評価の難しいルーズベルト

 先の戦争の指導者で特に評価が難しいのは、アメリカ大統領だった フランクリン・ルーズベルト です。

 ルーズベルトは日本に原爆を落とす計画を進め、日本各地への空襲も遂行した。合計で50万人以上の民間人を大量虐殺している。ルーズベルトには日本人に対する人種差別感情があったので、ヒトラーのユダヤ人虐殺に匹敵する日本人虐殺が行われた。差別感情は、ユダヤ人を大量虐殺していたドイツに対しては原爆を使わなかったことにも表れている。

 ルーズベルトが敵意をむき出しにして日本を叩きのめしたために、戦後、中国では共産党政権が誕生し、ソ連が超大国として台頭した。この二つの無神論国家が国内外で人権弾圧を繰り広げ、何億人という単位で生命が奪われた。先の戦争では、日本がソ連と中国共産党の拡張を抑え込んでいたが、戦後はアメリカが代わって軍事的に対決せざるを得なくなった。これは明らかにルーズベルトの失政です。

 それでもルーズベルトは天国に還っているとされる。それは、戦後、「アメリカの世紀」が訪れ、共産主義陣営と戦いながら、西側諸国に自由と繁栄をもたらしたからです。日本もその恩恵に浴した。ルーズベルトに対する評価はやはり難しいものがある。

ルーズベルト大統領は本当に「正義の味方」か

 一方、ルーズベルトの原爆投下計画を引き継いで、原爆を世界で初めて使ったトルーマン元大統領は、その自責の念のために地獄にいることが分かっている。

 ルーズベルトのアメリカと共にドイツと戦った、イギリスのチャーチル元首相はどうでしょうか。チャーチルは、先の戦争で最もマキャベリ的な権謀術数を駆使した人物です。スターリンのことを”生きた悪魔”と見抜きながら英米側に引き込み、ドイツをはさみ撃ちにした。イギリス国民に今でも国を守った英雄として尊敬されており、天国に還っているという。

 

政治指導者を評価する基準とは

 特定の政治指導者の仕事がよかったのか悪かったのか、見極めることは難しいものがある。

 幸福の科学大川隆法総裁は、政治指導者の業績を判定する基準について、以下のように述べておられます(ザ・リバティ1999年9月号「国民を導く指導者像とは」)。

「第一の判定基準は、無私であるかどうかということです。これは、自分の立場を自分のために使っているのか、それとも、『人々のために』という気持ちで使っているのかということです。

 別の言葉でいえば、その行動が利己のためのものか、利他のためのものかということです」

「第二点の判定基準は、その人が行った政治的、軍事的行動が、ほんとうにユートピア社会実現のための貢献になっているかということです。

 これを判定するのはきわめて難しく、歴史家にも充分には分からないかもしれませんが、結局、長い歴史の流れで見るしかありません」

「第三に判定されるべきことは、後世への遺産の部分です。『後世に対して、どのような精神的遺産を遺したか』。これがチェック基準です」

「政治や軍事の英雄は、以上の三点ぐらいでチェックされます。しかも、それぞれについて、イエス・オア・ノー だけではなく、グレード(段階)があり、総合点が出て判定されることになります」

 第一の基準は、利他的な動機を持っているかどうか。公のための志と言ってもよいかもしれない。

 第二は、その結果として人々が幸福になったかどうかということでしょう。「政治は結果責任」とよく言われるが、政治家や経営者は、国を衰退・滅亡させたり、会社を倒産させたりしたら、それ自体で「悪人」として扱われることもある。いくら動機が利他的で無私なるものであっても、国民や社員を路頭に迷わせたとあっては、指導者としては”落第”ということなのです。

 第三の「後世への精神的遺産」というのは、言い換えれば、後世の人たちがその人物の徳を偲んで、尊敬や感謝の思いを持ち続けているかどうかだと言える。指導者としての徳と言ってもよい。

 日本の場合、近代においても偉人と言われる人たちの神社を後世の人たちが建てることがある。戦争に勝って国を守った軍神的な存在では、明治天皇や東郷平八郎などがそうだし、吉田松陰も同じような位置づけかもしれない。繁栄の神様としては、今も二宮尊徳などが信仰を集めている。

 この三つの基準は、政治指導者が死後に天国・地獄のどこに赴くのかを決める基準だとある程度考えてよいでしょう。

 ヒトラーの霊言で、ヒトラーの霊が語った「成功すれば『英雄』で、失敗すれば『悪魔』」というのは、あえて言えば、第二の「結果」が良ければ、第一の「動機」や第三の「徳」は無視してよいということ。

 指導者としては、やはり欠けたものがあると言わざるを得ない。

 

歴史認識の見直しで、天国と地獄が逆転?

 第三の「後世への精神的遺産」、つまり、特定の政治指導者に対する後世の人たちの尊敬や感謝の思いが大きく変化していくならば、その人物の天国・地獄の位置づけも変化すると考えるべきです。それが現に起こっている気配がある。2014年10月に行われた霊言で、F.ルーズベルト大統領とみられる霊は、先の戦争の歴史認識問題にからんで以下のように述べている「だからねえ、おまえらは、今、『神』を『悪魔』に変えようとする運動をやってるのだよ。神を悪魔にしようとしてるんだ」(『広島大水害と御嶽山噴火に天意はあるか』より)。

 つまり、歴史認識が見直されることによって、自身が天国から地獄へと堕とされ、悪魔になってしまうと語っている。日本の民間人を大量虐殺したり、戦後の共産主義圏の災厄を結果的につくり出したりして、多くの人々の不幸を生んだ責任が大きい。

 そのルーズベルトの「罪」の部分について、今、地上で生きている人たちが認識するようになることによって、ルーズベルトが「神から悪魔に変わる」ということなのでしょう。

 こうした天国・地獄の”逆転”現象は、中国の毛沢東にも言えそうです。

 何千万人という国民を粛清した「罪」は国民にほとんど知らされていないため、今のところ、「建国の父」として尊敬を集めている。しかし、毛沢東のやったことがすべて明らかになったとき、霊界での位置づけは大逆転していくことでしょう。

 さらには、逆に地獄から天国へ上がるパターンもあり得る。

 東條英機元首相に対しては、これまで、戦死者の霊の恨みの念や現代の日本人の責任追及の思いが集中してきた。このために地獄にいるわけだが、歴史認識の見直しが進み、「日本は犯罪国家ではなく、アジア解放のために戦った。東條はそのリーダーだった」という見方が常識になれば、東條英機も”浮かばれる”ことになる。

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