福祉国家は持続不可能

イギリス病にかかる日本

 このままでは日本は、大変な「重税国家」になってしまう。

 幸福の科学大川隆法総裁は、法話「未来創造学入門」で税と社会保障の一体改革について「イギリス病のようなものにかかることを意味している」と指摘した。

 イギリスは1970年代に、所得税の最高税率が83%、株や相続など不労所得の最高税率が98%に達した。貴族階級など大資産家は節税を徹底したが、優秀な学者や技術者などの中流階級はアメリカなど海外へ逃げ出した。

 今ならフランスから富裕層が逃げ出している。オランド政権が2014年から所得1億円以上の人への所得税を41%から75%に引き上げる。

 日本もかつてのイギリス、今のフランスの後を追っている。安倍政権は2015年1月から、所得税の最高税率を40%から45%に引き上げる。住民税を合わせると55%で「五公五民」を超える。日本の高所得者は、社会保険料も合わせれば所得の7割を取られている。スイスの11.5%、ロシアの13%パーセント、香港の15%など各国が引き下げ競争を展開する中、日本はなぜか逆を向いている。

 同時に相続税も最高税率を50%から55%に引き上げられる。これもスイスやオーストラリア、ニュージーランドなど多くの国が相続税をゼロパーセントとする中、突出した高さである。財務省は、家計の金融資産1500兆円の6割を持つ60歳以上に狙いを定めている。

 マルクス、エンゲルスの「共産党宣言」は強度の累進課税や相続権の廃止をうたい、資産家を敵視したが、それが緩やかに日本で実行されようとしているということでしょう。

 富裕層を追い詰める仕掛けは、今後いくつも用意されている。

 マイナンバー制(共通番号制)が2016年から導入された。納税実績や社会保障給付などを一つの番号で管理し、国民の所得を正確につかむのだという。

 加えて2013年12月から、海外に5000万円以上の資産がある人はその内容を国税庁に提出することを義務付けられた。株式、預金、保険、不動産などすべての国外財産について報告しなければならない。

 これだけ個人資産が丸裸にされると、スウェーデンの徴税の仕組みに極めて近くなる。スウェーデンでは、個人の所得に関する情報を一般にも公開しており、国税庁に電話すれば誰でも、赤の他人の所得額を教えてもらえる。その目的は、「分不相応に外から見える派手な暮らしをしている人がいたら密告させる」ことにある。国民同士で見張らせる「監視社会」ができ、富める者からどんどん税金をむしり取っていこうとしている。

 日本もこれに近づいており、それに対し逃げ場を求め、相続や贈与にあたって子供や孫に日本国籍を捨てさせるケースまで出てきている。日本はすでにイギリス病にかかっているかもしれない。

 

ソ連は国家規模の「姥捨て山」だった

 イギリスは戦後「ゆりかごから墓場まで」のスローガンの下、「どんな仕事や生活をしていようが政府がすべて面倒を見る社会」を実現しようとした。それを後にひっくり返したサッチャー首相は当時を回顧し、「労働と自助努力を尊ぶ気持ちに代わり、怠惰とごまかしを奨励するねじ曲がった風潮をもたらした」と述べている。つまり、「怠け者」を大量に生んだのです。

 単なる怠け者ならばいいが、国民が物乞いのような発想になれば、ペットのように政府に飼いならされるだけの存在になってしまう。そこまでいけば、政府に依存しなければ生きていけなくなる。それが世界で初めての社会主義国・ソ連で起こったことなのです。

 1922年に成立したソ連は、「ゆりかごから墓場まで」をイギリスに先駆けて実現した。憲法には「国民が健康になる権利」がうたわれたが、国営や公営だけの「独占」状態では、医師に賄賂を渡さなければ命も危ないほど医療の質が低下した。

 ソ連での社会主義の実験はその理想とは裏腹に、「お年寄りが大切にされない社会」に帰結し、「地獄への道は、善意で舗装されている」を地で行くものとなった。それがロシアで尾を引き、自由の大国アメリカを浸食し、日本も同じ道をたどっている。

