拒食症

 拒食症の場合は精神的に問題があり、食べたいのに食べないということです。これは食べ物に対して異常な執着を持っている事になります。人間はあの世に行っても霊的に食べる事は出来るのですが、普通の生活をして病気や事故で亡くなった場合は食事の執着は持っていません。食事に執着を持ってあの世に行く方は、戦争や飢餓などで食べ物が無い状態で苦しんで亡くなった方が多いと思います。特に亡くなる時に食べ物で苦しんだ方は、あの世に行っても食べ物をずっと追いかけています。拒食症の方は行為としては食べていないのですが、心の中の思いは「食べたい」「食べたい」がものすごく強くなっています。そのため、飢えて亡くなった方と想いが同通するのです。どちらも「食べたい」「食べたい」と思っているので憑依されます。憑依を受けると、気持ちの抑えが効かずに爆発したようになります。もっと「食べたい」という気持ちが強くなってコントロールが出来なくなります。すると、飢えた動物のようになって食べてしまうのです。その時は動物霊も一緒になって食べているかもしれません。そして、食べ過ぎた後に罪悪感がものすごい事になります。通常の方であれば、食べ過ぎは苦しいですが、胃腸薬を飲んでおしまいでしょう。ところが、拒食症の方は痩せなければいけないと言う強迫観念があります。そのために、食べた物を吐く事になってしまうのです。そして、体には栄養が入ってこないので、当然、飢えた状態が続き「食べたい」という欲求が続くのです。これは憑依現象なので、波長が合わなくなれば外れます。しかし、本人が「痩せる強迫観念」を持っているので変えられないのです。この「痩せる」ことを考えないようにするには、自分の心の中にあるトラウマを癒す必要性があります。摂食障害の方は痩せる事に執着しているのです。普通の方が健康になるために行うダイエットとは違います。健康に痩せているのと、骨と皮ばかりになってやつれているのは意味が違います。痩せるのはキレイになるためなのに、拒食症の方は、とにかく痩せる事が大事だと考えてしまいます。これは、心の中に大きな傷があるのです。これを癒していかないと回復するのは難しいと思います。

 あまりにも痩せることへの執着が無くなってくれば、健康生活と規則正しい生活をしていけば良くなってきます。感謝の気持ちを持つ事が大事です。はじめは食べ物や命に対する感謝から始めるのがよいと思います。食物と言うのは命です。動物であれ、植物であれ、生きている事に変わりはありません。動物や植物にも魂がありますし、ちゃんと霊的な意識もあるので霊能者は話すことが可能です。喜びも悲しみも感じるのです。その動植物の命を頂いて人間は生きています。尊い命を頂いているのですから、感謝の気持ちをもつのは大事な事だと思います。日本では、昔から食事の前に「頂きます」と言いますが、これは「命を頂きます」という意味でもあり、「時間を頂きます」でもあります。素材の食品に対しては「命を頂きます」という感謝の気持ち。そして、作物を育てた方、流通にかかわった方、調理にかかわった方など、 多数の人の手を借りないとお料理を頂く事はできないと言う事に気づく事です。人間の時間は有限ですから、その中の一部の時間を使って頂いたからこそ、目の前に食事があるのです。キリスト教圏では食事の前に、神に感謝をささげます。これは、「食物を与えてくれた神」に対しての感謝です。つまり、食事が食べられるのは偶然ではなく、神に感謝して食べるのが当然だと考えられているのです。真心のこもったお料理はおいしいものです。いくら栄養があるからと言って、生肉を目の前に出されても食べにくいでしょう。これらの事は感謝してしかるべきことなのです。 食物を食べた後に吐く事は、すべての命と善意を無駄にして冒涜する行為です。人間は食べなければ生きていけませんから、食べ物に対しては感謝をし、命を頂いているという自覚が必要だと思います。しかし、だからと言って、「食べるのがかわいそう」と思うのは行き過ぎです。神様は、このような仕組みを作られたのは、人間に「感謝」という気持ちを忘れないようにするためだと思います。与えられた命に感謝をして、尊い命を与えられた自分だからこそ、よりよい生き方をしなければならないのです。頂いた命に対するお返しは、よりよい社会を作るために働くと言う事でしょう。感謝はすべての人間に必要ですが、とくに摂食障害の方には食事の感謝から始める必要があると思います。

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