資本主義の精神

 資本主義の精神とは、勤勉の精神である。

 「勤勉というものが徳を生む」ということを知らなくてはならない。

 そうした徳によって形成された国家を目指してこそ、財政再建は成るのです。

 幸福の科学大川隆法総裁は、『富国創造論』で、薪を背負いながら本を読んで歩く姿の金次郎像で有名な二宮尊徳の霊の言葉(「霊言」)を、以下のように伝えておられます。

「まあ、厳しい言い方かもしらんがね、昔から、「アリとキリギリス」の話があるだろう。冬は必ず来る。人生における冬とは、働けなくなる時期、収入がなくなる時期、病気になる時期ということだな。冬の時期は必ず来るのだから、それに備えて、夏の間から、アリは、せっせと食糧を巣のなかに蓄え込む。夏の間にそれをしないで、バイオリンを弾いていたキリギリスは、冬将軍がやってきて、雪が降ったら、凍えて、飢えて死ぬ。これは万古不易の原理であり、そうでなくてはならないんだ。今、孤独死や、貧困による病気・死亡等がニュースで流れているとは思うけれども、これは「アリとキリギリス」の話だと思わなければならないな。これがはっきりと分かって初めて、資本主義の精神が出てくる。すなわち、勤勉の精神だ。「勤勉というものが徳を生む」ということを知らなくてはならないし、そうした徳によって形成された国家を目指してこそ、実は、財政再建は成る。しかし、「老後は国家が面倒を見てくれるので、子供が親の面倒を見る必要はない」ということで、多くの者が怠け、その日暮らしの生活をし、みなが“キリギリス”になったら、やはり悲惨なことがたくさん起きてくる。それは物事の道理であろう。ただ、そうした悲惨なことが続くことも、人々の考え方が大きく変わっていくためには必要であろうと思われる。だから、老後に備えるためのやり方は二つしかない。若いうちから結婚して、子育てをし、孝行な子供をつくって、晩年、面倒を見てもらえるようにすることが一つ。一方、結婚せずに、働いて収入をあげることを目指すならば、その収入を全部、散財してしまうのではなく、老後の備えとして、自己防衛をしていくことだ。つまり、老後の生活について、きちんと設計し、稼いだ金をしっかりと積み立てておく。また、老後のための人間関係づくり、ネットワークづくりに努力しておくことだな。この二つが基本形だ。こうした文化をつくり上げることなくしては、この国家破産の圧力には、とうてい、耐えられないと思う」

 

「資本主義精神」を体現していた二宮金次郎像 源流には「恩返し」の思い

二宮金次郎は資本主義の精神を体現し、600以上の藩や村を再建した

金次郎の行動を支えたのは、「恩返ししたい」という思い

覇権を拡大する社会主義国家・中国を抑え込むためにも金次郎の思想が必要

 中国が、国家プロジェクトである現代版シルクロード経済圏構想「一帯一路」を推進し、世界中に中国の覇権を拡大しようとしている。このほど北京市内で行われた日中有識者による合同フォーラムでも、中国の蒋建国・新聞弁公室主任(閣僚級)は「一帯一路という中日協力の新しい畑を開墾し、開放型の世界経済をともに建設しよう」と呼びかけた。

 国民の自由を抑制する全体主義・社会主義国家である中国の暴走を抑え込むためには、アメリカや日本をはじめとした資本主義国家が協力する必要がある。しかし、そうした国々が基盤とする「資本主義」とは、そもそもどのような考え方なのだろうか。

 実は、江戸時代に600以上の藩や村を復興させた偉人の人生から、資本主義の精神を読みとくことができる。

 

薪売りに現れる「資本主義精神」

 薪を背負い、歩きながら本を読む少年。言わずと知れた、二宮金次郎(1787~1856年)である。勤勉の象徴として、像を建てている学校も多い。名前は有名な金次郎だが、「何をした人か」と問われると、明確に答えられる人は少ないかもしれない。

「小さいころから勤勉に働き、親孝行をした人」

「伯父さんに意地悪されながらも、くじけずに勉強を続けた人」

「捨てられていた苗を空き地に植えて、1俵分のお米を収穫した人」

 どれも正解だが、それは金次郎の人生の一側面に過ぎない。金次郎の人生を「経済」という視点で見てみると、違ったものが見えてくる。

 本を読みながら薪を背負って歩く金次郎像。その姿が示しているのは「勤勉さ」だけではない。金次郎が薪を背負っているのは、町で売るためだ。炊事や風呂などに使う燃料のほとんどが薪だった当時、需要が高かった薪は、高い値で売れた。金次郎は利益率の高い薪を小田原の町に売りに行っては、家計の足しにしていた。

