『旧約聖書』について

 『旧約聖書』の創世記によると、神は次のように天地を創造した。

はじめに神は天と地を創造した

 地は形がない何もない真っ暗な世界だった。神が「光あれ」と言うと光ができた。神は光と暗黒とを分け、光を昼、暗黒を夜と呼んだ。

第2日 神は大空を創った

 水の間に大空を造り、上の水(雨)と下の水(海)とに分けた。大空を天と呼んだ。

第3日 海と大地を創り、大地に草と樹を芽生えさせた

 「地の水は1つに集まり、乾いたところが現われよ」と言った。乾いた所を”地”、水の所を”海”と呼んだ。「地は草と樹を芽生えさせよ」と言うと、草と樹が芽生えた。

第4日 太陽と月と星を創った

 神は太陽と月と星を創り、太陽に昼を、月に夜を司らせた。そしてそれらを天に配置し地上に光が届くようにした。

第5日 動物と鳥を創った

 神はそれらを祝福して言った。「産めよ、増えよ、水や地に満ちよ」

第6日 地の獣、家畜、土に這う全てのものを創った

 神は自分を象って男と女を創造した。神は人を祝福して言った。「産めよ、増えよ、地に満ちて地を従わせ、全ての生き物を支配せよ」

創世記第1章 人間の創造 

第7日 こうして天地万物は完成した

 神は仕事を離れ安息した。神は第7の日を祝福し、聖別した。

 

アダムとイヴ (Adam & Eva)

 神は天地を創造し、6日目に自分をかたどって土で人を造ったのです。そして、アダムの肋骨から女を造った。男の名はアダム、女の名はイヴ。ヘブライ語では土をアダマ、命をエバという。二人はエデンの園で暮らしていた。神は「この園にある全ての樹の実を食べても良いが、善悪の知識の木の実だけは決して食べてはならない」と言った。

創世記第2章 アダムの創造とエデンの園物語

天地創造物語の矛盾

 ある日、エデンの園を歩いていたイヴは、蛇にそそのかされて禁断の木の実(善悪の知識の木の実)を食べてしまった。イヴはアダムにも食べさせた。すると、2人は自分たちが裸であることに気づき、恥ずかしさのあまり体をイチジクの葉で隠した。

 神は約束を守らなかった罪(原罪)により、二人を楽園から追放し(失楽園)、蛇を地を這う動物とした。女には産みの苦しみが与えられ、苦労して地を耕さなければ食料を得ることができなくなった。

創世記第3章 蛇の誘惑と失楽園

カインとアベル (Cain & Abel)

 アダムとイヴにカインとアベルの2人の息子が生れた。長男のカインは土を耕す者に、次男アベルは羊を飼う者になった。ある日、カインは土からの収穫物を、アベルは羊の子を神にささげた。神はアベルのささげた物を喜び、カインのものには関心を示さなかった。

 カインは嫉妬で怒り、アベルを野に連れ出して殺した。神がアベルのことをカインにたずねると、「何も知りません。私は弟の番人ではありません。」と答えた。神は「何ということをしたのか。あなたの弟の血が、地の中から叫んでいる。あなたが土地を耕しても、もはや何も収穫できない。あなたは地上をさまよい歩く者となるのだ」と言ってエデンの東のノドの地に追放した。

 誰かに殺されることを恐れるカインに対し、神は「カインを殺す者は、7倍の復讐を受けるであろう。」といい、カインを保護する印をつけた。やがてカインは、妻を娶り、エノクという子供をもうけた。

創世記第4章 カインとアベル

創世記第5章 「アダムの系図」(セツの系譜)

ノアの箱舟

 イヴはもう一人の息子セトを産んだ。アダムから数えて10代目の子孫がノア(Noah)である。その頃、地上には悪が満ち、神は人を造ったことを後悔した。そして、地上の全てのものを洪水で滅ぼすことを決意した。神はただ一人神に従順なノアに言った。「巨大な箱舟を造りなさい。そして、あなたの家族とあらゆる動物を2頭(オスとメス)連れて箱舟に避難しなさい。」

創世記6章 ノアの世代

 ノアが箱舟に移ってから7日後に洪水が始まり、水は40日間地上を覆った。箱舟に避難したノア一族と動物以外は全て滅んだ。150日後には水が減り始め、箱舟はトルコ東部にあるアララト山(Ararat)に漂着した。ノアは舟の窓からカラスを放した。カラスは地上の水が乾くのを待って出たり入ったりした。しばらくして今度は鳩を放した。鳩はオリーブの葉をくわえて戻り、地上から水がひいたことを知らせた。

