ハンディを背負う子供たちへ

魂の勉強のためのいろいろな経験

 人生は今世限りではなく、誰もが、この世に何度も生まれ変わってきています。しかも、生まれ変わる際には、順調な人生ばかりを選ぶわけにはいきません。それでは魂の勉強にならないからです。そのため、ときには、いろいろと極端な経験もすることになります。人間は、数多くの転生のなかで、1回ぐらいは肉体のどこかが不自由な姿で生まれてきます。誰もが必ず どこかで一度はそれを経験します。そして、いま、その段階にある人たちもいるわけです。もちろん、障害には、特に魂修行的に予定はなかったのに、事故や病気などの後天的要因によって生じるものもあります。しかし、人生計画というものは一直線ではなく、ある程度の幅があり、人間はそのなかで生きていくようになっているのです。

 

障害を言い訳の材料にしない

 何らかの障害がある人にとっての基本は、「障害を言い訳の材料にしない」ということです。障害があっても、それをむしろプラスに変えていく生き方が大事です。言い訳のみの人生を生きても、絶対に本人のプラスにはなりません。 障害のある子供には、「あなたは素晴らしい人生を生きるために選ばれた人なのだよ。マイナスからのスタートになるけれども、逆境をバネとして生き、道を切り開けば、素晴らしい人生を生きられるのだよ」と教えてあげてください。アメリカの光明思想家に、デール・カーネギー(1888~1955)という人がいます。『道は開ける』『人を動かす』などの著書で有名です。この人は、子供のころ窓から飛び下りた際に指輪が釘に引っ掛かり、左手の人差し指がちぎれしまったのだそうです。しかし、彼は後年次のように述べています。「私は手の指が1本ないのを悩んだことはない。指が1本ないという事実に気が付くのは、月に1回あるかないかである」

 彼は前向きに積極的に仕事をして生きていたので、指が1本ないことなどほとんどの時間忘れていたのです。

 どこか具合が悪くても、そればかり考えていてもしかたがありません。むしろ、積極的な生き方を展開することに情熱を注いだほうが、人生を終わる時点では絶対に得なのです。人間は2つのことを同時には考えられません。この特性を使って、「よいほうに、よいほうに」と物事を考えていくことです。

 

ハンディがあることが不幸とは言えない

 自分の子供が何かの障害を持っていたとしても、決して落胆してはいけません。「ハンディがあるからこそ、あなたは頑張れるのだよ」という話を子供にしてあげてください。 人生は、いろいろなあやがあって、でき上がっているのですから、ハンディのあることが不幸だとは決して言えないのです。 最後に、肉体的には障害はあっても、霊的には完全であることを忘れないでください。実在界に帰天したあとは、自由自在です。そのときに、人生の問題集の意味を悟る人もいるのです。(『幸福へのヒント』)

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