正しき心の探究

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 この世に生きて真理を知らない方は、この肉体こそ人間であると思っているかたが ほとんでしょう。しかし、あくまで肉体は魂の乗り物であって、本体は心なのです。

 物事は、原因があって結果がでます。 この世の様々な問題、事件などの背後には、必ず心の問題があるのです。 心が真理から離れているから、心が仏の念いから遠くかけ離れているから、様々な問題が生じてくるのです。 ゆえに結果を善くしていこうと思うならその原因まで遡らなければなりません。 心の問題を抜きにしては、様々な問題の解決は難しいのです。 ゆえに、幸福の科学では『正しき心の探求』というのを掲げています。

「正しき心」とは「仏の心」です

 すべての人間は、ダイアモンドの核ともいわれるような、仏より「仏性」を与えられた尊い存在なのです。

 

 第一に、マイナスの考え(他人や自分を害する思い)は持ってはならない。

 第二に、もし、そのマイナスの思いが言動として出てしまったら、すぐに反省せよ。

 第三に、みずからの心の鏡は、日々、磨きつづけねばならない。

 人の上に立てば立つほど、この「正しき心の探究」は厳しくなり終わることはない。

 幸福の科学大川隆法総裁は、著書『人生の王道を語る』の中で以下のように説かれました。

「人間には心があります。いや、この「人間には心がある」という表現は適切ではありません。「人間には心しかない」と言っても間違いではないのです。みなさんが、死んでから持って還れるものは心しかありません。これしか持って還れないのです。メガネも、ワイシャツも、ネクタイも、絶対に持って還れません。持って還れるものは心しかないのです。ゆえに、人間の修行としては、この心をよくしていくしかないのです。よって、前述の「使命感」に加えて、この「心の探究」ということを決して忘れてはなりません。これを、幸福の科学では「正しき心の探究」と呼んでいます。この「正しさ」は、そう簡単にはわからないでしょう。それは、別名において、「仏の心の探究」であるからです。人間が仏の心の探究をしているからこそ、その正しさは一様ではなく、その正しさに限界がなく、深めても深めても、完全にわかりきるということはできません。しかし、そうした永遠の向上の過程にみなさんがあることもまた真実です。ゆえに、みなさんが人間として優れたるものになっていくために、この正しき心の探究において、どうしても確認しておかねばならない部分を言っておきましょう。  

 第一は、マイナスの考えは持ってはならない、ということです。マイナスの考えとは、たとえば他人を害する思いです。また、自分自身を害する思いでもあります。愚痴や不平不満、嫉妬、猜疑心など、いろいろあるでしょう。これは、考えれば無限に出てくるはずです。こうしたマイナスの思いを持たないようにコントロールせよ  これが正しき心の第一点です。  

 第二点は、もし、そのマイナスの思いが力を得て、言動として出てしまったならば、すぐにこれを反省せよ、ということです。間違った思いが具体化したら、ただちに反省をせよ。そして、同じ言動は、二度ととらないように心せよ。まず、マイナスの思いを出さないように努力し、出た場合にはすぐ反省をするということを習慣づけよ、ということです。これが二番目のチェックポイントです。  

 そして三番目に言っておきたいことは、心の垢を落とすという作業は、一回きり、一瞬だけでは決して終わらない、ということです。自分がどのような立場になっても、どのように偉くなったとしても、どのように悟ったと思ったとしても、その段階からでも曇りは生じるのです。ゆえに、みずからの心の鏡というものは、日々、磨きつづけねばならない、ということを決して忘れてはならないのです。  

 心は常に磨かねばならないということを忘れてはなりません。立場によって、地位によって、役職によって、あるいは他の人からの称賛によって、合理化されることはないということです。人の上に立てば立つほど、この反省は厳しくなるのです。人の上に立てば立つほど、鏡を曇らせるものは多くなります。これは、永遠の修行として行なっていかねばならないのです。これは、人間である限り終わることはないということ、そしてまた、この永遠の作業を続けていく過程において、人間は完成への道を歩んでいるということ、これを忘れてはならないと思います。」

 すべての人は「正しき心」、「仏の理想実現を願う心」を実践するためにこの地上に生まれてきているという真実があるのです。

 そして、その具体的方法となるのが、現代的四正道とも言われる「愛・知・反省・発展」の「幸福の原理」なのです。

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