創世記第7章 洪水の記述

創世記第8章 大洪水の終わり

 ノアたちは箱舟から出て、祭壇を作り神に生贄を捧げた。神はそれを認め、2度と生き物を滅ぼさないと約束した。そして、その契約のしるしとして大きな虹をかけた。

創世記第9章 神の祝福

創世記第10章 ノアの息子から出る子孫の系図

バベルの塔

 時が過ぎ、ノアの子孫はどんどん増えた。彼らは一つの言葉を話し、シナルの平原に住んでいた。ある日、彼らはレンガを積み上げて天まで届く塔を作り始めた。神はその驕りを怒り、「彼らは一つの民で、皆が同じ言葉を話しているからこのようなことを始めたのだ」と考えた。神は、人々がそれぞれ違う言葉を話すようにした。

 塔の建設現場では、いくら話しても言葉が通じなくなり建設は中断せざるを得なかった。人々は塔を破壊し世界中に散らばっていった。こうして、世界各地にいろんな言葉を話す人々が住むようになった。この塔のあった町の名がバベル(Babel)。バベルとはバビロンのことで、混乱(バラル)が語源である。

 バベルの塔は、バビロンにあったジッグラトではないかと考えられている。ジッグラト(Ziggurat)とは古代メソポタミアで建設されたレンガ作りの聖塔のことで、シュメールの時代から建てられた。いくつかのジッグラトが発掘されているが、最大規模の遺跡はエラム王国のチョガ・ザンビール遺跡(イラン)である。

創世記第11章 バベルの塔

アブラハム Abraham

 ノアの息子セムから数えて10代目のアブラハムは、メソポタミアのウル(Ur:ユーフラテス川の河口近く)に生まれ、ハラン(Harran:現トルコ)に移り住んだ。ある日、神は「私が示す地に行きなさい。」とアブラハムに指示した。アブラハムは妻のサラや甥のロトとともに旅立った。一行がカナンに入ると神が現れ、「あなたの子孫に、この地を与える」と言った。

 その後、カナンは飢饉に襲われ、一行はエジプトに避難した。アブラハムの妻のサラは絶世の美人だった。アブラハムは彼女をめぐってもめごとが起こることを恐れ、サラに自分の妹であると偽らせた。ファラオはサラを見初め、宮廷に招き入れた。神は怒りファラオに災難を下した。ファラオは事実を知り、サラをアブラハムに返してカナンに送り出した。

 アブラハム一行は多くの牛や羊を持っておりカナンは手狭になったため、別れて暮らすことになった。アブラハムはカナンに、ロトはヨルダン川流域のソドムに移り住んだ。

『旧約聖書』創世記第12条 アブラハムの召命

カナン Canaan・・・聖書には「乳と蜜の流れる地」と記されている。神がアブラハムの子孫に与えると約束したことから、約束の地と呼ばれる。  

 アブラハムが生まれたウルはイラク南部といわれているが、イスラム教ではトルコのウルファとされている。ウルファのアブラハム生誕の地にモスクが建てられている

 

ソドムゴモラ(Sodom and Gomorra)

 死海周辺にソドムとゴモラという町があった。この町は悪と腐敗にまみれており、神は町を滅ぼす決心をした。アブラハムは、「町に正しい者が10人いれば、町を滅ぼさないでください」と訴えた。神はその願いを聞き入れたが、ロトの家族以外に正しい者は一人もいなかった。

 神はロトに、「妻と2人の娘を連れて町から逃げなさい。またどんなことがあっても決してうしろを振り向いてはならない」と告げた。ロトとその家族が町を脱出すると、神は、天から硫黄の火を降らせて、ソドムとゴモラを滅ぼした。ロトの妻は逃げる途中でうしろを振り向いてしまい、塩の柱になってしまった。

 ロトの二人の娘は、ロトの子を身ごもりモアブ(モアブ人の先祖)とベン・アミ(アンモン人の先祖)を産んだ。

 

イサク(Isaac)

 アブラハムと妻サラの間には子供ができなかった。サラはエジプト人の女奴隷ハガルと子供を作るように薦め、イシュマエル(イスマーイール)が生まれた。その後、90歳のサラにもイサクが生まれた。ハガルとサラの戦いが始まり、アブラハムはハガルとイシュマエルを追い出した。そのイシュマエルの子孫たちがアラブ人であるといわれている。

