病気を治す心の持ち方

「反省の心」と「感謝の心」を持つことです

体は日々つくり変わっている

 まずは自分自身の自己認識から変えなければいけません。自分の体について、「車の車体」のような自己認識を持っていて、「外側の金属板と、内側の機械の集まりで出来ている」というように考えている場合、基本的には、「故障があったら、その部分を取り替える以外に治す方法はない」という考えになるでしょう。しかし、そういうものではないわけです。自分自身の体、要するに、“車体”と見えしものも、実は、毎日毎日変化して、どんどん新しい材料が注入されては、古いものが淘汰され、つくり変えられながら動いているものなのです。そういう認識を持つことによって、心のなかに強い方向性を与えると、自分の体をつくり変えていくことができるのです。

 

「自己弁護」ではなく、感謝の心を

 ところが、「自分の心の方向性が、今、一定の悪い“鋳型”をつくろうとしている」ということを、自分では、なかなか気がつかないことが多いのです。そう簡単に、鏡に映ったようには、自分を見ることはできません。「自分の心が歪んでいる」「自分の生き方に歪みがある」ということは、簡単には分からないのが現実です。そのために、「反省の心」を持つこと、それから「感謝の心」を持つことが大事なのです。病気になる人は、たいてい、自己弁護というか、自己保存や自己防衛の気持ちが意外に強いのですが、自己防衛の気持ちが強いにもかかわらず病気になります。要するに、病気になる人には、「自分は何も悪くないのだ」というように煙幕を張って自分を守っている方が、わりに多いのです。それから、全体的に見れば、「ほかの人が悪いのだ」「あれが悪いのだ」と、人を責めたり、いろいろなところを責めたりしていることが非常に多いでしょう。基本的には、そういう方向が多いので、やはり、まず、「感謝の心」や「反省の心」を持つことが大事です。

 

自らを改め、人のことを思いやる

 自らに間違いがあれば、毎日少しずつでもよいので、反省して、改めていこうとする気持ちを持つこと。いろいろな人に対して、不平不満や愚痴が湧いてくるでしょうが、感謝すべきところはないかどうか、一つひとつ思い出し、そうしたものがあれば感謝すること。そして、感謝の気持ちを、言葉に出して言うこと。さらに、自分中心に考えるのではなくて、他の人が困っていたら、「自分にできることはないかどうか」、あるいは、「その人の悩みを聞いてあげることができないかどうか」を考えること。例えば、自分は「手が悪い」けれども、相手は「足が悪い」という場合、手の悪い人が足の悪い人の相談を受けることはできるかもしれません。それと同じようなもので、人の苦しみや悲しみを理解し、和らげてあげるということも大事なことでしょう。  「愛の心」「報恩の心」「感謝の心」を実際の行動に移して表していくことで、本当に「心の鋳型」そのものを変えていくことができるようになります。

 

「自己中心的」とは正反対の自分になる

 病院へ行けば分かると思いますが、病人というのは、だいたい、自己中心的な方が多いでしょう。いつも、「あそこが痛い。ここが痛い」と言っていますし、医師や看護師、家族等への不満や仕事に対する心残りなど、いろいろなものがあるはずです。どんなによい人でも、病気になると、だいたい、自己中心的になるでしょう。しかし、病気にならないためには、そういう自己中心的な考え方になっていくのとは正反対の自己像を心に描き、「そのようになろう」と思ってください。そして、一時に治らなくとも、「少しずつ少しずつ、自分はよい方向へ変わっていこうとしているのだ」という気持ちを持ち続けることが大事です。病気に対しても、「今日までよく頑張ってくれたな。ありがとう。これから、あと何年、何十年かの付き合いがあるけれども、少しでもよくなったら、まだ世の中のためになることができるような気がするし、家族にも、少しはお返しができる。だから、毎日、少しずつよくなろうね」と話しかけていくぐらいの気持ちを持つことが大事なのです。  実は、そうすることで、自分の潜在意識に、「考え方」を植え込んでいるのです。そのためには、「パターン化」をしなければいけないので、毎日、同じように潜在意識のなかに植え込んでいくことが必要です。 (参考文献:『ザ・ヒーリングパワー』)

 幸福の科学の大川隆法総裁は、『超・絶対健康法』(幸福の科学出版)で以下のように説かれました。

「医者の言うことをあまりまともに受け止めると、暗示にかかって、さらに悪くなることがあるので、ある程度、割り引いて聞いたほうがよいでしょう。また、「医者の予想に反して回復する」ということも数多くあるので、回復する可能性を信じたほうがよいと思います。  健康になるためには、積極的で明るい想念を持って生きることが非常に大事なのです。  全体的に、健康の復活のためのキーワードを考えてみると、それは「反省」「感謝」「精進」「祈り」の四つになると思います。

