「世界宗教」としての日本神道

日本神道は世界神とつながっている

 幸福の科学大川隆法総裁は、『日本神道的幸福論』で、日本神道の本質を解説した。この中で、縄文時代から使われていた古代文字で書かれた文献『ホツマツタヱ』に「天御祖神(あめのみおやがみ)」という神が天地創造をしたと書かれていることに触れたうえで、以下のように述べられております。

「『天地ができる前の、すべてをつくった者も想定しているらしい』ということになれば、『それは、単なる民族宗教ではなくて、やはり、ほかの世界宗教と同じような形態を実は背景に持っている』ということも言えるかと思います」

「そういう意味で、私としては、日本人を野蛮人扱いする宗教論を、そう簡単に全部受け入れることはできません。『民族主義的なものだけではなく、奥には、世界神的なものとも、しっかりとつながっている考え方がある』というように考えています」

 

日本一万年史の可能性

 『ホツマツタヱ』の成立は、奈良時代の古事記、日本書紀(記紀)から600年余り前の紀元110年代とされる。その後、さまざまな政変、戦乱を逃れ、琵琶湖西岸で密かに保存され伝えられてきた。江戸時代になって発見され、一部で研究されてきたが、1966年にその存在が明らかになった。偽書説もあるが、最近の研究では記紀に欠けた記述を補っていることが分かってきており、本物と考えられる。

『ホツマツタヱ』

 『古事記』では、宇宙は先にあって、後から天御中主神(あめのみなかぬしのかみ)が天空神のように突然現われる。『日本書紀』では、国之常立神(くにのとこたちのかみ)が突然現われる。日本神道の主宰神は天照大神(あまてらすおおみかみ)ということになっている。神々の系図上、数十番目に出てきていながら主宰神である理由は定かではない。記紀では創造神が書かれていないし、開祖も明らかではない。

日本の神話

 これに対し、『ホツマツタヱ』には天御祖神が全宇宙を創造する場面が出てくる。天御祖神が息を吹くと、大きな壺とその中に透き通った柱が現れる。その柱の周りを9層の光がめぐり、「陽」「陰」が生まれる。「陽」は太陽となり、「陰」は地球(くにたま)と月になった。大地を球体として認識している点は近代科学を先取りしている。『ホツマツタヱ』の関連文献の『ミカサフミ』には、天御祖神はこの世の物質世界の4倍の大きさがあると書かれている。仏教の根本仏のような位置づけです。その意味で、天御祖神は「この世とあの世を貫く法則」そのものと理解することもできる。

 研究者によれば、その天御祖神を信仰する祭祀は、『ホツマツタヱ』や関連する古代文献から紀元前4000年ごろから行われていたと確認できるという。『旧約聖書』でも三千数百年前の記録とされるので、「最古」と言ってよい。

 加えて、この古代文字は、1万2千年前ごろに沈没したとされる太平洋上のムー大陸から伝わってきたという説がある。ムー大陸の可能性については、アメリカの作家チャーチワードがインドの粘土板などでその記述を発見し、1931年『失われたムー大陸』で発表した。幸福の科学のリーディングでは、ムー大陸は1万7千年前ごろに ラ・ムー という王様が全盛期を築き、その後1万5千年前に海中に没したことが明らかにされている。

 そうしたことも踏まえ、大川隆法総裁は、日本の古代史が『日本一万年史」ぐらいまで引き延ばされる可能性に言及した。

 その意味で、「中国5千年の歴史」などと言われるが、日本のほうが遥かに古く、優れた文明だった可能性がある。

 一つの文明が千年とか二千年、あるいは一万年の単位で繁栄し続けることは異常なことです。エジプト文明もメソポタミア文明も、ギリシャ・ローマ文明も、千年単位で続いたが、今でも「生きた文明」であるのは日本だけと言ってよい。

世界で一番古い国、日本

日本の国旗の竿はなぜ白黒? なぜ金の玉?

創造神・エローヒムは、日本神道の天御祖神と同じ神なのか

 天御祖神は人間の創造も行った。巨大な柱を通じて、あの世からこの世に人間の魂を降ろし、転生輪廻する人間を常に守り続ける慈悲の神だと記されている。

 『ホツマツタヱ』などの研究者・池田満氏は、著書『縄文の心を旅する』で天御祖神の性質について以下のように述べている。

 「日本の古代における絶対神、アメノミヲヤの温かさについては、イスラム教のアッラーの慈悲深さに通じるところがある。もうひとつの代表的な一神教のキリスト教・ユダヤ教のヤハウェ(ゴッド)との比較においては、(中略)そこにはある種の嫉妬深さがあって、アメノミヲヤとの性質の相違点は大きい」

