日本が移民を受け入れる条件

大川隆法 未来への羅針盤 ワールド・ティーチャー・メッセージ No.221

(2012年11月11日 幸福の科学東京正心館にて)

 今後、日本は移民受け入れについて議論すべきだと思いますが、日本人には移民に抵抗感があります。日本が世界に対してより開いた国になるために、日本人が持つべき心構えについてご教示ください。

 確かに、その点は問題があります。日本は、単一民族を誇るようなところがあり、徳川時代以降、「一つの村社会」をつくっているというのが、固まった伝統になっていると思います。

 仲間内で話が全部通じるのは、確かに便利です。外国人が入ってくると、考え方も言葉も違うし、風習も違うので、トラブルが多発することがあります。

 特に、日本人は英語や他の言語に苦手意識があります。「学校でこれだけ苦しんだのに、実社会でも苦しむのはかなわない」という気持ちは当然あるでしょうし、この壁は大きいでしょう。「日本が単に一国だけで何とかやっていければいい」という考えであれば、仕方がないかもしれません。

 けれども、世界のトップレベルの国として、世界に情報発信すべき立場にあるという自覚を持つならば、やはり、それだけの責任を感じ、もう一段、外国人を受け入れる努力が必要だと思います。

 日本では、外国人に選挙権を与えることに対して、非常に神経質になっています。現実に、中国から二億人ほど移って来られたら大変なことで、日本はあっという間に中国の属国になってしまいます。もちろん、無制限に何でもいいというわけにはいかないでしょう。ただ、今のままでは少し厳しすぎます。

 例えば、日本で看護師が不足しているので、インドネシアあたりから看護師が来ていますが、日本で看護師資格を取るのに、ずいぶん苦労されているようでした。「試験は日本語で受けなければいけない」「通らなければ本国に帰れ」と言われていたのです。最近、やっと「試験問題の漢字にふりがなを振ってくれるようになった」と言っていますが、まだ、あまり親切ではないでしょう(説法当時)。

 基本的に、日本語の会話ができれば看護師の仕事はできるはずですし、ひらがなやカタカナのふりがなを振れば、文字も読めるでしょう。

 現代の高度な教育を受けた日本人の中で、看護師の数を増やすのはなかなか大変です。しかし、アジア圏の人たちであれば、顔つきも日本人に似ているし、とても親切な人々なので、本当は、国家の政策次第でもっと入りやすくできるはずです。

 

イスラム教国とつながるための宗教的理解

 それから日本は、イスラム圏への対応もかなり厳しいと思います。

 イスラム圏のイラン人が、私の説法を聴こうとしても、「日本になかなか入れない」ということで、私が行ったイスラム教国のマレーシアの講演会や、オーストラリアでの講演会に来ていました。

 実は、私が前回オーストラリアに行ったときに、たまたまイランから来ている人が一人いて、私の説法を初めて聴いたのです。それで、「とても良かった」と、家に帰ってご両親などに伝道して周りに広がったため、イランにも約百人、会員がいるのです(説法当時)。ただ、そのうちの何人かは、オーストラリアなら入れるけれども、日本には入れないということで、結構、厳しい状態のようです。

 そのイランの人が私の説法を聴いた感想を読むと、「エル・カンターレは実にフェアに判定している」とありました。「キリスト教にも、イスラム教に対しても、アメリカにも、イランに対しても、極めてフェアな立場から判定を下している」と賛同していました。

 イスラム教では「改宗したら殺される」と言われていますが、何らかの新しい風を入れなければいけないことは、彼らも分かっているのです。

 イスラム教圏にも、親日国はかなりあります。例えば、インドネシアも親日国です。イスラム教という宗教がネックになっていますが、ここをうまく包摂して、日本ともつなげる宗教が現れれば、彼らとのコネクションをもっと深くすることができます。

 幸福の科学であれば、例えばインドネシアとつながっても困りません。当会は、「イスラム教は悪魔の教えだ」とは言っていないからです。キリスト教国はそう言うかもしれませんが、当会では、「イスラム教にもきちんと神の指導が入っている」と教えていますので、彼らは素直に受けとめることができるでしょう。

 イスラム教は、キリスト教もユダヤ教も認めています。それにもかかわらず、キリスト教やユダヤ教の側からは、「イスラム教は、他宗を認めない」と言われているのです。

 ですから、日本との関係をつくっていく上では、ある程度、宗教的な媒介も必要だと思います。幾つかの条件をつくりながらも、「日本が好きで、日本のために働きたい」という方は、一定の条件を満たしたら、認めてあげる必要があるでしょう。彼らを皆、テロリストのように見るのは、やはり問題だと思います。

 

日本が移民を受け入れるには

 経営学者のピーター・ドラッカー氏も、「日本は今後、絶対に移民政策をやらなければいけなくなる。ここからは逃げることはできない」と書いていました。ただ日本国内では、まだ政治家が移民について本格的に考えている向きがありません。国民感情として嫌がると思っているからでしょう。

 ドラッカー氏は、「年間、50万人の移民を受け入れないと、日本経済が成り立たなくなるという試算もある」と言及していました。その数が正確であるかどうかは分かりませんが、例えば50万なら50万人の外国人が入ってくるとして、彼らが日本人として生活できるような環境を、どうしたらつくれるのか。また、どういう教育をして、何を誓わせて、どういう活動をすれば、日本人と同じように扱えるのかを考えるべきです。

