相次ぐ自然災害の原因

 現代科学では、地震の時期、場所、そして震度を事前に予想するための方法は確立されていない。地震研究は、主に過去の統計から「どこの地域でどの程度の確率で地震が起こる」という計算をするものだからです。

 地震のメカニズムは、「プレートテクトニクス」という理論で説明される。大陸は巨大な岩盤(プレート)の上に成り立っており、このプレートが毎年数センチずつ移動しているという理論です。地震が起こるのは、大陸のプレートが移動する際、お互いに押し合ったり乗り上げたりすることで エネルギーが蓄積され、それが解放されるときである。引っ張った輪ゴムが切れた時に、一気にそのエネルギーが放出されるのと同じ原理である。そのため、地震は基本的にプレートの境界近くで起こるとされている。日本は国全体がプレートの境界に乗っているため、どこで地震が起きてもおかしくない。

 地震のメカニズムは解明されているものの、数ヵ月・数年単位でもその予測は不可能である。

 火山活動は、地震よりも予測が容易と言われている。マグマが地表に出てくるためには、地盤を突き抜けなければならず、これによって小さな地震が火山の周辺に多発するのです。また、マグマによる圧力のため、地表が膨れ上がることも噴火の前兆として現れる。噴火が起こる理由は、地球の内側のマントルが溶けて大量のマグマやガスが発生し、その圧力がどこかで開放されるからである。ただ、その圧力がいつ、どの火山で解放されるのかは予測できない。

 「自然災害の原因は科学で解明される」と考える人もいるでしょう。しかし、わかっていることはほんの一部にしか過ぎない。地震学では「地震の原因はプレートの歪みである」ことがわかっていても、「プレートがあまり歪んでいない場所で多くの地震が起き、大きく歪んでいる場所で地震が起きていない」ことの説明が出来ないのです。「異常気象は温暖化のせいだ」というのも仮説に過ぎない。

 

人類にとって天変地異は神の警告

 預言者の語る神の言葉が地上の人間に受け入れられず、天変地異などによって、その国や民族を滅ぼすところまでいったことも人類史上数多い。

 旧約聖書に伝えられる「ノアの方舟」伝説では、ヤハウェが自身を信じない人間たちの不信仰に怒り、大洪水を起こそうとした。「洪水があるから方舟を造れ」というヤハウェの言葉を受け止めたノアはそれを広く伝えたが、他の人々は信じず、方舟に乗って生き延びたのは、ノアの家族と動物たちだけであった。

 同じく、旧約の預言者エレミヤは、「正しい信仰を持たなければ国が滅びる」とユダヤの人々に訴えたが、激しい迫害を受け殉教。その後、ユダヤ王国はバビロニアから侵攻を受け、ユダヤ人が捕虜として連れて行かれた。

 新約のイエス・キリストのときも、これは繰り返された。イエスが罪人として処刑された後30年ほどでユダヤの国自体が滅びた。

 世紀末的な時代には、天変地異に込められた意味を汲み取り、預言者や救世主の声を素直に聞くことができるかどうかが地上の人間に求められているということでしょう。

 

平成最大の西日本豪雨

 警察庁は、2018年7月12日、近畿から九州を襲った西日本豪雨について、全国14府県で200人にのぼる死者が出たと発表した。「平成で最大」「記録的」などと冠された今回の水害。これほどの広範囲で甚大な被害が出ることは珍しい。

 参考

台風

相次ぐ自然災害の背景

 幸福の科学大川隆法総裁は、口永良部島の噴火や小笠原沖地震の原因を調査しました。その結果、それぞれの災害を起こした霊存在がいたことが判明した(『大地震予兆リーディング)。

 口永良部島の噴火を起こした霊存在は、「『国家緊急権が発動できるような体制を常時持たねばならん』という危機意識を、今、持たそうとしてるわけだよ」と、国防意識が希薄な日本人に警鐘を鳴らす目的があったことを明かした。