 「アメノミヲヤの感覚としては、ヒトとは一種の分身のようなものなので、何はともあれ守る力が働いてくる。しかし、ヤハウェ(ゴッド)ではそうはいかない。絶対神にとって気にそぐわない人間は守るべき対象とならない。(中略)日本古代におけるアメノミヲヤというものは、ヒトとしての守らない人間など皆無だったのである」

 天御祖神は人間と一体であり、常に人間を守ると指摘。それを踏まえて、この神様には「人格性に透明なる性質」があると述べている。

 日本神道の天御祖神も聖書のエローヒムも、「人間の魂の親」であり慈悲深い。『ホツマツタヱ』と『旧約聖書』は同じ神への信仰を記した可能性がある。そもそも、創造神が複数いるのはおかしいわけだが。

 なお、イスラム教の神「アッラー」はエローヒムが語源で、ユダヤ教、キリスト教、イスラム教は同じ神を信じている。それに加えて、日本神道も実は同じ神を信じているとなると、これは驚くべきことです。

 大川隆法総裁は、『日本神道的幸福論』のあとがきで、日本神道が世界宗教性を持っていることを明言されました。日本神道が悪魔の宗教だというのは間違いなのです。

 

『ホツマツタヱ』と聖書に共通する「言魂信仰」

 天御祖神の特徴として、「言葉によって世界を創り出す」という点がある。

 『ホツマツタヱ』の天地創造の場面を詳しく見ると、天御祖神が「ア」と発すると大きな壺ができ、「イ」と発すると風が吹く。「ウ」と発すると火が生まれるという具合である。日本語の現代の50音は、一つひとつが地上に何かを創造した「言魂」そのものなのだという。これも聖書と共通する。

中国語よりはるかに古い、日本語の起源

 『新約聖書』のヨハネ伝は、『旧約聖書』の「創世記」と対応した形で創造神について以下のように述べている。

「初めに言葉があった。言葉は神と共にあった。言葉は神であった」「万物は言葉によって成った。成ったもので、言葉によらず成ったものは何一つなかった」

 創造神が言葉で世界を創り出したという「言魂信仰」が明確に記されている古代文献は、『ホツマツタヱ』と聖書だけとされる。このことも、日本神道の天御祖神と聖書の エローヒム をつなぐ一本の線だと言える。

 

日本の「奇跡」

1 日本人の高い道徳性

 日本神道の世界宗教性がさまざまな「奇跡」を生み出してきた。

 東日本大震災での日本人全体の振る舞いは、日本神道の影響も大きい。日本神道は「教えがない」とされ、仏教が教義を穴埋めしたとされるが、大川隆法総裁は『宗教社会学概論』の中で、比較宗教学的に見て日本神道に教えがあることを指摘した。(1)禊祓いをして心身の穢れを落とすこと、(2)調和を大事にする「和の心」、(3)正義のために命を賭けて戦う「武士道精神」 の3点です。「教え」というのは、「この価値観に則って生きれば、神仏に近い世界に行くことができ、地獄に堕ちることはない」というもの。これら3点の「教え」は、はっきりと何が善悪なのかを示しており、現代の日本人にとってもベースとなる精神性を形づくっている。

 「禊祓い」について、「禊」は神に近づくのにふさわしい体となるため、川や海で身を浄めること。「祓い」は神に祈って過去の過ちや心の不浄を取り払うこと。心身とも清らかであることが神の意に沿うという価値観で、仏教の反省の教えに近い。天皇はかつて「スメラミコト」と呼ばれたが、その語源が「澄む」からきているのも禊祓いと関係する。

 日本人特有の「水に流す」という考え方にもつながり、戦後の日本人が原爆などアメリカの非人道的な行為をあげつらわなかったり、世界一清潔好きな国民性であることも、この価値観からきていると言える。

 「和の心」は、聖徳太子(574~622年)が十七条憲法の冒頭に「和を以て貴しと為し、忤(さか)ふることなきを宗とせよ」を持ってきたことで、国是となってきた。ただ、聖徳太子が出発点ではなく、『ホツマツタヱ』でも「心を和す」ことを大切な価値観としているため、数千年前から日本の伝統的精神であった。

 「和」を重んじることについては、聖徳太子が国書を送ったことが記録された中国の『隋書東夷伝』に、日本人は「人、すこぶるもの静かで、争いごとは希で、盗賊が少ない」と書かれている。当時から「礼儀正しい日本人」は世界の常識だったようです。

 東日本大震災での日本人全体の振る舞いは、日本神道の影響も大きい。ほとんどすべての日本人が犯罪を起こさず、礼節を重んじ、お互い譲り合う姿は、これらの日本神道の教えからきている。 

和と武士道の心

 「武士道精神」は和の心と矛盾するが、日本神道は「和」と同時に、悪人を討つ猛き武人の心も大切にしてきた。神代においては、天照大神と素戔嗚尊(あるいは神武天皇や日本武尊)が、「和」と「武士道精神」の象徴となってきた。