 ある日神はイサクを生贄に捧げるようにアブラハムに命じた。苦悩するアブラハムはモリヤの山に登り、祭壇を作ってイサクを屠ろうとした。その瞬間、神の言葉が響く。「その子に手を下すな。お前が神を畏れる者であることがわかった。お前の子孫を天の星のように、海辺の砂のように増やそう」。アブラハムとイサクは祭壇に薪をくべ、牡羊を捧げた。

 アブラハムは下僕エリエゼルにイサクの妻を探すように命じた。エリエゼルは旅の途中の井戸端で祈った。「私とらくだに水を飲ませてくれる女性をイサクの嫁とさせてください」。井戸に水を汲みに来た多くの女性の中で、美しい娘リベカ(Rebecca)がエリエゼルとらくだに水を与えてくれた。リベカはイサクの妻となり、エサウとヤコブの双子の息子を産んだ。

 

ヤコブ(Jacob)

 イサクはエサウの方を愛し、エサウを後継ぎに決めた。イサクはエサウを祝福したが、祝福を受けたのはエサウのふりをしたヤコブであった。エサウは激怒した。ヤコブは母リベカの兄のラバンのもとへ逃げた。

 ラバンにはレア(Leah)とラケルの二人の娘がいた。ヤコブはラケルの美しさに心を奪われ、7年間の無償労働を条件に結婚を許された。7年後の婚礼の夜、ラバンはヤコブをしたたかに酔わせ、レアのベッドに連れ込んだ。レアはヤコブの最初の妻になった。翌朝ヤコブは結婚相手がラケルでないことに気付き、問いただした。ラバンは、「さらに7年間働けばラケルとの結婚も許す」と言った。7年後、ラケルはヤコブの2番目の妻となり、ヨセフを産んだ。

 神はヤコブに故郷に帰るように告げた。ヤコブは家族を連れて兄のところに向かった。その道中、何者かがヤコブに襲いかかり、夜明けまで格闘した。その人はヤコブには勝てず、「お前は神を打ち負かしたのだから、これからはイスラエルと名乗るように」と言ってヤコブを祝福した。  ヤコブ・イスラエル

 ヤコブはエサウと再会し和解した。

 旧約聖書の物語を辿っていくと、ヤコブはノアの方舟(はこぶね)で有名なノアの子孫にあたる。

  ノア → セム → アブラハム → イサク → ヤコブ

 ヤコブにはエサウという双子の兄がいた。兄のエサウは狩猟を、弟のヤコブは家畜の飼育を仕事としていた。ある時、ヤコブはエサウを騙して長子の特権を取り上げてしまったために兄から命を狙われることになる。兄から逃れるために、伯父であるラバンのもとに身を寄せようとしたヤコブは道中で不思議な夢を見る。その夢は梯子を上り下りする天使の夢であった。そして、ヤコブはその夢の中で神の声を聞き、自身の一族が繁栄していくことを知る。ラバンのもとで20年間暮らし、子供をもうけたヤコブは故郷であるカナンへ帰る決意をする。そして、その途中で天使と朝まで格闘した。格闘が終わると、天使は「神と戦い強さを示したのだから、名をヤコブからイスラエルへ変えよ。今後はあらゆる人と戦って勝つだろう。」といった。ここで初めてイスラエルの名が登場する。イスラエルとなったヤコブには12人の子供が存在し、それらの子孫がイスラエル12支族の始祖であると同時に、イスラエルという国の名前が誕生した。イシャラー Isra(勝つ者)とエルel(神)の2つを合わせてイスラエルIsrael(神に勝つ者)という意味である。

 

ヨセフ(Joseph)

 ヤコブには12人の息子がいて、その息子たちがイスラエル12部族の祖、つまりユダヤ人の祖となった。彼は末っ子のヨセフをかわいがった。兄たちはこれをねたみ、ヨセフを奴隷商人に売り飛ばした。ヨセフはエジプトに連れて行かれ、ファラオの侍従長の奴隷となった。ヨセフは侍従長に気に入られたが、侍従長の妻の誘惑を拒否したため、無実の罪で投獄された。

 2年後のある日、ファラオは「七頭の痩せた牛が、七頭の肥えた牛を食べつくす」という夢を見た。その夢の謎を誰も解き明かすことができなかったが、ヨセフが解き明かした。「今から7年間エジプトは豊作だが、その後7年間は飢饉が続く。豊作の間に飢饉に備えよ」。