 日本で移民を受け入れるには、外国人にも、ある程度の日本語教育を受けてもらう必要があると思います。例えば、アメリカ人になるにも、英語が話せないと、なかなか厳しいでしょう。

 2012年の大統領選でオバマ氏が勝った大きな理由に、メキシコから相当数入って来ているヒスパニック系の不法移民への対応があります。

 不法移民は確かに問題ですが、オバマ氏は、既にアメリカに住んでいる移民の子供たちに学校教育を受ける権利がなかったり、人権が認められなかったりという状態は許しがたいと訴えました。オバマ氏が、「アメリカで生まれた子供たちの権利は守りたい」と主張したあたりで、共和党のロムニー氏と差がついたところがあったでしょう。

 多国籍化、多民族化することで、アメリカの国内問題が増えていることは事実です。しかし、「多様性(diversity)が、アメリカの力になる」という考え方を捨ててしまえば、それはアメリカがアメリカでなくなる瞬間だと思います。

 オバマ氏の父親がケニア人の留学生であることは、おそらく間違いないと言われています。ハワイあたりでアメリカ人の母親と出会って産まれた子らしいというのです。父親は、本当はケニアに奥さんがいたので離婚して、母親はインドネシアあたりで違う方と結婚されたといいます。オバマ氏は、「インドネシアでイスラム教の学校にも通っていたらしい」という噂もありますが、内緒にしています。「イスラム教徒ではないのか」という疑いをかけられながら、オバマ氏はアメリカの大統領になっているのです。アメリカのメディアは優しいので、本名の「バラク・フセイン・オバマ」から「フセイン」を抜いて、「バラク・オバマ」と呼んでいます。

 もちろん、オバマ氏が自分と同じような境遇にある人に対して同情しすぎるところは、アメリカの大統領としては問題があるでしょう。ただ、「父親がケニア人で、経歴もよく分からないが大統領になれる」という国は、やはりすごいと思うのです。

 日本だったらどうでしょうか。父親がケニア人で、日本に留学していたときに、日本人女性との間にたまたま子供ができてしまったが、本国に奥さんがいたので帰国してしまった。そして、そのケニア人と日本人とのハーフの子は母子家庭で育ち、日本の首相になるというのは、そんなに簡単ではないでしょう。

 でも、アメリカ人は、これを受け入れているのです。その中には、それだけ多様な個性や価値観を受け止めようとする、国家としての力があると思うのです。これが、アメリカの活力になってきました。

 確かに、アメリカの不法移民の問題には、麻薬や犯罪などいろいろな問題も重なっているので難しい面もあります。ただ、日本も国際的な国家になろうとするならば、もう少し努力したほうがいいと思います。

P・F・ドラッカー氏の2005年のインタビューをまとめた著書『ドラッカーの遺言』(講談社)には、「不足する労働人口を補うために、日本は移民を受け入れざるを得なくなるでしょう。20年後には年間五十万人の移民が必要になるという試算もあるほどです」とある。

 

移民受け入れは日本のリスクも軽減する

 私は以前、国家目標として、「三億人国家を目指して、移民を入れる」という政策を示しました。ただ、「一度にそれだけの人に国籍を取られたら、国を取られてしまう」というおそれも出てきたので、そこまでは行かないかもしれません。それでもドラッカー的に言えば、年に五十万人ぐらいは受け入れられるぐらいの余地をつくる必要があるかもしれません。

 その場合、移民の人権も尊重する必要があります。不況になったら最初に解雇する対象と見るだけであれば、少し厳しいと思います。

 アジア・アフリカの国には、安い賃金でも、日本で3ヵ月ぐらい働けば、一生分ぐらい稼げる人がたくさんいるのです。日本は、工場などを全部海外移転してしまい、国内産業が空洞化している状況です。これは現実にカントリーリスクになっています。ここで彼らの労働力を生かすことはできると思うので、国家戦略として考えるべきかと思います。最初は低いレベルの仕事しか提供されないことが多いでしょう。それでも、日本で受け入れて高度な文化を吸収した人たちが母国に帰ると、やはりいいこともあります。

 最近、幸福の科学もネパールとの縁が深くなっていて、ネパール人の信者も増えています。ネパール総領事などいろいろな方が、外国でも国内でも、いろいろなところで、うちの行事に出てくださっています。

 日本とネパールを給与水準で比べると、日本が100なら、ネパールは1ぐらいしかありません。ですから、「飛行機に乗って日本に来る」といえば、年収をはたいてくるほどの大変なことです。そのため、ネパール人の中には、不法な手段で日本に来てネパール料理店のようなところに潜り込み、行方が分からなくなることが多いといいます。

 本当は、そんなことをしなくても、もう少し正式に日本に入国できるように、努力してもいいでしょう。最近は、殺人事件の裁判で、偏見や先入観があったのか、有罪とされていたネパールの方が、結局無実になった例がありました。外国人に対して、少し用心しすぎているところはあると思います。基本的には、もう少しポジティブに考える必要があるでしょう。

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