 まず、「反省」によって、  霊体のなかにある悪想念の部分を除去することが大事です。  反省によって仏の光を入れることです。 次は「感謝」です。  病人には、たいてい感謝の心がありません。  不平不満や愚痴は出ますが、感謝の思いは出ないことが多いのです。  したがって、病気になりたくなければ、いろいろな人に感謝をすることが大事です。  現に病気になっている場合には、周りの看護師や家族などに対する感謝を心がけてください。  そうすると病気は良くなります。  他人を責める心があると病気は良くなりません。  病気は、本人に、反省を促したり、家族のありがたみを教えたりする機会でもあります。  反省や感謝を教えるための修行の機会でもあるわけです。 それから、「精進」です。  「医学知識も勉強しながら、自分の健康を維持していこう」 という精進の心が不可欠です。 最後は「祈り」です。  「良くなりたい」という気持ちを持ち、自分の人生全体を設計することです。  「自分としては、こういう人生にしたい。このくらいの年齢までは、元気に現役で働きたい。その後も、このようにして家族と暮らしたい」という人生設計を、繰り返し繰り返し、心のなかに思い描くことです。  毎日、自分の健康生活について設計し、祈ることによって、次第しだいに、生活や考え方、行動など、いろいろなものが、それに合致したものになっていきます。

 この「反省」「感謝」「精進」「祈り」という四つの言葉を、健康を復活させるためのキーワードにしてください」

 

信仰で病気が治る

 信仰心は免疫力を高める。免疫力を高めることによって、細胞の新陳代謝を進めることもできれば、ガン細胞などを死滅させることも可能なのだ。これを強く信じることによって、実際に体は変わってくる。

 幸福の科学の大川隆法総裁は、『超・絶対健康法』(幸福の科学出版)で以下のように説かれました。

「「信仰で病気が治る」ということは世界各地の宗教で起きていることです。心ある医者も、「それは現実にありうることだ」と言っています。  なぜ信仰で病気が治るかというと、強い信仰心、篤い信仰心を持つと、その人の体のなかの免疫機能がグーッと上がってくるからです。(中略)  どうか、信仰の力というものを、非科学的な〝まやかし″だとは思わないでください。  学校の先生の言葉一つでも人間は変わります。事実として、言葉には人間を変える力があります。それは、宗教の立場、信仰の立場ではなく、それ以前の段階のレベルでしょうが、言葉には子供たちの未来を変えていく力があるのです。  同じように、信仰の力には、みなさん自身の未来を変えていく力があります。信仰は、生きていく勇気や自信、忍耐する力、耐え忍ぶ力というものを与えてくれます。そうすると、体の細胞の隅々に至るまで、その力が加わり、自分の細胞が活性化してきて、免疫力がすごく強くなるのです。(中略)  本書を読んでいる人のなかに病気の人がいたら、どうか、信仰の力でもって、自分自身の全身、体全体に、「自分の肉体は工場なのだ。毎日、細胞をつくっている。自分の肉体は、毎日、入れ替わっている。毎日、新しくつくり替えているものなのだ」という、強い思いを発してほしいのです。  その工場が不良品ばかりをつくっているから、体が病気になっているわけです。やはり、つくり出す部品を、もっと良いものに替えていかなければなりません。  「自分は、信仰の名の下に、立派な人生を生きたいのだ。世のため、人のため、世界人類のために、良いことをして、今世を全うしたいのだ。だから、力を与えたまえ」という気持ちを強く持ち、潜在意識に命じることが大事です。  もし、みなさんが、こうした信仰心に基づいて、明るい心、積極的な心、そして、他の人に対して親切な心、また、自分自身に対しても努力・精進を惜しまない心、こういう心を持ち続けることができたならば、体の不具合や不調、病気などは必ず善転していきます。  もちろん、(中略)地上での生命には限界がありますが、やはり、「いかに充実した人生を送るか」ということが大事であり、寿命を延ばすことだけが良いことではありません。「中身を充実させていく」という強い思念を持ち続けることが大切なのです。  どうか、「信仰心というものは免疫力を高めるのだ。免疫力を高めることによって、細胞の新陳代謝を進めることもできれば、ガン細胞などを死滅させることも可能なのだ」と思ってください。  それを強く信じることによって、実際に体は変わってきます」