 ファラオは感心し、ヨセフを宰相に抜擢した。予言通り、すべての国が飢饉に襲われた。しかし、エジプトには穀物が豊富にあり、世界中の人々が集まってきた。その中にヨセフの兄たちもいた。ファラオは、一族を呼び寄せるように勧め、一族はそろってエジプトに移住した。その後イスラエルの子孫達はエジプトで奴隷にされ、400年後にモーゼに率いられてエジプトを脱出する。

 

モーゼ

 BC13世紀、エジプトにユダヤ人の夫婦が住んでいた。ある日、妻のヨケベドは美しい男の子を出産した。その頃エジプトではユダヤ人は嫌われ、生まれた赤ん坊は全て殺すように命令されていた。

 ヨケベドは産まれたばかりの我が子をパピルスの籠に隠してナイル川に流した。その籠を川遊びをしていたファラオの娘が拾った。赤ん坊はモーゼ(川から引き上げた子)という名を付けられ、宮廷で王家の子として育てられた。ヨケベドは秘かに乳母に雇われることができ、モーゼに乳を与えることができた。モーゼの姉がミリアムで女性名マリアの語源。

 成人したモーゼは、自分の生い立ちを知った。ある日、工事現場で鞭打たれているユダヤ人見た。彼を救おうとしたモーゼは、誤ってエジプト人を殺してしまう。モーゼは、シナイ半島の遊牧民ミディアン人のもとに逃げた。 ここでツィポラという娘と結婚し子供もできて平和に暮らしていた。

 ある日モーゼはシナイ山のふもとで羊を追っていた。すると燃える柴の中に神の使いが現れ、近寄るモーセにささやいた。「エジプトに帰り、イスラエルの民を救え。そして、約束の地カナンに連れて行くように」

 モーセは妻子を連れてエジプトに戻った。エジプト王に神の言葉を告げたが、聞き入れられなかった。困ったモーゼは神に相談し、10の災害をエジプトに下した。

1

ナイル川の水を血に変え、魚を殺し水を飲めなくする

6

膿を出す腫物を流行らせる

2

カエルを異常発生させる

7

雹で畑の作物を全滅させる

3

ブヨを異常発生させる

8

イナゴを大発生させる

4

あぶを異常発生させる

9

3日間エジプト中を暗闇にする

5

疫病で家畜を殺す

10

初子は人も家畜も全て殺す

 10番目の災害を起こす前に、神はモーゼに告げる。「子羊の血を門柱に塗りなさい。私はエジプト中の初子は全て殺す。しかし、血の塗られた家は過ぎ越していくだろう」

 

出エジプトと十戒

 10の災害はエジプト王を震え上がらせ、ユダヤ人がエジプトを出ることを許した。モーゼは200万人のユダヤ人を連れてカナンの地に向かう。BC1250年のことである。

 エジプト王はエジプト脱出を許したことを後悔し、ユダヤ人を皆殺しにすべく軍勢を率いて追跡した。前方には葦の海、背後にはエジプト軍と、絶体絶命の危機に陥ったその時奇跡が起こる。モーセが、海に手を差し伸べると、神は強い東風で海を二つに分け道を作った。ユダヤ人達がその道を通って渡り終えると海は閉じられ、追ってきたエジプト軍は海に沈んだ。 これが葦の海の奇跡である。

 エジプト脱出の日から3ヵ月が経ち、モーゼ一行はシナイ山のふもとにたどり着く。神はシナイ山の山頂でモーセに十戒を授けた。

1

他の神を信じてはならない

6

殺してはならない

2

偶像を作ってはいけない

7

姦淫してはならない

3

神の名をみだりに唱えるな

8

盗んではならない

4

週の7日目を安息日とせよ

9

偽証してはならない

5

父母を敬うこと

10

人の物を欲しがるな

 

ユダヤ民族

 下山したモーセは、神から授かった掟を民に伝え誓わせた。そして再び山頂に戻り、40日間にわたって神から細かい指示を受け、掟を記した2枚の石板を授った。

 モーゼが山を降りると民たちは黄金で作った子牛を神として礼拝していた(金の子牛)。神が禁じた偶像崇拝を行うことは、神への裏切り行為である。モーゼは激怒し、2枚の石板を子牛に投げつけて破壊した。そして、偶像崇拝に加担した裏切り者3,000人を処刑した。モーゼは再度40日間シナイ山にこもり、新たな石板を持ち帰った。