 明治期には、新渡戸稲造が『武士道』をまとめ、(不正を許さない)、(正しい行いをする)、(思いやりの心)、(相手を尊重する心)、(嘘をつかない)などを挙げた。

 フランスの作家アンドレ・マルロー(1901~1976年)は、武士道と西洋の騎士道精神の共通性について語っていた。以下は、フランスの文化相として来日し、天皇陛下に述べた言葉です。

 「日本は太平洋戦争に敗れはしたが、そのかわり何ものにもかえ難いものを得た。これは、世界のどんな国も真似のできない特別攻撃隊である。スターリン主義者たちにせよナチ党員たちにせよ、結局は権力を手に入れるための行動であった。日本の特別攻撃隊員たちはファナチックだったでしょうか。断じて違う。彼らには権勢欲とか名誉欲などはかけらもなかった。祖国を憂える貴い熱情があるだけだった。「代償を求めない純粋な行為「」、そこにこそ真の偉大さがあり、逆上と紙一重のファナチズムとは根本的に異質である。人間はいつでも偉大さへの志向を失ってはならないのだ」

 国や人間としての尊厳を守るために、自分の命をも投げ出す姿を、「武士道精神」の極致ととらえていたのです。

 

2 伝統宗教を残しながらの宗教融和

 日本が歴史的に日本神道をそのまま残しながら、仏教や道教、キリスト教などを受け入れ、共存させている「宗教融和」は、世界史上の「奇跡」と言ってよい。

 仏教が伝来したのは、6世紀半ばの欽明天皇(509~571年)の時代。百済から山のようにお経が伝えられた。ふつうは、外来の高等宗教を受け入れると、その国の民族宗教や土俗宗教は滅びる。ヨーロッパのゲルマン人の土俗宗教は日本神道によく似ていたが、キリスト教が入ってくると、抵抗しながらも最終的にすっかり改宗し、土俗宗教はほとんど残っていない。こうした例は世界中で見られるものです。

 ところが、日本の場合、外来宗教にまったく異なる対応をとった。聖徳太子は、神道の枠組みを守りながら仏教を国教として取り入れ、両者が共存する道筋をつくった。

 天武天皇(631~686年)は、伊勢神宮の式年遷宮を始めた天皇だが、一方で熱心に仏教を信仰し、奈良の薬師寺を建立したり、各家庭に仏像を置いて礼拝するよう全国に命じたりした。歴代天皇がこれを踏襲し、天皇が神道と仏教の両方を信仰することが伝統になった。

 桓武天皇(737~806年)は、神道、仏教、道教などが融和した宗教都市・平安京をつくり、千年続く都となった。こうした宗教融和のあり方は人類史上見当たらない。

 一般には、日本神道が多神教だから寛容だったということになっているが、神道が消えてなくならなかったことも踏まえれば、神道に世界宗教性があったからと考えるべきです。

日本神道にもあった転生輪廻の教え

 『ホツマツタヱ』には、人間(神)があの世とこの世を生まれ変わっているという「転生輪廻」の死生観が盛り込まれていた。心身ともに清らかだった人の魂は、死を迎えると天御祖神のいる安らぎに満ちた天上界に還るという価値観です。それが700年代初めの記紀からは削除されてしまっている。仏教が500年代に入って来て以降、転生輪廻をより明確に説く仏教にその役割を譲ったと考えてよいでしょう。

 同じく記紀では、創造神である天御祖神とその創世神話も姿を消してしまった。仏教伝来後、「久遠実成の仏陀」(根本仏)の存在を説く法華経などが熱心に学ばれた。聖徳太子自身が法華経の講義をしているぐらいである。創造神(根本仏)を説くことに関しても、日本神道は仏教に役割を譲ったと理解できる。

 古事記、日本書紀の編纂を命じた天武天皇は、神道と仏教の信仰を同時に奨励した天皇です。それぞれの「教え」の役割分担についても、何らかの判断をした可能性がある。

 日本神道は「教え」がなかったわけではなく、より明確に転生輪廻や創造神(根本仏)について説く仏教によって教義を補完したということです。

 日本神道と仏教が転生輪廻や創造神についての教えで共通しているならば、その後、「神仏習合」の思想が広まったのは自然の流れであった。神仏習合は、「インド仏教の如来・菩薩が日本の八百万の神々として現れた」と考え、神も仏もどちらを拝んでもよいという思想です。この考え方は、仏教信仰を勧めるための方便ではなかったということになる。

 