信じる力で病気が治る

 祈りの力で、病気が治ることは実際にあります。正しい信仰生活をしていると、ほんとうに体験できることがあります。

 幸福の科学の大川隆法総裁は、信仰による奇跡について『愛は風の如く2』(幸福の科学出版)で以下のように説かれました。

「みなさんのなかにも、「物質化現象」という言葉をお聞きになった方も多いかと思いますが、実在界のエネルギーが、なんらかの意図によって、地上界に物質化して現われることあるのです。たとえば金粉現象というのもそうですし、それ以外にも、霊界からみごとな宝石を出したり、あるいは薬を出したりというように、いろいろなものを出すというケースがあります。(中略)  じつは、宗教によって病気が治ったりする奇跡も、この延長線上にあるのです。体内にガンが巣くっていて、そのガンが信仰によって治ったりする場合も、レントゲンで写真を撮るならば、ガンは物質的には確実にあるものなのですが、それが一瞬にしてなくなるということがありえるわけです。これなども、霊的エネルギーがはたらいて、そういう物質界のつくり変えに力を貸していると思わざるをえないのです。(中略)  こうしたことが、日常茶飯事に行なわれるわけではありませんが、天上界の諸霊も、必要に応じてこうした物質化現象を起こし、生きている人たちの信仰心を強くする場合があります。  ただ、なんでもかんでも物質化現象を起こしはじめると、これは地上の人間を甘やかすことにもなりかねません。なぜなら、欲しいものをねだれば、すぐ現われてくるということになりますと、彼らの地上での修行が意味を持たなくなるからです。(中略)地上人はなにゆえに地上に生まれ、赤ん坊から育って大人になって、努力して生きていくか、その意味がなくなってしまいます。  それゆえに、こうした物質化現象なども、あくまでも例外措置として認められているのであり、それに意味がある場合にのみ許されていると考えてよいでしょう」

 

病を癒すための祈り

 幸福の科学には、病を癒すための祈りとして修法「エル・カンターレ ヒーリング」がある。

 それを行ずる人に信仰心があることが前提であり、信仰心があれば、エル・カンターレの魂と一体になって、光が流れはじめる。

 信じたならば、すべてのものは現れる。

 幸福の科学の大川隆法総裁は、『心と体のほんとうの関係。』(幸福の科学出版)で以下のように説かれました。

「幸福の科学には、病を癒すための祈りとして修法「エル・カンターレ ヒーリング」(幸福の科学会員限定経典『祈願文①』の「病気平癒祈願」にて行ずる)があります。  これは、「エル・カンターレの癒し」という意味です。  この修法は、それを行ずる人に信仰心があることが前提です。信仰心がなければ、光は流れません。信仰心があれば、エル・カンターレの魂と一体になって、光が流れはじめます。  使い方としては、直接、病人の前で行ずる方法が一つあります。  もう一つは遠隔治療です。この修法の特徴は、遠隔治療が可能であることです。修法を行ずる場所にいない人でも治ります。何百キロ離れていても効果は同じで、地球の裏側にいても効きます。  これを行ずる人が、信ずる力を持っていて、「仏は、この地球を消すことも現すことも自由自在である。それだけの力がある方なのだ」ということを、心底、信ずることができるならば、体のなかのガン細胞さえ消すことが可能です。信ずることが大事なのです。  『新約聖書』を読むと、イエスは死者を何人もよみがえらせています。たとえば、ラザロという死者に対して、イエスが、「死せるにあらず、眠れるなり。ラザロよ、起きろ」と言うと、包帯を巻いたラザロが、生き返って洞穴(墓)から出てきました。  そうしたことは、歴史上、実際にあったことなのです。現在、それができないのは、人間に信ずる力がなくなったからです。クリスチャンであっても、イエスの時代の奇跡を信ずる心を、もはや失っています。  死者をよみがえらせた。目が見えぬ者の目を見えるようにした。足の不自由な人を治して立たせた。水をワインに変えた。わずかなパンを分けて、何千人もの人が食べられるようにした。  すべて事実です。イエスは現実になしたのです。それを比喩か何かのように解釈するのが、現代のキリスト者であり、キリスト教学者です。それは、奇跡というものの本質を知らないからです。仏や神というものの、ほんとうの力を信じていないからです。  信じたならば、すべてのものは現れるでしょう」

 

信じる力を持つと免疫機能が上がる

 「自分は神の子、仏の子だ」という信仰心を持つと、自分に対する自信が生まれ、明るい未来を信じることができるようになって、生きる力が湧いてきます。すると、免疫力が上がり、病気が快方に向かったり、病気になりにくくなるのです。 (参考『超・絶対健康法』)

 