 モーゼ達は1年間シナイ山のふもとで過ごし、カナンに向かった。そこには強力なペリシテ人が住んでいた。彼らに怖気づいた一行は、新しい指導者をたててエジプトに戻ろうとした。これに神の怒りが爆発し、再び荒野に引き戻され、40年間放浪させられた。そこで多くの試練を克服した彼らは、強靭な精神と信仰を強めていった。

 モーセはヨルダン川の手前のネボ山に登り、カナンを目の前にしてこの世を去った。120歳だった。後継者にはヨシュアが指名された。モーゼは、奴隷に落ちぶれたユダヤ人(ヘブライ人)を解放し、一つの民族にまとめ上げて約束の地に導いた。

 

カナンの地

 BC1405年、ヨシュアはヨルダン川の西の町エリコを攻略した。ヨシュアは死ぬまで戦い続け、占領したカナンの地を12の部族に分け与えた。BC1390年、110歳の生涯を終えた。

 彼の死後、士師と呼ばれる人々が指導的役割を果たした。イスラエル王国が成立する前のヨシュアからサムエルまでを士師時代という。この時代、外敵からの攻撃にさらされ、英雄サムソンなどが活躍した。

 

イスラエル王国

イスラエル王

 ヨシュアの死後、デボラ、ギデオン、サムソンといった指導者がユダヤ人を統率した。彼らは士師と呼ばれ、軍事的指導者であり預言者でもあった。  デリラに髪を切られたサムソンは目をえぐられて奴隷となる。しかし、徐々に髪が伸びてきて怪力が復活し、ペリシテ人の神殿を押し倒して崩壊させた。

 最後の士師がサムエルで、部族を統合してイスラエル王国を建国、サウル(Saul)を初代の王に指名した。

 サウルはペリシテ人の巨人ゴリアテ(Golyat)との戦いに苦しむが、羊飼いの少年ダビデがゴリアテの額に石を命中させて倒した。ダビデの人気は高まり、それに嫉妬したサウルは暗殺を企む。危険を感じたダビデはイスラエルを脱出した。やがてサウルはペリシテ人との戦いで戦死し、ダビデは国に戻った。

 

BC1004~965

 ダビデは12の部族をまとめてイスラエル王となり、エルサレムを首都に定めた。妻はサウルの娘ミカル。彼はペリシテ人を破り、イスラエルを強カな国家に作り上げた。外交や軍事手腕に優れ、音楽や詩の才能にも恵まれ、イスラエル史上最大の賢王と讃えられている

 ダビデは多くの妻をめとった。その中にバテシバ(Bathsheba)がいた。バテシバはダビデの部下のウリヤの妻だった。彼女の入浴姿を偶然見てしまったダビデは一目惚れし、関係を持った。彼女は妊娠し、困ったダビデは彼女の夫を前線に送り出し戦死させた。不義を犯したダビデは神の怒りにふれ、息子を次々と失った。しかし、バテシバとの間に生まれた第2子ソロモンは成長し後継者となった。

 ダビデはイスラム教においても預言者の1人に位置づけられている。英語圏の男性名デイヴィッド(David)は彼の名に由来する。

 

BC965~

 イスラエル王となったソロモンは、近隣王国と条約を交わし、政略結婚を重ね、王国を世界の強国に育てあげた。また、銅の採鉱や金属精錬などの事業を進め、イスラエルに莫大な富をもたらした。

 ある夜、神がソロモンの夢枕に立ち、願い事は何かと尋ねた。ソロモンは、国をうまく治められるように知恵を望んだ。神はそれを認めた。彼はエルサレムのモリヤの丘に壮大なエルサレム神殿(第一神殿)を造営し、十戒の石版を安置した。

 シバの女王(Sheba)は、ソロモンの物語に登場するアラビアの女王である。シバは南アラビア(イエメン)あるいはエチオピアにあった国の名。シバの女王はソロモンが非常に賢明な王であると聞き、難問を出して彼を試した。しかし、ソロモンはその全てに正解したという。

 ソロモンによって国は大いに繁栄したが、国民は労役や重税に苦しんだ。また、自分の出身部族ユダ族を優遇したため部族間に不満が鬱積していった。

 