3 天皇が率先した近代化  

 明治維新後の近代国家建設の「奇跡」も、日本神道を抜きに語れない。

 当時、欧米列強の東南アジア・東アジア侵略が迫り、「地球分割」が完成しようとしていた。西欧文明の武器は、自然科学と産業革命を経た技術力。その力をもって、南北アメリカ、アフリカ、アジアに押し入り、有色人種を奴隷もしくは良くても召使いとして扱った。中国の一部は、すでに白人国家に切り取られていた。日本はこれを跳ね返すため、20~30年という短期間で西洋の自然科学と技術を学び、近代産業をつくり、国防を強化した。

 西洋化、近代化は、当時の清朝や朝鮮も目指していた。しかし、近代産業を採り入れることができたのは、非西欧諸国で日本だけであった。明治の近代化は、今でもアジア・アフリカの近代化モデルだが、明治維新から150年経った現時点でも成し遂げられない国は多い。その一つの理由は、日本の近代化の場合、日本神道の最高神官である天皇(明治天皇、1852~1912年)が率先垂範して近代化に突き進んだことにある。キリスト教文明を吸収しながら、同時にその国の伝統宗教を発展させるのは簡単なことではない。明治期の「奇跡」の背景には、キリスト教に十分対抗できる日本神道の世界性、普遍性があったということでしょう。

 

4 2600年続く皇室伝統

 2600年にわたって125代も連綿と皇室が続いていること自体、「世界の奇跡」です。

 日本の神々の強い力が働き続け、皇室伝統と日本の国自体を何千年と守ってきたのが分かる。日本神道の世界性ととらえてよいでしょう。

 

5 「八紘一宇」を実現した植民地解放

 日本が起こした最大の「奇跡」は、先の戦争によるアジア・アフリカの解放です。日本が一人立ち上がり、孤軍奮闘し正々堂々と戦った。そして、欧米による植民地支配をことごとく打ち滅ぼした。同時に日本の国自体も壊滅にいたってしまったのですが。しかし、戦後、アジア・アフリカの数多くの国が独立し、白人が人種差別にもとづいて世界を支配してよいという時代を終わらせることができました。人種平等の時代が日本人の汗と血と涙の上に築かれたのです。

 戦前の世界の独立国は全部で40ヵ国程度。それが戦後次々と独立して、今では160ヵ国以上。日本が立ち上がらなければ、21世紀の今も世界でアパルトヘイトは続いていた可能性が高いので、120か国は日本が戦った結果として誕生した国だと言ってよいでしょう。

 戦時中、日本は「八紘一宇」の精神を掲げていた。戦後はこれが侵略思想と言われたが、実際は「一つの家のように仲良くしていこう」という平和繁栄思想であった。

 もともと、初代の神武天皇が即位式で今まで争っていた氏族を前に平和共存を宣言した言葉に由来する。日本は建国の精神の下、「白人も黒人も黄色人種も、みな平等であるべきだ」と願って先の戦争を戦ったのです。

 この理想が当時の日本の大方針だったので、日本軍が「野蛮」であるわけがない。日本軍は世界最高レベルのモラルを持ち、人道的な軍隊であった。「南京大虐殺」「従軍慰安婦強制連行」は、戦後アメリカや中国、韓国がつくった政治宣伝の産物にすぎない。「野蛮な宗教を持つ野蛮な日本民族が、悪魔的に侵略してきた」というのも、アメリカの戦時中のプロパガンダにすぎない。

 

これからも「奇跡の民」であり続けられるか

 日本は歴史上、数多くの「奇跡」を起こしてきた。伝統宗教を残しながらの宗教融和、天皇が率先した近代化、「八紘一宇」を実現した植民地解放、2600年続く皇室伝統、日本人の高い道徳性。しかしながら、日本人には、これからもっと大きな「奇跡」を起こす可能性がある。

 大川隆法総裁は、聖書や「ホツマツタヱ」に語られている創造神、至高神であることを自覚し、救世主としての宣言をしている。法話『いい人生とは何か』で以下のように述べられた。

「私は、唯一神信仰ではなく、『至高神という存在がある』と言っているのです。『神は数多くいるが、そのなかで、リーダーをしている神がいる。その神の名前をエル・カンターレという。エル・カンターレ信仰の下に一つにまとまらなくてはいけない。これが、これからの時代の指導原理になる。これからは、この指導原理で世界が動くのである』。このように私は説いているのです」

 エル・カンターレ という神の名は、天御祖神、エローヒム、そして「久遠実成の仏陀」の別の名前である。

 今の日本は、聖徳太子が「久遠実成の仏陀」について解説した仏教を取り入れたように、再び現代的仏教としての幸福の科学の教えを受け入れる重要な局面にある。

 日本は明治期、欧米文明を輸入したが、これからは日本が新しい文明モデルを世界に広げる役割を期待されている。日本人はこれまで「奇跡の民」だった。これからもそうであり続けられるかどうか。その選択肢が日本人一人ひとりの前に示されているのです。