奇跡が起きるために

病気が治る奇跡

 イエスが病気を治すときに求めるのは信仰心であるように、病気治しには、「信仰心の確立」が非常に大事である。

 また、自前の支部精舎が建ってきたことで「完結した信仰空間」がつくられ、奇跡が起きやすくなっている。

 信仰心が、どのくらいまで上がっていくかによって結果は変わってくる。

 幸福の科学の大川隆法総裁は、『ザ・ヒーリングパワー』――病気はこうして治る』(幸福の科学出版)で、次のように説いておられます。

「近年、幸福の科学では、熱心に「病気治し」をし始めているのですが、それは、支部精舎が建ってきていることとも関係があります。  病気治しをするためには、やはり、「信仰心の確立」が非常に大事であり、信じていると治り方が非常に早くなるのです。  ただ、いろいろなものが入っている雑居ビルのオフィス的な場所を借りて支部を開いていると、よそのビジネス想念など、さまざまなものが入ってきやすいので、「完結した信仰空間」がつくりにくい面があります。  贅沢は言えないものの、そういう面があるため、やはり、自前の建物を建てることが必要です。そうすると、そこには完璧な一つの「信仰空間」が出来上がってくるので、奇跡が起きやすくなるのです。(中略)  例えば、『聖書』のなかで、イエスが病気を治すときには、相手に、「あなたは、われを信ずるか」と訊いています。そして、相手が、「主よ、信じます」と言い、イエスが、「あなたの信じるとおりになれ」と言うと、その病気が治るのです。つまり、「信仰心があるか、ないか」を唯一の条件として訊いているわけです。  そういう意味で、レベルにはいろいろありますが、「信仰心というものが、どのくらいまで上がっていくか」によって結果が変わってくることがあります」

 

病気が治る人と治らない人

 奇跡が起きる場合、高級霊たちはできるだけ効果的に奇跡を起こしたいと思っているし、また、本人にも、ある種の徳(隠れた徳)が必要である。

 「なぜ、この課題が与えられたのか」ということについて、今世だけを見ても理解できない部分もあるが、すべては「縁起の理法」のなかにあるので、「今世で体験することの裏には、何らかの意味合いがあるのだ」と思ってよい。

 来世というものも必ずあるから、「来世に対し、悪いかたちで、新しいカルマの種まきをしない」ということを心掛けることです。

 幸福の科学の大川隆法総裁は、『奇跡のガン克服法』(幸福の科学出版)のまえがきで以下のように説かれました。

「「その人が、なぜ、その病気になり、そういう死に方をするのか」という問題は、今世だけを見た場合には解決できないことがあります。今世だけを見ると、「こんなはずはない」ということもよくあります。ただ、「過去世リーディング」をしてみると、理由が分かることは多いのです。  やはり、「人生は今世限りではないのだ」ということを知らなくてはいけません。  過去世を何代か遡り、「その人生は、どうであったか」ということを調べてみると、「ああ、なるほど。これのせいで、今世は、こういうかたちで亡くなったのか。つじつまが合っているな」と思われる出来事が出てきます。  この世に生きている人間は、通常、それが分からないので、不満に思い、天を恨みたい気持ちになることもあるでしょう。  しかし、それぞれの人が固有の人生課題を持って生きているわけです。「なぜ、この課題が与えられたのか」ということについて、今世だけを見ても理解できない部分は、どうしても残りますが、すべては「縁起の理法」のなかにあるので、「今世で体験することの裏には、何らかの意味合いがあるのだ」と思ってよいのです。  今世で、「ガンが治る」といった奇跡体験をする人には、それによって、何らかの功徳を積むチャンスが与えられていると見るべきでしょう。(中略)  「いい人だ」と思われていた人が、ガンになり、あっさり亡くなってしまう場合もありますが、その人の過去世リーディングをしてみると、原因と思われるものが出てくることがあります。(中略)  過去世で何かがあり、それが原因となって、今世で病気などが起きているのかもしれませんが、来世というものも必ずあるのですから、「来世に対し、悪いかたちで、新しいカルマの種まきをしない」ということを心掛けてください。  さまざまな環境に置かれても、そのなかで、できるだけ立派な生き方をするように努力すること、「過去・現在・未来を貫いた人生を生きているのだ」という点を忘れないことが大事です。(中略)  奇跡が起きる場合、それには、ある程度、優先順位があります。高級霊たちは、「できるだけ効果的に奇跡を起こしたい」と思っているのです。  そして、本人にも、ある種の徳が要るでしょう。この世ならざる奇跡が起きるときには、その人のどこかに「隠れた徳」があることは多いだろうと思います。  人生には、いろいろなことがあって、思いどおりにはいかないかもしれませんが、最後には、「この世だけではない」という面が、どうしてもあり、これについては、しかたがありません。  しかし、大きな意味で外れることはないのです。その人の人生が「いい人生」だったならば、きちんと、その見返りは来ます。(中略)人生には、この世だけではないところがあるので、どうか、この世とあの世を貫いて、世のため人のために、上手に生き抜いていってください」

 明るく善良に生きていても、病気になったり、それが治らない場合もあります。それは、過去世のカルマを清算するため、自ら計画して病気になることがあるからです。あの世に還れば必ず意味がわかるので、「人生はこの世限りではない」と思うことが大切です。 (参考『奇跡のガン克服法』)