人生は一冊の問題集

 人はこの世に生まれてくるときに、自分だけの「人生のミッション」を果たすため、自分専用の「一冊の問題集」を作って生まれてきます。いま、悩んでいる事も、限界の壁も、実は『自分の問題集』の1ページ。「人生の問題集」は人の数だけありますが、唯一共通のルールは「自分の問題集は、自分の努力で必ず解ける」ということです。幸福の科学・大川隆法総裁の教えは、その問題集を解くためのヒントに満ちています。

 

『人生は一冊の問題集』 オープニングメッセージ 

「人生は一冊の問題集である。」 とは、まさしく至言だ。

人生修行の歳月を重ねるほどに、 その意味を重く感じる。

すべては、自分自身が心にまいた種と、 その育て方に原因がある。

また、自分自身と他者とのかかわり方、 自分と自分を取りまく世界中との関係を、 どう考え、どう行動していくかにある。

自分の努力で、 自分の人生の問題集が解ける、という考え方が、 縁起の理法を信ずる立場だ。 何を善と見、 何を悪と見るか。

どのような行為を、 仏意にかなっていると考え、 どのような行為を、 悪魔の所行だと思うか。

あなたは日々、 選択と決断を迫られている。

その答えの集積が、 あなたの人生の総決算である。

あなたは来世の採点結果を、 運命ではなく、 自分の努力点であると、 静かに受け入れる心境を持たねばならない。

 

 幸福の科学の大川隆法総裁は、『幸福のつかみ方』(幸福の科学出版)で以下のように説かれました。

「私には、看病して疲れておられるご家族のかたに、あえてムチ打つ気持ちはありません。しかし、家族に病人が出たという厳しい環境のなかで、いかに朗らかに、いかに明るく、いかに希望に燃えて生きられるかということが、あなた方の魂を光らせるための試練になっているのです。  考えてみれば、ヤスリをかけられるときには、その金属は痛くて悲鳴をあげているように思われるかもしれませんが、その後にはピカピカに光るものです。また、サンドペーパーをかけられてピカピカに光っていく木もあります。木目は、ザラザラしたもので何度も何度も擦られるとき、もし人間のような気持ちがあるとすれば痛いのでしょうが、それでも、その時期を通り越してみると、みごとにピカピカに輝く、美しい素材になっていくことがあります。  人生もこれと同じなのです。あらゆる苦しみや悲しみも、魂を光らせるためのヤスリだと思ったときには、どんなものでも耐えていけるのです。  むしろ、そうした悲しみのときにこそ、宗教的な飛躍というものが訪れることがあります。そうしたときにこそ、人間は救いを求め、魂の領域において一段と飛躍をすることができるのです。  ですから、病人が出たからといって、それを自分の不幸の言い訳にすることなく、そうした病人が出たことによって、自分が魂の修行の機会を与えられたことに感謝をし、そして、そのなかで己れの心の修行をすることです。  そしてまた、病人が家庭に出たということで、与える愛、尽くす愛、奉仕とはなにかということを考えさせられもするのですから、これはまさに、他人に対する献身の心を学ぶ機会ではないかと思います。  愛というものは、その基礎に忍耐と寛容を伴っているものなのです。調子のいいときだけ相手を愛する。たとえば、夫が調子がいいときだけ夫を愛する、妻が美しいときだけ妻を愛するのは簡単ですが、夫が仕事上で失敗したり、妻の美貌が衰えてきたときに、なおも愛するということはなかなか難しいことでしょう。しかし、それでも愛していこうとするその忍耐と寛容の心が、やはり愛というものを裏打ちするものだと思うのです。  病人も同じです。家族として仲よくやってきた者のなかに不幸が起きたなら、それを辛抱強く見守ってやることが大事です。(中略)  すべての運命を恨むことなく、すべてを自分の魂の糧として選びとっていくなかに、真なる幸福というものは光ってくると思うのです」

 こういう問題にぶちあたったときの考え方の基本は、生は一冊の問題集」という観点なのだということです。

 

