高齢者の自立を支援

 医療や介護を充実させ、高齢者を手厚くサポートすることは、かならずしも『健康長寿』にはつながらないのです。階段や段差など、生活の中に適度な『バリア』があることが足腰の機能を保ってくれて、寝たきりにならずに済むのです。

 高齢者の自立を支援するためには、高齢者に「自分でできることは自分でやる」という姿勢を失わせないことが大切です。本格的な介護が必要ない段階から、介護保険サービスに頼りすぎることは、まだ残っている生活機能を、わざわざ失わせることにもなりかねない。生活機能を失うと、要介護度が上がり、寝たきりに近づくので、本人も家族も幸せな老後から遠ざかってしまう。 

 介護保険制度自体に問題があります。日本では、身の回りのことが自分でできなくなって「要介護度」が上がれば、その分利用できる介護保険サービスの限度額も上がります。そうすれば、介護サービスを行う施設の収入が増えるわけです。熱心にリハビリを行い「要介護度」が下がっても、施設にとってはプラスにならない。これでは、「利用者に元気になってもらおう」という意欲は湧きません。介護を受けていた方が、再び自分で自分のことができるようになったら施設の収入が上がるような仕組みが必要でしょう。

 政府も、高齢者ができるだけ自分のことは自分でやれるように後押しをすべきです。高齢者向け施設をつくるにしても、スタッフが何もかも世話をしてくれる特別養護老人ホームではなく、気の合う仲間と少人数で暮らし、お互いに助け合いながら生活する「グループホーム」を充実させた方が良いでしょう。

 現在の介護保険制度は、高齢者の要介護レベルが上がれば上がるほど、保険で利用できる介護サービスの限度額も上がる。こうした制度では、さらなる介護費の増加は避けられない。政府は、高齢者の自助努力をサポートする方向で、制度を設計し直す必要があるのではないでしょうか。

 介護は、縁ある人の最期の世話をすることで、それまで受けた恩を返す貴重な機会にもなる。もちろん、「介護離職」の問題は解決していかなければならないが、介護を施設任せにして、家族や親戚がまったく面倒を見なくなることは望ましくない。

 国や都道府県が面倒を見ることができないというのは、一見、非常に不幸なことのようにも見えますが、逆に、それぞれの家族のなかに自衛手段が働いてくるため、家族のきずなというものが深くなっていくだろうと思うのです。すなわち、子供が親を養わなければいけないような時代が、もう一度、到来するのです。

 超高齢化社会を迎えている今、すべて政府に老後の面倒を見てもらおうとするのではなく、家族で助け合う文化を復活させることも必要です。(参考 『奇跡の法』)

参考

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