 自由主義の経済学や政治哲学を打ち立てた経済学者ハイエクは、著書『自由の条件』で以下のように述べている。

 「今世紀末に引退する人の大半は、若い世代の慈善を頼りにすることが確実になるであろう。そして、究極的には、道徳でなく、青年が警察と軍隊をもって答えるという事実が、問題を解決するであろう。自分自身を養えない老人の強制収容所が、青年を強制するしか所得を当てにすることのできない老人世代の運命となるであろう」

 

「福祉国家は持続不可能」

 大川隆法総裁は、『吉田松陰は安倍政権をどう見ているか』のまえがきで以下のように指摘した。

「『税と社会保障の一体改革』は、共産主義的ユートピアの幻想である。早くポピュリズムのワナから抜け出して、自助努力からの発展繁栄こそ、真の資本主義的ユートピア社会であることに気づかれよ」

 共産主義が登場するまでは、どの国でも当たり前に子供の誰かが親の面倒を見ていた。もちろん家庭の中での女性の負荷が大きいという問題はあるが、金銭的には、両親に食事と寝る場所を提供し、100万円ぐらいから多くても年間200万円ぐらいの負担です。それ以上を出せる家庭はかなり裕福な家庭に限られる。それを政府が面倒を見る場合、日本であっても、65歳以上の高齢者の1人当たりの福祉支出は年間281万円になる。夫婦2人分なら562万円。赤の他人に両親を任せることで、明らかに2倍以上のお金がかかるようになっている。この計算だけでも、社会保障のために税金を引き上げていく「税と社会保障の一体改革」は成り立たないことは明らかです。

 単に金額の問題だけではない。20世紀を代表するアメリカの経済学者ミルトン・フリードマンは著書『選択の自由』で現代の社会保障制度について以下のように述べている。

 「社会保障制度は強制的であり、非人格的である」

 「子供が両親を助けるのは義務からではなくて、愛情からだ。ところがいまや若い世代は、強制と恐れのために誰か他人の両親を扶養するため、献金をさせられているわけだ」

 「今日の強制による所得の移転は、家族の絆を弱めてきた」

 家族の絆が弱まり、その結果、政府の負担が大きくなっている。

 オランダのアレクサンダー国王は2013年9月、次の年の政府予算提出にあたって議会で演説し、「20世紀後半の福祉国家は持続不可能となっている」と述べた。国王の演説はルッテ現政権による施政方針演説にあたり、オランダ政府の方針です。

 国王は演説でこうも語った。「古典的な福祉国家はゆっくりと、しかし確実に『参加社会』へと変化している。可能な人は自分や周りの人々の生活の責任を負うことが求められている」。参加社会については、「市民が自分で自分の面倒を見て、退職者の福祉といった社会問題に対する解決策をつくり出す社会」と説明した。

「福祉国家が持続不可能」なのはオランダだけではない。財政赤字に苦しむ日本も、アメリカも、他の先進国も、みな同じです。

 

資本主義的ユートピアを目指せ

 サッチャー首相が力説したように、「働かざる者、食うべからず」という人生の基本に立ち返るしかない。政府が貧しい人にどれだけ金銭を与えても、貧困から抜け出せるわけではない。サッチャー氏は「その人が自分でできること、また自力でやるべきことを、その人に代わってやってあげても、恒久的な助けにはならない」と語っていた。必要なのは自己責任の考え方や勤勉の精神です。

 国民としては自衛に入るしかない。若い世代は人生設計を立て、勤勉に働き、財産をつくる。あるいは、子育てに励んで、将来面倒を見てくれる孝行な子供をつくるのも一つの道です。高齢の方や老後が近い方は、可能なら今からでも奮起して、安心できるところまで稼ぐ手立てを考えるべきです。

 もちろん、経済的に失敗してしまった人、家族の助けが得られない人、どうしても働けない人を救うセーフティー・ネットを用意するのは政治の仕事になる。「飢えず、凍えず、雨露がかからない生活、病気の際に痛みを取り除く医療」は誰にも不可欠です。 

 「社会保障と税の一体改革」は成り立たず、まったくの幻想です。自己責任と勤勉の精神を復活させ、「資本主義的ユートピア」を目指す中にこそ、日本もアメリカもその他の先進国も、新たな「姥捨て山地獄」を阻止することができるのです。

イギリスを英国病から救う

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