良いことのように思うかもしれませんが、賃金が上がれば、企業は人を採用しなくなるだけのことです。企業に雇用を義務付けることなどできません。賃金が高ければ人を雇わなくなるので、失業者は減らないでしょう」

 

総人件費の増加でリストラされる危険も

 首相の狙いの一つとして、消費の冷え込みからの脱却がある。既に行っている正規雇用の賃上げに続いて、非正規雇用の待遇を改善することで、消費を増やしたいということである。

 しかし、政府の命令で賃金や待遇を改善したとしても、総人件費の増加につながり、リストラによるコストカットで失業者が増えて景気が悪化する可能性もある。しかも、人件費増加で会社が潰れても政府は責任をとってはくれない。

 もう一つの狙いは「格差是正」である。非正規雇用の正規雇用に対する賃金比率が7割~9割である欧州に対して、日本は6割弱と差がある。政府はこの格差を縮めようとしているが、格差を悪と決めつけて他国を真似しても、根本的な解決にはつながらない。

 マルクス主義的な労働価値説や「格差=悪」といった考え方に基づく「命令経済」はもうやめるべきです。消費税や規制、政府の介入といった経済発展を妨げるハードルを取り払い、自由な経済活動ができる環境をつくることこそ、経済発展につながる政府の仕事です。

働き方改革 へ

「仏法真理」へ戻る