医者が知らない病気の治し方

体の中身は入れ替わっている

 人間の体はおよそ60兆個にも上る細胞からできていて、日々、古い細胞が死んで新しい細胞がつくられている。たとえ外見上は変化していないように見えても、実際には、1年も経たないうちに人間の体の中身はすっかり入れ替わっている。

 このとき、新たにどのような細胞をつくるか決めているのは、必ずしも遺伝子ではなく、その人の心の持ち方によるところが大きい。その意味でも、自分の心を振り返る「反省」や「感謝」は病気を好転させる力がある。

 大学の医学部では、心の持つ力などについて教えないため、多くの医者はそれを知らないし関心もないかもしれない。しかし肉体だけではなく、心の持ち方もアドバイスできる医者がいれば、治せる病気はまだまだ増えていくに違いない。

 参考

 自分の肉体を簡単に葬られないようにするためには、強い光の思想、繁栄の思想、あるいは邪悪なるものに負けない気持ち、「真実は死なない」という強い気持ちが必要です。こういうものを持っていないと、自分を守れないこともあると思います。

 それを表立って言うか言わないかは別にしても、病気を治すほうの側としては、両方を上手に使い分ける必要はあるでしょう。両方を知って、使えるものは使って、やるべきだと思います。

 さらに、もう一つは、医学で使われる心理学が、まだあまりに幼稚なレベルです。これについては、人間学をもっともっと深く知っておかないといけないと思います。

 フロイトやユングなどの流れのなかで、医学的にも治療は行われているのだと思いますが、間違ったものも相当ある。また、病気と判定されているなかにも、いわゆる「霊障」に当たるものがかなりあることも現実です。これは、エクソシスト(悪魔祓い師)のところへ行くか、病院へ行くかの違いですが。真実をきっちり知っておいて、光のパワーによって治していくことも、同時にやらなければいけないと思います。

 病気の大部分は、本当に心の持ちようで変えていくことができます。

 「心で何を思うか」によって、人間は自分の未来を設計し始めるのです。肉体をつくるのは、もとは、やはり心です。「自分の未来をどう設計していこうとするか」ということが大きいわけです。治療をしながら、そのことを少しずつ伝えていくことが大事だと思います。

 「自分に、まだ、未来がある。将来がある。希望がある。まだ、やるべきことが残っているんだ」ということで、「自分自身で治していこう」という気持ちを本人が強く持って心に刻印し、医者がそれを手伝うという立場でやれば、病気の治りはすごく早いだろうと思います。

 たいてい、メンタルな面から崩れていっております。それで、簡単に人は死ぬものです。しかし、「まだまだやれるんだ」ということを、やはり、教えなければいけません。

 脳は肉体に付属するものであり、あくまで感情や思考を表現するための補助的な役割、車体の部分にすぎません。車に乗って、車の行き先を決めているのは、脳ではなく心であり、心こそが人間の本質なのです。この最初の認識を誤ってしまえば、何時間瞑想しようが、結局いつまでたっても心をコントロールすることはできないでしょう。

 「心の対処法」に悩む現代人に必要なのは、単なる「瞑想」ではなく、宗教の説く「心の教え」であると言えます。

 幸福の科学大川隆法総裁は、『伝道の法』で以下のように説かれておられます。

「たとえて言えば、『ハンドルとアクセルとブレーキがあって、自分という車を運転できているのだ。そして、運転している人間が「魂」といわれる部分であり、車体の部分、乗っているマイカー自体は「肉体」である。この肉体の部分に魂が宿っているのであって、これが、車を運転している人間に当たるのだ』ということになります。さらに、人間の魂のなかで、特に、考えたり、判断したりしているのが、いわゆる『心』という部分です

 この100年ほどの間、医学が目覚ましい進歩を遂げているのは事実です。抗生物質の発明によって、感染症で亡くなる人は激減。また、医療技術の向上によって、妊娠・出産時に亡くなる女性は100分の1以下に減るなど、人類は多くの恩恵を受けている。

 だが、唯物論に基づく現代医学は、「人間の本質は肉体に宿る魂だ」という真実を見落としている。これが現代医学の治療に限界をつくっていることは否めない。あくまでも肉体を「物」として捉えているため、それを治療するのに手術や薬など、物質的な手法に頼らざるを得ないのです。過剰な治療の背景には、こうした考え方の行き詰まりもある。