 一方、小笠原沖地震を起こした霊存在は、「人間の持っている基本的人権のレベル内で、『神の言葉』を扱おうとしているということに対する不快感は、とても大きいものがあります」と、信仰を軽んじるマスコミ勢力の増大に不快感を示し、さらなる天変地異の可能性を示唆した。

 

「天の警告」としての災害

 なぜ現代に地震や火山の噴火が頻発するのかと、疑問に思う人は多いでしょう。災害が相次ぐことには理由があるのです。

参考

 儒教の思想には、国の政治が乱れたり、神仏に対する信仰を失っている時代には、災害を起こして、人々に天からの警告を与えるという「災異説」がある。

 歴史上、大きな天災は政治の乱れや社会の腐敗に対する「天の警告」だと考えられてきた。今も昔も、人心や政治の乱れが続く時代を中心に震災が多発することが多い。

 古代で言うと、ローマ帝国・ポンペイの滅亡が有名である。繁栄を誇っていたが、西暦79年にヴェスヴィオ火山の噴火によって一夜で町が消滅した。当時、町は情欲や享楽にふける人々に満ち、噴火に先立っては、首都ローマで暴君ネロがキリスト教徒を迫害・処刑するなど政治も混乱を極めていた時のことであった。

 近年の日本でも、大きな災害が起こる時には政治や思想の歪みが確認できる。10万人以上の死者・行方不明者を出した 1923年の関東大震災。当時、ソビエト連邦の成立を背景に、日本でも社会主義がにわかに台頭していた。大学ではマルクスやレーニンの書籍がテキストになり、震災前年には日本共産党が成立した。物質の平等を求める唯物論が蔓延する中、大地震が日本を襲った。

 先の大戦中、日本では、鳥取地震、東南海地震、三河地震などが相次いで発生した。

 また、反日的な思想を持ち、先の大戦を侵略とする談話を出した村山富市政権や、中国に軍拡を許すなど国難を招いた菅直人政権など、左翼政権下で阪神淡路大震災や東日本大震災が起きたのは偶然ではない。阪神・淡路大震災が起きた半年前の1994年6月には、社会党の村山富市委員長が首相に指名され、村山内閣が発足。震災が起きたのは、伊勢神宮に首相参拝するという新年の慣例を見送った直後の1995年1月。同年3月にはオウム真理教による地下鉄サリン事件も起きている。恐ろしくなったのか、村山氏は4月に伊勢神宮参拝を行った。

 さらに、未曾有の被害を生んだ東日本大震災が起きたのも、左翼的な政策を打ち出した民主党・菅直人政権の時であった。

 2014年11月に阿蘇山噴火、2015年6月に小笠原諸島西方を震源地とするマグニチュード8.1の地震が起きた。

 その直後、幸福の科学大川隆法総裁は、エドガー・ケイシー霊などの支援によるリーディングを行った。これにより、両災害が「信仰心が欠如している日本人」に対する神々の警告であったことが明らかになった。「生かされている」という謙虚な気持ちを忘れた時、人間の文明の儚さを知らせるように、大きな自然災害が起こるようです。

 自らを「地球の運命」と名乗った霊存在は、「『神の言葉を信じないっていうことが、どれほどの罪か』ということを、徹底的に知らしめてあげる」と、噴火の原因が人間の不信仰や傲慢さにあると怒りを露わにした。さらに、「『西』に警告して、『東』に警告して、『真ん中』の御嶽が噴火し、長野で地震があって、阿蘇が噴火し、そろそろ分からんのか」と、一連の天変地異が全てつながっており、最後は富士山噴火があり得ることも示唆した(『阿蘇山噴火リーディング』)。

 

「神の目」を忘れた政治

 「信仰心の欠如」という観点から言えば、現政権にも反省すべきことがある。

 安倍政権で財務省や文科省による不祥事が続いている。財務省は公文書を書き換えたとして糾弾され、文科省は大学の許認可権をめぐる不祥事が相次いでいる。

 これらの不祥事に共通しているのは、バレなければ国民を欺くことができるという「神仏の目」を忘れた傲慢さである。信仰心を持ち、自らに善なる言動を求める気持ちがあれば到底できなかった行為だと言える。政治家や官僚一人ひとりに、神仏に恥じない言動が求められている。

