遺伝病

 逃れられない運命が遺伝子に刻印されている場合は、いくら気を付けても予定された病気や事故で死ぬことがある。

 しかし、たとえ故障しやすい車でも、充分に点検して乗れば故障しないで済むように、病気になりやすい遺伝子を持った肉体という程度であれば、充分に気を付ければ病気にならないですむこともある。

 また、たとえば仏法真理に触れるなど、事情がまったく変わることで、遺伝子の予定とはまったく違った人生を生きていくこともあるのです。

 幸福の科学大川隆法総裁は、『幸福へのヒント』で以下のように説かれました。

「遺伝子は肉体の設計図のようなものです。子供は親から設計図を貰い、その設計図どおりに肉体ができ上がっていきます。ただ、最終的にどのような肉体ができ上がるかは、後天的な要素の影響が半分以上あります。これは車と運転手の関係にたとえることもできます。肉体が車で、魂が運転手です。車種によって車の性能は違いますが、性能の劣った車であっても、運転手の腕がよいと、運転の下手な人が性能のよい車に乗っているとき以上の成果をあげることは可能です。さらには、車の使い方や手入れの仕方のよし悪しによって、車が故障したり、しなかったりします。肉体の病気の場合も同じです。たとえ故障しやすい車であっても、充分に点検しながら乗れば、あまり故障しないで済むように、病気になりやすい遺伝子を持った肉体だったとしても、充分に気を付ければ、病気にならないこともあるのです。もっとも、気を付けただけでは逃れられないものもあります。なぜなら、遺伝子には、霊的なる理念というものが打ち込んであるからです。遺伝子のなかには、ある程度、その人の運命が入っているのです。  普通ならば、誰しも長生きするのが望ましいでしょうが、それだけでは人生修行にならない場合もあって、子供時代に亡くなる人、若い時代に亡くなる人、中年で亡くなる人など、いろいろな年代で亡くなる人がいます。そういう運命がもともと設定されている人もいるのです。なぜなら、その人にとっては、その体験が何らかの魂修行になるからです。このような場合には、遺伝子のなかに、そういう霊的な刻印、運命の刻印があります。これはなかなか除けません。そのため、一定の年代になると、予定された病気になって死ぬことがあります。病気ではなく、事故の場合もあります。ただ、事情が変わるなどの理由によって、予定とはまったく違った人生を生きていくこともあります。たとえば、「仏法真理の勉強をした結果、それまでとは違って、指導霊による指導を受けるようになったため、予定が急に変わってしまう」という場合もあるのです。男女とも、三十歳ぐらいまでは、性格や体質などにおいて、かなり、生まれつきに影響されます。しかし、三十歳を過ぎると、遺伝など、親から受け継いだものによって決定される部分よりも、後天的な要素によって決定される部分のほうが大きくなります。これが一般的なケースです。そのため、三十歳を過ぎると、親子でもあまり似ていなくなったり、兄弟でもまったく違うようになったりします。これは、生まれてからのさまざまな経験によって、魂の本来の生地が出てくるからです」

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