人体の奇跡

 体のなかでは、無意識のうちに、血液をつくったり、血液を変化させて免疫がつく物質まで含まれた母乳を作ったりと、まるで奇跡のようなことが起きている。

 赤ちゃんが生まれることも、何だか分からないうちに子供の体が出来上がり、やがて人間として生まれてくるのであって、奇跡である。

 体というものは、本当は奇跡に満ち満ちている。

 幸福の科学大川隆法総裁は、『超・絶対健康法』で以下のように説かれました。

「みなさんは、「肉体は自分の自由にはならない」と思っているかもしれません。しかし、体のなかは工場のようなものであって、みなさんは、まったく意識していないにもかかわらず、無意識下で、常にいろいろなものをつくっているのです。意識して血液をつくっている人がいるでしょうか。「今日は、意識して血液を一リットルつくった」という人がいたら、驚くべきことです。血液は勝手にできてくるものなのです。また、女性が結婚して子供を産み、赤ちゃんを育て始めると、母乳が出るようになります。これは血液が変化したもののようですが、誰か、一リットルの血液を一リットルのミルクに変換できる機械をつくれる人がいるでしょうか。もしいたら、お目にかかりたいと思います。これができたら、おそらく奇跡に見えるでしょう。「血液がミルクに変わる」ということは奇跡に近いのです。体のなかで、まるで奇跡のようなことが起きているのですが、こういうことのために何か巨大な努力を要しているでしょうか。そうではありません。母乳は無意識下でつくられているのです。体というものは、まことに不思議です。なぜ、赤いものが白くなり、赤ちゃんにとってちょうどよい具合になって出てくるのでしょうか。母乳には、赤ちゃんが病気をしないように、免疫がつくような物質まで含まれているのです。そのために母親が特別な努力をしているわけではありません。もちろん、食べる努力はしています。母親は、ゆっくり休んで、食べたりはしていますが、母乳は、つくろうとしてつくれるものではないのです。母乳の原材料として、栄養になる食べ物を摂ることは、表面意識でできる大事な努力です。しかし、血液が母乳に変わる部分については、表面意識的な力によるわけではありません。これについては、「そのように恵まれている。神、仏の恩寵を受けて、そのようにできている。毎日、奇跡が起きている」と思わざるをえないのです。もっと前の段階で言えば、赤ちゃんが生まれることだって奇跡です。私は、トヨタ自動車の工場を視察し、車をつくっているところを見たことがあります。いろいろなマジックハンドが、さまざまなものを組み立てていました。母親たちは、みな、「赤ちゃんは自分が産んだ」と言うでしょう。しかし、その工場のように、おなかのなかで何本もの手が働き、子供をつくっているのであれば大したものですが、何だか分からないうちに子供の体は出来上がり、やがて人間として生まれてくるのです。もし、生まれてきたものがトカゲやヘビのようなものだったら、あるいは恐竜の子供だったら、大変なことになります。しかし、人間として生まれてきてくれるのですから、まことにありがたい話なのです。体というものは、本当は奇跡に満ち満ちているのです」

 人体というものは、たとえて言うと、川の流れのようなもので、姿形はあっても非常に流動的なものであって、常に変化・変転しながら存在しているものである。

 現在ただいま、自分が「体」として持っているものに、両親から直接もらったものは、もはや存在しておらず、頭蓋骨も、脳の細胞も、神経も、あらゆるものが新陳代謝によって入れ替わっている。

 「生まれてから死ぬまでの間に、どのような肉体で生きていくのか」ということは、かなりの部分を本人が自分で支配できるようになっており、肉体は、本人の努力と精進によって変えていける可能性が非常に高いものである。

 大川隆法総裁は、『超・絶対健康法』で以下のように説かれました。

「人体というものは、姿形はあっても非常に流動的なものです。それは川の流れのようなものなのです。例えば、私の故郷を流れる吉野川という川を写真に撮れば、「これが吉野川です」と示すことはできます。しかし、実際の吉野川には、常に水が流れているので、現実には、「これが吉野川です」と、固定したかたちで取り出すことはできません。川は常に上流から下流へ、そして海へと流れています。その途中で、雨が降ったり、他の水が横から入ってきたり、湧き水が湧いたりして、いろいろなかたちで水が増えているのです。そのように、変化し、変転し、姿を変えながらも、やはり、一つの名前で呼ばれている「川」というものが存在します。それと同じように、みなさんの肉体も、常に変化・変転しながら存在しているものなのです。遺伝的には、もちろん、両親から受け継いだ遺伝子のなかにある“設計図”に基づいて、肉体は出来上がっているわけですが、肉体そのものは、新陳代謝を繰り返し、古い細胞は、すべて死滅し、新しい細胞が出来上がってきているのです。現在ただいま、みなさんが「体」として持っているものに、両親から直接もらったものは、もはや存在していません。すべてが入れ替わっています。頭蓋骨でさえ変わっています。脳の細胞も、神経も、あらゆるものが新陳代謝によって入れ替わっています。体をかたちづくっているものは、一年もたたないうちに、全部、入れ替わるのです。一年前の体と今の体とは同じではありません。体のなかには血液が流れていますが、それだけではなく、肉体そのものも変化・変転しているのです。要するに、細胞というものは、新しく生まれ、また、死滅しているわけです。どうか、「自分は、一つの川のようなもの、川の流れのようなものだ」という自己認識を持ってください。体の入れ物である皮膚も、同じものであり続けることはできません。これは、よく目に見えるかたちで入れ替わっていることを、みなさんも知っているでしょう。毎日、入浴のときに、古い皮膚が垢となってがれていくことを感じているはずです。髪の毛も、当然、入れ替わっています。人間の体は不思議なほど入れ替わっているのです。肉体というものは、実によくできています。設計され創られた痕跡がありながら、生まれるときの設計図のまま変わらないものではなく、流動し、変化しているものなのです。「生まれてから死ぬまでの間に、どのような肉体で生きていくのか」ということは、かなりの部分を本人が自分で支配できるようになっています。もともとの素質というものは、あることはありますが、肉体は、本人の努力と精進によって変えていける可能性が非常に高いものなのです」

 大川隆法総裁は、『奇跡のガン克服法』のまえがきで以下のように説かれました。

「現代人は実に多く病気で悩み苦しんでいる。しかも医学が進歩すればするほど、病名も多岐にわたって、平均寿命が伸びるとともに、難病奇病も数多くなっている。なかには病気のデパートのようになっている人さえいる。しかし、真実は一つである。人体は、ゆっくりとではあるが、「川の流れ」のように変化し続け、同じ姿をとどめおくことはできない。心の力が自分の体をつくりかえていくことが可能なのだ。しかもその際、信仰心が強力なパワーとして働き始める。信仰の名の下に、理想的な自己像を心に描くがよい。ガンをはじめ、医学的に不可能とされる治癒例が数多く現れている。信じよ、さらば救われん。求めよ、さらば与えられん」

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