 西日本豪雨のみならず、大阪の地震をはじめ各地で地震が頻発している。

 実際に災害に遭われた人たちに罪があるわけではない。しかし、こうした自然災害が繰り返し起きることについて、日本人全体が真摯に受け止める必要がある。活火山や地下断層など、日本全土に災害の要因が存在する。そうした列島において、数千年に渡って生命が存在し続けていることを「当たり前」だと考えてはならない。

 

動乱期に天変地異が起こる

 天変地異を「天罰」「警告」などと言うと、「不謹慎だ」「迷信だ」という反発の声が出てくる。しかし、記録に残るほどの甚大な天変地異が、動乱期に重なって集中しております。人心の乱れやそれに伴う政治の混乱に呼応したものだと考えるのが自然です。

 例えば、平安末期や戦国時代、幕末など、時代を画するような戦乱の時代に天変地異が集中している。これらは、旧い枠組みに対する神仏の警告であると同時に、新時代への胎動を促す意志の表れでもある。一見、戦乱のない時代に起きる天変地異でも、後から振り返るとその意味が見えることが多い。  

鎌倉時代の「元寇」では、モンゴル軍が攻めてきたタイミングで、2回とも台風が通った。1回目の襲来である「文永の役」は、11月半ばのことであり、台風の季節ではない。

 阪神・淡路大震災も東日本大震災も、神仏を否定する実質的な左翼政権の時代に起きている。

左翼政権のときに天変地異が起こる

 大川隆法総裁は、1995年に社会党の村山富市首相(当時)が正月慣例の伊勢神宮への参拝をしなかったところ、1月17日に阪神・淡路大震災が起き、村山首相はそれでようやく参拝に行ったことに触れ、以下のように断じた。

「二大災害は共に、実質上の左翼政権が立ってるときに起きていることを知らなくてはいけない。仏や神を軽んずる風潮、唯物論的な風潮が勝利したと宣言しているときに、こうした天変地異が起きている。宗教的には天の警告だと見るべきです」

 菅民主党政権の下で起こった史上最大規模の東日本大震災で思い出されるのが1995年の阪神・淡路大震災だが、このときは社会党の村山政権だった。

 この2つの政権に共通するのは、左翼政権という点である。左翼勢力が国の舵取りを行うときに、日本国中を巻き込んだ大災害が起きる。これは単なる偶然ではない。

 古来、日本には地震や風水害、干ばつなどの天変地異、疫病の流行や内乱・外寇で国が乱れるのは、国を治めるリーダーの悪政によるもの という考え方がある。

 これは儒教の教えの一つであり、人知を超えた「天」と地上の「人」の間には深い関係があるという「天人相関説」に由来する。この説を、中国の前漢時代の儒学者・董仲舒は、時の為政者の失政や不徳に対し、天が地上に災厄を起こして人々に警告するという「災異説」へと発展させた。

 昔から、大地震の発生や、地震の頻発、大きな火山の噴火は、「世の乱れ」と深く関係している。源平合戦、蒙古襲来、応仁の乱や関が原の合戦、明治維新時や太平洋戦争時など、社会が大きく混乱しているときには、決まって大規模な地震や火山噴火が起きていた。左翼政権である村山政権時には、阪神淡路大震災が発生し、民主党の管政権時に東日本大震災も発生している。

 地震や火山活動の異常に合わせるかのように、今年は異常気象も目立っている。鎌倉時代の蒙古軍を撃退した「神風」といわれる台風など、気象状況も「神意」を反映していることが多い。

 総裁は、2013年7月、地震や台風など天変地異の背景に天意があることを示し、こう語っている。「(東日本大震災などの震災は)『日本神道系の神々がかなり怒っておられる』ということを示しているのです」「『天変地異は、政治がうまくいっていないことへの、神々の意思表示である』ということを知っておいた方がいい」(『政治革命家・大川隆法』)