 ここで興味深いのは、最初は落ちていた薪を拾って売っていた金次郎が、後に貯めたお金で山を買い、そこで木を切って薪をつくるようになったことだ。元手を貯蓄し、より大きな価値を生むものに投資する。これは、現在で言えば、新しく工場を建ててより大きな利益を得ることと同じであり、資本主義の基本的な考え方である。

 

伯父のもとから独立し、二宮家を再興

 貯蓄をして元手をつくり、それを投資して、より大きな富を得るというやり方は、その後、規模を大きくしていく。

 両親を亡くして伯父の家に寄宿していた金次郎だが、青年になり伯父から独立。さまざまな家で奉公人として働き始めた。金次郎は、そこで得たお金を貯め、両親が亡くなった際に売り払った二宮家の屋敷や田畑を買い戻した。

 奉公が休みの日は田畑で農作物をつくり、それを売ってはさらに貯蓄をする。そして、そのお金で土地を買い戻すということを繰り返し、数年後には4000坪以上の土地を得るまでになった。

 倹約して元手を貯め、そのお金を投資し、新たな富を生みだす。この資本主義のサイクルを生涯実践したことによって、金次郎は自らの身を立て、600以上の藩や村を建て直すことに成功したのです。

 

茄子を食べて飢饉を予測

 これだけでも驚きだが、金次郎はさらに時代を先取りしていた。

 経営学者のピーター・ドラッカー(1909~2005年)は生前、「21世紀は資本の時代から、智慧の時代になる」と述べていた。20世紀では、資本を持つ人が工場や機械を購入し、事業を興して成功していたが、21世紀という時代においては、事業成功には資本ではなく智慧こそが求められる。

 この智慧の現れ方の一つとして、「危機を突破する智慧」というものがあるだろう。実は、洪水や冷害による大凶作によって、全国で20~30万人が死亡したとされる「天保の大飢饉」が起こった1830年代、金次郎は智慧の力で村民の命を救っている。

 1833年の夏、食べた茄子が秋茄子の味がすることを不思議に思った金次郎は、自ら田畑の様子を調査。葉の先が弱っていたことから、凶作を予測し、村民にヒエや芋などをつくらせた。その翌年、天保の大飢饉が起こるが、食糧を蓄えていたおかげで金次郎の村からは一人も餓死者が出なかった。そのうえ、近隣の村に食糧を分け与えることもできた。

 これは今で言うと、ちょっとした変化から会社の危機を予測し、事前に対策を打つことと同じだろう。まさに、智慧の力で危機を回避した例といえる。21世紀にも通じる資本主義の精神は、江戸時代を生きた金次郎によってすでに実践されていたようである。

 

恩返しから始まった資本主義

 資本主義を体現した金次郎の人生。その思想を支えたものは何だったのか。それは、「より多くの人に恩返しをしたい」という情熱だ。金次郎は、自らが、神仏や父母など数限りない存在からの恩恵を受けて生きていると自覚していた。そうした恩を受けて生きている自分が、他の人々のお役に立つことで、恩に報いることができると考えていたのです。

 したがって、金次郎が資本主義の精神を発揮した原点にあるのは、利己的な願望ではなく、他の人々や社会が豊かになることを願う利他の思いだった。

 急速に経済成長している中国を抑え込むためにも、今こそ、恩返しのために資本主義精神を発揮した金次郎の思想が必要でしょう。

 

大減税で「譲」の文化の復活を

 二宮尊徳は、「『譲』に努めなければ人ではない」と言うほど、この徳目を重視していた。

「譲」は、簡単に言えば「他の人に分け与えたり、将来のために投資したりすること」。公的な年金や医療保険のなかった戦前には、ごく当たり前に実践されていた。

 親族や地域の中で成功した人が出れば、お年寄りや生活に困った人たちの面倒を見ていたし、地域に勉強が特にできる子供がいれば、親に代わって援助した。細菌学者の野口英世や、首相・外相になった廣田弘毅なども苦学生で、地元の篤志家の支援を受けて世に出た人たちだった。

 この「譲」の文化がなくなったのは、戦後、増え続ける福祉予算をまかなうため、所得税や相続税に「累進課税」が導入されたためである。最高税率はそれぞれ93%、75%という時代もあった。これでは、貧しい人たちを支援しようにも難しい。

 ピーター・ドラッカーは『新しい現実』で、「税制による所得再配分の試みについては、もはや寸時の執行猶予も与えるべきではない」と述べている。福祉国家が失敗した以上、累進課税による所得再配分も終わらせるしかない。

 所得税は10%程度の一律の税率、相続税はゼロが望ましい。

 こうした大減税が「譲」の文化を復活させ、ドラッカーが期待したように非営利組織は「人間を変える」ミッションを果たせる。

 やはり、福祉は、政府を通して名前も顔も分からない人たちを助けるよりも、自分の周りの顔の分かる範囲で助けるほうが、愛情が湧くし、「人道的」である。

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