現代医学と宗教の関係

医者や薬をどう考えるか

 まず、医学の世界も、光の天使・菩薩の系統が指導しており、宗教の系列の一つであるから、宗教と対立するものではない。現在の病院のシステムで、実際に多くの人々の生命を救っているのは評価されるべきである。つまり、医者も薬も、やはり大事ではあるってこと。

 また、幸福の科学も宗教として病気治しをしないわけではなく、現在は、「病気平癒祈願祭」で祈願による病気治しも行なってはいること。

 そして、ここで<幸福の科学大川隆法総裁は、「人間はいつかは必ず死ぬものであり、この世は修行の場なのだから、肉体を治すことをあまりに重視しすぎると、魂の修行を忘れて、この世への執着を増大させてしまうので、好ましくない」という、とても大事なことを述べておられます。

 幸福の科学大川隆法総裁は、著書『フランクリー・スピーキング』の中で以下のように説かれました。

「今は医学が発達していますから、医者と競争しようとは思っていません。あの病院の数と施設、医者と看護婦の数、宗教であれをやろうといっても、とても無理です。残念ながら、宗教ではどうしても量産システムはできないですからね。でも、私たちは神の光線の分類をしているんですが、医学の光線も、白色光線のなかの一つとして分類しています。天上界にそういう光の天使の系統がちゃんとあって、そういう看護婦さんやお医者さん専門の菩薩団みたいなのがあるんです。だから、それはそれで別に否定すべきものではない、宗教と対立するものではなくて、一つの系列だといぅふうに見ているんです。生長の家なんかだと、医者も薬もいらないというふうにすぐしてしまうのですが、私はそうは思っていません。ただやっぱり、実際に日本人の寿命がこれだけ延びたところを見たら、医学は役に立っているわけですね。数字としてはっきり出ていますから。これを上回ることを宗教が病気治しでやろうとしたら、たとえば私一人でやると、計算したって、一日五人やったとしても、一年でできるのは何人か数えたら、大病院には絶対追いつきませんね。もう一つは、人間はいつかは必ず死ぬものですから、肉体のほうを治すことをあまり重視しすぎると、魂のほうの修行というのを忘れてしまうんですね。宗教というのは、方便的に現世利益をやると人が集まってくるので、病気治しをしたらやりやすいのですが、でもそれで「治してもらいたい」という人ばかりが来ると、逆に執着を増大させているかたちになります。私たちは、あの世の世界を、もうはっきり説明しています。あの世には、いずれ必ず行かなければいけないので、そのときに困らないように、残りの何年か何十年かを、魂修行して生きなくてはいけないということを教えているんです。ですから、なかにはあの世を信じていないような宗教もあって困るのですけれど、幸福の科学は、もうちょっと先のことを言っているので、病気治しはそう重視していないと言ってもいいかもしれません(ただし、現在、幸福の科学では年に一回、病気平癒祈願祭は行なっている)。」

 また、大川隆法総裁は、『心と体のほんとうの関係。』で以下のように説かれました。

「私は、現代医学も仏神の指導の下にあると思う。医療系の光の天使を、仮に医神と呼ぶとすると、医神のルーツ(根源)をたどっていくと、必ず、ヘルメス神に行きあたるからだ。また、西洋医学と、時に対立する東洋医学も、そのルーツ(根源)は、老荘思想や仏教にあり、僧侶が医術を教えていた例は多い。もちろん、病気治しをする宗教にも、仏神が盛んに協力している。たびたび奇跡を起こして人々の信仰心を高めている。ここで大切なことは、医学と宗教の協調・協力である。信仰を理解する医師であれば、心の力を使って、もっと病気が治せるであろう。時には、言葉と薬の併用で、奇跡のように難病も治せるだろう。また宗教者も、医学の光の部分と協力すれば、悩める人々を救える範囲が広がるだろう。目的は人々の幸福なのだから、互いに、助け合えることが望ましい。」 (『心とからだの本当の関係』244~247ページ)

 目的は人々の幸福なのだから、大切なことは、医学と宗教の協調・協力です。

 幸福の科学では、信仰の力で不治の病が治る奇跡がたくさん起きている。だからといって、大川隆法総裁は、医学が不要だなどとは考えておられず、医学と宗教の協調・協力を説いておられます。

参考

霊的世界こそ科学に

 医学がどんなに進歩しようとも、人間の本質は肉体に宿っている魂であるという真実に変わりはない。人間の肉体を支配しているのは心であるからこそ、いつの時代も、正しい心の持ち方を教える宗教によって病気が治る事例が後を絶たないのだ。

 しかし、現代の医者は医療現場でそうした事例に直面しても、偶然か何かで片付けてしまうことが多い。それを追求して世に問う医者もいるが、残念ながら、人間が霊的存在であることを明確に認めている人はまだ少ない。「科学で実証されないものの存在は認めない」という姿勢が、医学の世界では頑強なまでに貫かれている。

 しかし、科学の本来の目的は未知なるものの探究にあるはずだ。これまでの学問の前提が崩れるからといって、未知なるものを避け続けてよいのでしょうか。

 大川隆法総裁は、『救世の法』のなかで、信仰と科学の関係について以下のように述べられた。

「私たちは科学を決して否定していません。『科学のなかにも、神の真理、仏の真理は流れている。人類を幸福にする原理の一部は入っている』と言っています」

「科学の未来は、実は、この信仰の上に成り立つものです。この信仰があって初めて、霊的存在やあの世の世界の探究が始まります」

 医学をさらに進歩させ、病気で苦しむ人々を救っていくためには、医者はもっと目に見えない世界の真実に心を開いていく必要がある。その際、人類を創造し、育んできた神仏の心を伝える宗教は、必ずや確かな指針を与えてくれるに違いない。

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