 日本の歴史の中で、政治の混乱を左側に、数千・数万規模の死者が出た(と推定される)天変地異を右側にして、年代順に並べてみました。

政治の動乱と転変地異 クリック

日本古来から伝わる信仰心と天変地異

 日本では、古来から地震や台風、大雨などの天変地異を「神の怒り」と考えてきました。

 その後もたらされた仏教でも、天災を神仏の思いと捉えており、東大寺の「奈良の大仏」は、当時流行っていた天然痘や飢饉、大地震などの天災や、政治的不安から国を守り、鎮護国家として安定するようにという、聖武天皇と光明皇后の願いが込められています。

 鎌倉時代の僧侶・日蓮聖人も、「正しい宗教が国教化しなければ、国内では地震や暴風雨、飢饉や疫病などが起き、国外からは攻め込まれるなど、内憂外患が起きる」と政権に忠告。『立正安国論』を記し、法華経を布教していました。他宗から攻撃され、島流しに遭いますが、その後、元が日本侵攻を企て、日蓮の予言は現実化しました。

 幸福の科学の霊査によると、天照大神は霊言で、「天変地異や、さまざまな気象条件等によって、『天意』を象徴的に表すことがある」と発言。しかし信仰心の薄い現代人は、それが警告とも気づけず、反省ができていないのが現状です。

(参考書籍)

 『太陽の法』『フィリピン巨大台風の霊的真相を探る』『黄金の法』『トス神降臨・インタビュー アトランティス文明・ピラミッドパワーの秘密を探る』『アトランティス文明の真相』

参考

天罰・神罰という思想は人類の「常識」

 現代科学には、「自然災害の背景には霊的な影響がある」という古くからの常識を否定できるレベルにはない。地震・噴火の理由が科学で説明できないのであれば、宗教的な考え方に目を向ける必要があります。

 「旧約聖書」において、「ノアの箱舟」のエピソードは、信仰心を失い地上で悪を行う人類を一掃するために神が洪水を起こしたというものである。「ソドムとゴモラ」の話では、人々が堕落し悪徳が栄えていた2つの都市を、神が天からの火によって滅ぼしたとされる。ほかにも、神が不信仰者や反逆者を疫病や天変地異を使って滅ぼしたという記述が次から次へと出てきます。

 イスラム教の聖典「コーラン」も同じです。旧約聖書にはないオリジナルストーリーとして、神を軽視し、預言者を迫害した民族を神が滅ぼしたという記述がある。一神教文化の人たちにとって、神が頑迷な人間を罰するという発想は極めて身近なものなのです。

 こうした思想は東洋にもある。例えば儒教の伝統の中にある「災異説」です。地上の為政者が徳を失い悪政を行うと、天の意志が自然災害を起こして警告するという。この思想は日本にも浸透している。例えば、古事記・日本書紀では、古代の天変地異を政治の乱れと結びつけて考えている。

 仏教でも、「法華経」や「金光明経」など多くの経典において、仏法を蔑ろにすると天災などのあらゆる災厄が起きると説かれている(三災七難)。鎌倉時代の日蓮が、異常な天災が続くのはこの国で正しい信仰が行われていないからだとして、法華経への帰依を説いたことはよく知られている。

 世界各地の宗教の教えには、「愛」の教えが入っているなど共通点があるが、このように「大災害が神罰」という教えもあるのです。

 

関東大震災を天罰だと説いた内村鑑三と渋沢栄一

 1923年、関東大震災が発生して未曾有の被害が生じたとき、近代的な教養を備えた多くの人たちが、それを天罰、すなわち「天譴」だと感じた。

 この時代は、日本が国際的に孤立し、昭和の悲劇への路線が敷かれていた時期。大震災は充分な危機感のない日本社会への警告だったのではないかと思われる。

 日本を代表する宗教思想家の内村鑑三も、天譴論を唱えた一人です。内村鑑三は、震災について「我らの説教をもってしては到底行うことあたわざる大改造を、神は地震と火をもって行い給うた」と語っている。