 自分の環境や性格、肉体、能力の部分で、誰が見ても他の人と極端に違うときには、そこに人生の問題集を解く鍵がある。

 過去の転生でカルマをつくっていることもあるが、それを探ってもきりがない。

 過去世がどうであろうと、人間は、今回の人生を自分に与えられた問題集として捉え、その解答の努力をしなければならない。

 幸福の科学の総裁は、『心と体のほんとうの関係。』(幸福の科学出版)で以下のように説かれました。

「自分の環境、あるいは性格的、肉体的、能力的な部分で、他の人と極端に違う部分があるときに、それを単に悩みの材料として見て、そこからの出口だけを探してはいけません。  誰が見ても、明らかに悩みの材料と思われるもののなかに、実は、あなたの人生の問題集を解く鍵がある場合もあるのです。(中略)あなたの魂にとっては、「目が不自由である」ということが、何らかの進歩を促す材料なのです。(中略)  足が動かない人、手のない人、目が見えない人、耳が聞こえない人など、現在、身体的な不自由を抱えている人はたくさんいます。そういう人たちのなかには、過去の転生において、何らかの肉体的なカルマをつくっている人もいます。(中略)  私は、リーディング(霊査)をすれば、五千年でも一万年でも、それ以上でもさかのぼって、ある人の過去世を何代前まででも探れるのですが、それを一つひとつ探ったところで、きりがありません。  過去世がどうであろうと、人間は、今回の人生を、自分に与えられた問題集として捉え、「その問題集に、どう答えていくか」ということを考えて、そのために努力しなくてはならないのですね。  問題集は一人ひとり違います。ただ、その人にとって、魂の学習に合った問題集であることだけは事実です。  問題から逃れることばかりを考え、「与えられた問題を解きたくない」と言うのではなく、その問題のなかに潜んでいる意味を発見してほしいのです。  「目が不自由だ」というハンディがあっても、どれだけ、光った人生を生きられるか、それを工夫してほしいと思います。目の自由な人たちが見て、「あの人が、あんなに立派に生きられるのだったら、私も、もっと頑張らなくてはいけない」と思うようになれば、あなたの人生は成功です。(中略)  体が不自由であっても、あの世に還ると、それは治ります。(中略)不自由なのは、この世にいる、ほんの何十年かのあいだだけです。(中略)地上では、そういう“配役”になっていても、そのなかに修行があるのです。(中略)  他の人に迷惑をかけるかもしれませんが、お返しができることもあるはずです。「マイナスの面を考えずにプラスの面を見いだしていく」という努力をしてほしいのです。  肉の目は見えなくても、少なくとも“心の目”は見えるはずです。心の目でもって真理を見ていくことはできるはずです。そして、口が動くなら口で、耳が聞こえるなら耳で、何らかの「プラスの人生」を生み出せるはずです。  それも、あなたに与えられた問題集なのです。どうか、今世において自力で解いてみてください。  その問題集の模範解答は、あの世に還ったときに必ず示されます。なぜ、そういう修行をしたかということが必ず教えられますから、それまでのあいだは、とにかく、一生懸命、自分の問題集を解いていただきたいと思います」

 

 この人生の環境は、生まれる前に自分で決めてきたのだ、と知ることが出発点。そして、自分の人生をしっかりと振り返って、他の人と異なるところに着目して、自分の人生の特徴をつかむこと。そうすることで、今世の自分の人生の課題が何かを発見すること。与えられているものに最大の感謝をしながら生き、間違いを犯したら素直に反省していくことです。「人生は一冊の問題集」です。

 幸福の科学の大川隆法総裁は、『信仰告白の時代』(幸福の科学出版)で以下のように説かれました。

「両親に対しての不満もあるでしょう。しかし、その両親を知っていて生まれてきたのは、みなさん自身なのです。「親が勝手に産んだ」というのは根本的な間違いであり、必ず自分で親を選んで生まれてきています。生まれる前に、自分の親が誰かということを知っているのです。  たとえ、それが正規の生まれ方でない場合、要するに正常な夫婦のあいだに生まれなかった場合であっても、それを承知のうえで生まれてきています。その人の魂経験に必要なために、そのような計画をして、そこに生まれているのです。そこに自分にとって必要な学びがあるからです。  自分が何者であって、いかなる人生計画を持っている人間であるかということは、過去を振り返ってみればよくわかります。あなたの両親は、どのような仕事をしていましたか。あなたは、どのような家に生まれましたか。それはどの地域ですか。どの時代ですか。家族はどうでしたか。近所はどうでしたか。兄弟のなかで、あなたは他の人とどのように違っていましたか。その人生の歩みを、数十年間ずっと振り返ってみると、あなたの人生の目的と使命というものが、非常にはっきりと見えてきます。それが、あなたの魂の、今回の課題なのです。それを、まず見抜かなければなりません。  そして、いかなる使命であるかがよくわかったならば、いま与えられているものに最大の感謝をしながら生き、また、日々みずからが過ちを犯さないように心して、もし間違いを犯したならば反省をすることです」