南北王国時代

 ソロモンが亡くなると息子のレハブアムがあとを継いだが、北イスラエルの10部族が反乱を起こし、北のイスラエル王国と南のユダ王国に分裂した(BC922年)。ユダ王国はヤコブとレアの子供であるユダを始祖とする部族で、ユダヤの語源である。

 両国はアッシリアやエジプトの脅威にさらされた。BC721年、イスラエル王国はアッシリアのサルゴン2世に減ぼされ、北イスラエル10部族の民は奴隷としてアッシリアに強制連行された。10部族は歴史から姿を消した。

アッシリアの将軍ホロフェルネスの軍勢がユダヤの町ベトリア(Bethulia)を包囲した。町は水源を断たれ降伏寸前に追い込まれた。この町には絶世の美人ユディト(Judith)が住んでいた。彼女は信心深く、貞淑な未亡人だった。彼女は町の危機を救うため、美しく着飾り召使いを連れて敵陣に乗り込んだ。

 将軍ホロフェルネスはユディトを一目見てその美しさの虜になった。「お前は何しに来たのだ?」「偉大な将軍の力になるようにと、神がお導きになりました」将軍は、彼女の美しさと巧みな話に気を許し酒宴を催した。そして、彼女を誘惑しようとチャンスをうかがっていたが、不覚にも飲みすぎて眠りこけてしまった。ユディトは神に力を与えてくれるように祈り、将軍の短剣を奪って首を切り落とした。町は救われた。

 彼女の話は旧約聖書ユディト記に記されている。(彼女はトランプのハートのクイーンのモデルになっている。)

 

捕囚(Babylonian captivity) BC586~538

 ユダ王国は、アッシリアの従属国家として存続した。アッシリアの崩壊後のBC597年、新バビロニアのネブカドネザル2世がユダ王国を征服し、王や有力者をバビロンに連行した。これが第1回目のバビロン捕囚(Babylonian captivity)である。

 BC586年、バビロニアに反旗を翻したユダ王国は再度攻め込まれた。神殿は破壊され、住民全員が連行される2回目のバビロン捕囚が行われた。これによりユダ王国は完全に滅び、ユダヤ人は国を失った。

 バビロン捕囚は、ユダヤ人離散の始まりだった。それまで宗教の中心だった神殿がなくなり、それに代わるものとして、安息日の遵守、割礼とカシュルート(食事戒律)を守った。バビロニア捕囚により、ユダヤ教が体系化され、ユダヤ民族はどんな試練にも耐える強靭な信仰心と団結力を持つようになった。

 BC539年、ペルシャ帝国のキュロス大王はバビロニアを征服し、ユダヤ人を解放した。エルサレムに帰還したユダヤ人は、破壊された神殿跡に第2神殿を建設した。

 その後、アレクサンドロスのマケドニア、続くシリアの支配を受ける。BC63年、ポンペイウス率いるローマ軍がシリアを破り、ローマがユダヤの支配者となる。ローマはユダヤ属州として統治し、ユダヤ人の自治を許した。

 この頃ハスモン朝がユダヤを支配していたが、不安定で内紛が絶えなかった。BC44年にカエサルが暗殺されると、ヘロデ大王がカエサルの部下アントニウスのローマ軍とユダヤに戻り、ユダヤの王となった(ヘロデ朝)。ヘロデはローマと協調する政治を行い、港湾都市カイサリアや要塞マサダを建設した。また、BC20年には、ソロモン時代を上回る規模で神殿を改築した。

 ヘロデ大王の息子の嫁がヘロディアで、その娘が洗礼者ヨハネの首を求めたサロメである。

 

ユダヤ人の離散

 ヘロデ大王の死後、ユダヤはローマの直轄領となった。しかし、ユダヤ人のローマに対する反感は高まり、AD66年に大反乱が勃発した。皇帝ネロは軍団を派遣したが、68年にネロは自殺し戦線は膠着する。70年にティトゥスが派遣され、エルサレムを占領し、神殿は再び破壊された。現在残っている嘆きの壁は神殿の西側の部分である。ローマにはティトゥスの凱旋門が作られた。

 エルサレム陥落後も967人のユダヤ人はマサダ要塞(Masada)に立てこもって抵抗した。3年の籠城の末、マサダは陥落、籠城したユダヤ人は集団自決した。

 その後、132年にも反乱が発生した。バル・コクバ(Bar Kokhba)率いる反乱軍は一時ユダヤの独立を達成したが、135年にはローマに制圧された。ユダヤ人の統治に手を焼いたローマはユダヤ人を離散させた。

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