 「日本資本主義の父」と評される大実業家の渋沢栄一も、震災について「何か神業のように考えられてならない。すなわち、天譴というような自責の悔を感じないわけにはいかない」と述べている。

 近代日本をつくった偉人たちが天譴論を支持しているのは、人類の歴史においてむしろメジャーな考え方であり、天変地異を単なる自然現象だと考えるのは現代の一部の唯物論者たちの例外的な思考である。

 決して天譴論を説く人が非情なわけではない。内村鑑三は、神が犠牲者たちの魂を癒していると信じ、残された人々は希望をもってより正しい国をつくっていくべきだと訴えた。

 人間の魂は永遠であり、この世は一時的な魂修行の舞台に過ぎない。この世が堕落し、人間の魂にとって害にしかならないと判断すれば、神仏は時に厳しい処断を下す。しかし、人間心を超えた大きな視点から見れば、やはりこれも愛なのです。

 

 大川隆法総裁は、自然災害の霊的背景を霊言によって明かしてきた。天照大神の霊言を行ったときには、東日本大震災が日本人や政治家が「目に見えないものを信じる心」や「神仏への感謝」を失っていることへの警告だったことを明らかにした(『天照大神のお怒りについて』)。

天照大神による警告

 天変地異によって新時代への目覚めを促す厳しい神々がいるとすれば、神の存在が否定されるような唯物論的な風潮が国民の間にはびこることを許すはずがない。我々は、異常災害の裏に天意を感じるという信心深さを取り戻さなくてはなりません。

ところが、とんでもないことに

 立て続けに襲ってくる自然災害は、「自分たちの考え方に、何か間違ったものがあるのではないか」と振り返る機会にすべきです。

 突然起こる災害への備えが必要であることは言うまでもない。しかし、こうした災害に込められた神意を一人でも多くの人間が謙虚に感じ取ることが、さらなる天変地異を防ぐ鍵となる。

 信仰なき国家が繁栄することはない。私たちは、いたずらに運命を呪うのではなく、犠牲者の魂を慰めつつ、この世を神仏の心にかなう国や世界にしていくべく努力せねばならないのです。

相次ぐ天変地異に込められた「神意」

幾度となく繰り返されてきた神々の警告

自然災害を忍耐しているのは神仏の側

避難路をまちづくりに埋め込む

大陸沈没 地球は一つの生命体

 地球は一つの生命体として生きている。

 そして、体の一部が病んだときは、自浄作用で回復を図っている。

 大陸の沈没は、このメカニズムで起きている。

 大川隆法総裁は、地球が一つの意識体(地球意識)であり、人心が荒廃すると、この意識が地震や津波など天変地異のかたちで浄化作用を起こす場合があることを明らかにしている。

 『黄金の法』の中で以下のように説かれました。

「『太陽の法』でも述べましたが、過去のいくつかの文明も、わずか数日の大陸沈下によって滅びたことが数多くありました。そして、その原因は、いつも同じです。すなわち、人々の巻き起こす不調和の想念波動が、仏の光を遮る曇りをつくり、それに感応して、地殻変動が起きるのです。これも、すでに述べたことです。ではなぜ、そのような地殻変動が起きるのでしょうか。ここで見落としてはならないのは、地球というものを、物質の塊と思ってはならないということです。地球は、それ自体がひとつの大きな生命体であり、大宇宙から見たら、ほんの小さな細胞体のひとつにしかすぎないのだと言えます。地球それ自体が一個の生きものであり、生命活動をしているのです。すなわち、地底に流れるマグマは地球の血液であり、海の水は体液であり、造山活動や地盤沈下は新陳代謝なのです。生命体としての地球から見るならば、悪魔に心を売った人々が居住する地域というのは、結局、体の一カ所に黴菌が巣くっているのと同じだと言えます。ですから、これを早く消毒し、殺菌したいのです。皮膚にかさぶたができると、人間や動物なら、カリカリとかいて落とすでしょう。それと同じように、地球の生命も、自浄作用によって、そういう不調和な地域を消滅させてしまうのです。これを、神罰とか言うのは当たっておりません。なぜならば、そうするのは、生命体の持つ当然の生命維持機能だからです。」