 一方、宗教は心の持ち方という、内側からのアプローチで病気を治すことを試みる。ならば、外側からの物質的なアプローチを中心とする医学が宗教と協調し、補完し合えば、治療効果が高まる。その意味でも、医学自体が霊的真実に目を開くことが求められる。

 特に、信仰心を持つことは、人間の自然治癒力を飛躍的に高める。神仏やあの世の存在を信じることは、死への恐怖を和らげ、あの世への旅立ちに向けて残りの人生を積極的に生き切る勇気を与えてくれる。そして、反省や感謝、他の人への愛の大切さを教える信仰は、病気という「体の設計図」を書き換える、積極的な思いの源泉となる。

 大川隆法総裁は、法話「『奇跡のガン克服法』講義」のなかで自然治癒力を高める方法について次のように説いている。

「『自分の霊体は本来、神仏からいただいた尊い命であり、完全無欠な金色の球のようなものなのだ』というイメージを持ってください」「本当の自分の姿を描く練習をすれば、いろいろな病気に対する回復力や抵抗力、あるいは改善力になってきます」

 こうした思いの力を前提とした治療が新たな常識として広まれば、過剰な投薬治療などがなくなると同時に、不治の病から回復する人も増えていくに違いない。

 

病を乗り切るミラクルパワー

 大川隆法総裁は、「病気を契機にして、自分の人生を見つめ直してみよう」と、アドバイスされた。自己中心的な生き方をしていた自分に気づいたり、他人への配慮や感謝が足りなかったことが分かったりするなど、「人生観が大きく変わる」というプラスの面があると言う。

 また、病気が治らない場合でも、そこから「神仏の計らい」を感じ取るという心構えの重要性を指摘。人間として大事にすべきは、病気をきっかけにして、何らかの悟りを得ることである。

 

本当の意味で患者を救う

 大川隆法総裁は、『不成仏の原理』で「肉体の治療は医者がしてくれますが、死後のことについては医者には分からないのが現状です。治療自体は、たいてい唯物的になされています」(第1章)と、唯物的医学の限界を指摘している。

 また、霊を認めない精神医学の無力さについても、以下のように説いている。

「霊的なものを見たり聴いたり感じたりすると、現代的には、すぐ病気にされ、精神疾患として、『統合失調症だ』などと言われます。しかし、幻覚や幻聴ではなく、本当に霊が見えている場合や霊の声が聞こえている場合があるのです。ところが、『それを治す方法がなく、家族が迷惑するので、隔離している』というケースも多く、この場合には、本人をなかなか救い切れない面があるのではないかと思います」

 医学が霊に関して無知なばかりに、病名をつけられ、隔離されて不幸になっている人が多い。同書には、亡くなる前のお迎え現象、体外離脱体験、解離性障害(犯罪時などに意識がないこと)といった医学的現象も、霊や霊界に関係があると説かれている。

 欧米の医療がスピリチュアリティを前提とし始めた中で、日本は唯物論的風潮や宗教への偏見から後れをとってきた。だが今や、大川隆法総裁が霊界の徹底証明を試みていることもあり、日本でも死後の世界や霊の存在を認める医療者が出てきている。

 これからの医学や医療は、幸福の科学が明かしている霊的知識に目を開くことで、唯物的医療の限界を突破し、本当の意味で患者を救うことができるようになるに違いない。

 「自己反省」には、想像以上にすごい力がある。大川隆法総裁は、著書『真実への目覚め』のなかで、「自分自身で自分の間違いに気づき、反省することによって、罪を消すことができます。心のなかの記録が変わっていくのです」と、反省の宗教的な意味について述べている。

 また、『心を癒す ストレス・フリーの幸福論』のなかでは、「『私が苦しんでいるのは、今世、私がこの世に命を享けた意味を教えるためのものです。私はそのことを受け入れます。主よ、御心にお任せします』という気持ちが大事なのです。受け入れたときに、浮力が湧いてきます。そのときに奇跡が訪れます」と、神仏の救いについても述べている。

 反省で自分の間違いを修正する「自力」と、神仏にすべてを委ねた時に臨む「他力」。この自力と他力の両方によって、医者には「治らない」と言われた病気が完治したり、飛躍的に症状が改善している。

 病気は偶然ではない。病気の「苦しみ」は、人生という一冊の問題集のなかで、本当に大切なものに気づくために、大きな意味を持っている。

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