子が親を養う伝統を否定し年金を作った

 社会保障のあり方を考えるにあたり、国民年金が始まった時のことを少し振り返ってみたいと思います。

 国民年金の準備委員会にいた小山進次郎氏は著書『国民年金法の解説』で、1956年の社会保障基礎調査では、高齢者の83%が家族の扶養などによって生計を維持していたことを挙げ、このように論じています。

 「これは戦後において家族制度が崩壊の兆しを見せているとはいえ、ほかに方法がないので、いわば不可逆的に家族制度の伝統に頼って問題が処理されていることを示すものにほかならない。しかもこのような解決をとらざるを得ないことが、扶養する側に立つ子およびそれに連なる妻子と、扶養される側の親との間にトラブルをかもしやすい」

 小山氏は、子供が親を扶養することは「方向から見ても誤りであるだけでなく、事実上もそれに期待することができなくなると考えてかかるべき」と指摘し、国家的な所得補償の施策が必要である、と指摘しています。

 戦後の国の施策は、むしろ家族間の扶養ができなくなる方向に進んでいました。

 戦前までの家制度では、戸主が家族の扶養義務を負っていました。長男が親の面倒を見る代わりに遺産も受け継ぐことになっていたのです。相続税は1905年に日露戦争の戦費調達のために初めて導入されました(ここでも純粋性が疑われる)が、当時の税率は1%台でした。

 戦後、GHQにより家制度が解体され、戸主が家族の扶養義務を負うことがなくなりました。相続税の税率は10%台から最高で60%台まで引き上げられました。当初は「財閥解体」が主な目的だったといいますが、1949年のシャウプ勧告では相続税・贈与税の目的に「不当な富の集中蓄積を阻止し、合せて国庫に寄与せしめることにある」と明記されています。

 その根底には、個人が一定以上のお金を持つことは「不当な富の集中蓄積」であるという考えがあったのです。これは、私有財産を認めない共産主義の思想にほかなりません。まるで「一家の財産をつくったことの罪」であるかのように税金が巻き上げられ、貧しい人に配分されることが「正義」とされたのです。

 もちろん、戦前の家制度をそっくりそのまま残すことは難しいでしょう。ただ、子供が親の面倒を見てもメリットがないという状況は、制度を変える余地があります。例えば、遺留分制度をなくして自分が築いた財産を面倒を見てくれた子供に託せると分かれば、財産処分に頭を悩ませる必要がなくなります。

 2014年時点では相続税を払う人は国民の4%でしたが、相続税の増税で今後6%以上になるとされています。相続税を撤廃して「安心してお金持ちになれる国」になれば、資産を築こうと考える人も増えますし、海外のお金持ちも日本に住みやすくなります。年金や社会保障に頼る必要がなく税金を払える人が増えれば、本当に生活に困っている人のためのセーフティネットも成立します。

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