ルーズベルト大統領は本当に「正義の味方」か

 フランクリン・ルーズベルトは、自由と民主主義を守るために立ち上がり、第2次大戦で勝利を収めた大統領として、その人気は歴代米大統領の中でも常に上位に入ります。しかし、その行動をつぶさに追っていくと、「裏の顔」が見えてきます。ルーズベルトは本当に「正義の味方」だったのでしょうか。

 

表の顔  「アメリカ国民のみなさん 私は戦争はしません!」

「外国の戦争には介入しない」

 第1次大戦後のアメリカは、自国が攻撃されない限り、「外国の戦争には介入しない」という姿勢でした。第2次大戦が始まり、ヨーロッパで戦線が広がっていましたが、米国民の約85%は参戦に反対でした。この空気を一気に変えたのが、1941年12月7日(日本時間8日)の日本の真珠湾攻撃です。

 ルーズベルトは、その翌日、議会に向けた演説の中で、「(日本が)我が国を卑劣にも攻撃した」と述べ、やむをえず日本との戦争に乗り出すことを宣言しました。

「戦争しない」と訴えて当選

 1940年秋の大統領選で、3期目の当選を目指していたルーズベルトは、ヨーロッパでの戦争に巻き込まれることを心配する世論を受けて、「戦争不介入」を国民に訴えていました。

 

裏の顔  戦争したい!

「戦争を始めたくて仕方ない」

 ヨーロッパやアジアで戦線が広がる中、ルーズベルトは参戦を望んでいました。しかし、世論や議会は断固反対です。その説得のためには、どうしても「先にアメリカが攻撃される」ことが必要でした。

 ルーズベルトは、ドイツをさまざまに挑発しますが、対米戦争を避けたいドイツは、その挑発に乗ってきません。そこで、ドイツの同盟国であり、満州権益をめぐり対立していた日本に攻撃させようと考えます。

 対日経済制裁が1940年頃から本格化。1941年夏、日本の在米資産の凍結や石油全面禁輸に踏み切ります。さらに、ルーズベルト政権は、同年11月、日本に中国や東南アジアからの完全撤退を迫る「ハル・ノート」を突きつけ、「戦争か隷属か」を迫りました。結果、日本は開戦を決意し真珠湾を攻撃。ルーズベルトの思惑通り、アメリカ世論は「参戦」へとひっくり返りました。

「戦争で経済を回復させたい」

 ルーズベルトが参戦を望んでいた理由は、ドイツ軍の攻撃にさらされたイギリスを助ける目的と国内の深刻な不況でした。ルーズベルトが打ち出したニューディール政策の効果もむなしく、街には1千万人以上の失業者があふれていました。

 そうした中で、第2次大戦が始まり、ルーズベルトは戦争特需で経済を立て直そうとします。1939年11月に中立法を改正し、1941年3月には武器貸与法を制定。「兵器工場」としての利益でアメリカの景気は上向き始めました。さらなる経済回復のためにも戦争が必要だったのです。

 

共産主義のソ連・中国を優遇

 ルーズベルトは、大統領就任後すぐ、それまで国家として承認していなかった共産主義のソ連を承認しました。世界の共産主義化をもくろむ「コミンテルン」の工作活動も野放し状態だったため、アメリカ国内のさまざまな分野でソ連が優遇されるようになります。また、中国の蒋介石に対して資金や武器の援助を行い、イギリスやオランダとともに日本への貿易を制限する包囲網をつくりました。

 共産主義のソ連と中国を優遇したアメリカが、戦後の冷戦や現在の中国の軍事拡張を招いたと言っても過言ではありません。

 

空襲や原爆でホロコーストを行う

 ルーズベルトの最大の罪は、日本に対する「ホロコースト」です。都市部への空襲と原爆投下により、数十万人の民間人を殺しました。軍人ではなく民間人を標的にすることは、国際法にも反しています。

 ルーズベルトは終戦の4ヵ月前に急死したため、原爆投下の決断を下したのは後を継いだトルーマンでしたが、日本への投下計画を練っていたのは他ならぬルーズベルトです。

 

ルーズベルトは米国民と議会をだました

 アメリカの宣戦布告の権限は議会にあります。しかし、ルーズベルトは、議会に対して重要な情報を伝えていなかったのです。当時の世論調査ではアメリカ国民の85%が戦争に反対していました。それが真珠湾攻撃後180度変わりました。しかし、その前に アメリカが事実上の最後通牒である「ハル・ノート」を日本に突きつけていたことを、国民はおろか議会も知らなかったのです。

 しかも、ルーズベルトは、真珠湾攻撃の5ヵ月前の1941年7月、日本本土への爆撃計画にサインしています。これは、具体的な攻撃命令で、かつ、中国から爆撃機を飛ばす計画でした。イギリスに急きょ爆撃機をまわさなければならなくなり、実行が遅れてしまいましたが、ルーズベルトは、平和主義者と見せかけて、国民や議会をあざむき、自分が非難されずに戦争を始める方法を考えていたのです。

 

日本を叩き潰さなければいけないと思っていた

 ルーズベルトが日本に戦争を仕掛けた背景には、人種差別意識もありました。日本は遅れた封建的な君主国で、悪質な軍国主義。であるから、日本には何をしてもよい。叩き潰すべきだと本気で思っていたのです。

 原爆投下に関しても、こうした人種的な偏見が介在したことは間違いありません。当初ドイツに対抗するために開発が始まった原爆でしたが、ドイツへの投下は具体的には検討されませんでした。投下計画は最初から対日本だったのです。

 一方で、中国のことを共和制で民主的な国だと思っていた。これはルーズベルトに限らず、当時のアメリカ人の一般的な見方でした。

 加えて、ルーズベルトは共産主義にシンパシーを感じていました。フーバーまで5代の大統領が承認してこなかった共産主義国のソ連を就任後真っ先に承認し、その後もソ連に譲歩し続けた。アメリカが共産主義の脅威をきちんと認識していたら、歴史は違っていたことでしょう。

 

真の日米同盟を築くべき

 ルーズベルトは今も多くのアメリカ国民に尊敬されています。それは、アメリカの「正義の戦争」に勝ったからです。近年、少しずつそのうそが暴かれつつありますが、アメリカ人としては認めにくいでしょう。大多数のアメリカ人は、今もアメリカが正義の戦争をしたと思っています。

 しかし、いつまでも「日本が悪いから戦争が起きた」と考えるのをやめるべきです。