 琉球大学の真木太一教授(気象学)によると、温暖化の結果、世界中で海面温度が上がっているように考えられているが、実は、特定の地域で海面温度が上昇すると、別の地域では相対的に海面の温度が下がる現象が起きるという。

「地球には、全体としてバランスを取ろうとする『意思』が感じられます」と真木教授は指摘する。温暖化が進む中、今年初め、中国は大寒波、アフガニスタンは豪雪に見舞われている。 

 こうした異常気象も地球がトータルでバランスを取ろうとしている結果とされている。

  真木教授は、「暑くなれば寒くしようとする、寒くなれば暑くしようとする。地球にはそういうバランスをとるメカニズムが、ある程度働いているのだと考えられます」と解説した。

 地球も、動植物と同様に「生きている」存在である。人間の肉体に魂が宿っているように、地球にも生命体が宿っている。近年、ガイア理論やガイア仮説と呼ばれる地球を一種の有機体と見る科学的な考え方がある。霊的にはこれは「地球意識」と呼ばれ、地球の造山・火山活動や大陸の移動、地殻変動などを司り、動植物の育成・繁茂にも役割を果たしてきた。

   地球意識は人類に対し、心の成長のための学習の場を提供してきた。だが、人類が成長ではなく堕落に向かうとき、地球意識は天変地異を起こして、文明をいったん御破算にすることがある。地球意識は人格神的なものではなく、人間的感情を超越したレベルの法則として働くのである。

 

物しかないという「唯物論」が堕落を生む

  地球意識は、人類がどのような状態になれば「堕落」と見るのでしょうか。

1 信仰心の喪失

 人類の多くが、自らの本質が魂や霊としての存在であることを見失い、唯物論に染まっている。

 冷戦終結後、マルクス主義に基づく唯物論は一応下火にはなっている。だが、科学や技術の分野においては、医学でも生物学でも「物しかない」という考え方がますます幅を利かせている。これらが、神仏やあの世の存在を否定する間違った常識を広め、多くの人たちの欲望やエゴイズムを増長させ、死後に迷わせる結果となっている。

 科学技術は、本来人類に利便性を提供し、幸福にするためのものである。それがまったく逆の働きをしてしまっているのが現状である。

2 地球を何度も破壊できる核兵器の存在

 地球は絶妙なバランスの中で守られているが、人類は核兵器を2万発以上も持ち、国同士でにらみ合っている。「相手の国は滅ぼしても自国が生き延びさえすればいい」と考えるのも、エゴイスティックな唯物論からくるものでしょう。

 地球を何百回も破壊できる核兵器の存在は、地球意識から見れば、体表に巣食う病原菌か、肉体を蝕むがん細胞でしかないのです。

3 宗教対立、宗教戦争の激化

 現在世界で最も人口が伸びている地域はイスラム圏です。中東・北アフリカの人口は1970年の1億9千万人が、2006年には4億5千万人を突破。同じ時期にカトリック信者の数(全人口の約17%)をイスラム教徒が上回ったとされ、今後2025年にかけて全キリスト教信者の数(全人口の約30%)に並ぶと予想されている。

 その過程でますますキリスト教とイスラム教の宗教対立や宗教戦争が増える恐れがある。

 特にアメリカに顕著だが、キリスト教国は一神教思想と相まって他の宗教に非寛容である傾向が強く、戦争につながりやすい。イスラム教もその成り立ちにおいて政治や軍事と一体化していたため、戦争に訴えることを躊躇しない。

 このままでは、憎しみが憎しみを呼ぶ負の連鎖が続いていくことになる。こうした宗教対立を人類が自らの手で乗り越えることができなければ、地球意識からの「警告」が発せられることになるのです。

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