病を癒すための祈り

 幸福の科学には、病を癒すための祈りとして修法「エル・カンターレ ヒーリング」があります。

 それを行ずる人に信仰心があることが前提であり、信仰心があれば、エル・カンターレの魂と一体になって、光が流れはじめる。

 信じたならば、すべてのものは現れる。

 大川隆法総裁は、『心と体のほんとうの関係。』で以下のように説かれました。

「幸福の科学には、病を癒すための祈りとして修法「エル・カンターレ ヒーリング」(幸福の科学会員限定経典『祈願文①』の「病気平癒祈願」にて行ずる)があります。これは、「エル・カンターレの癒し」という意味です。この修法は、それを行ずる人に信仰心があることが前提です。信仰心がなければ、光は流れません。信仰心があれば、エル・カンターレの魂と一体になって、光が流れはじめます。使い方としては、直接、病人の前で行ずる方法が一つあります。もう一つは遠隔治療です。この修法の特徴は、遠隔治療が可能であることです。修法を行ずる場所にいない人でも治ります。何百キロ離れていても効果は同じで、地球の裏側にいても効きます。これを行ずる人が、信ずる力を持っていて、「仏は、この地球を消すことも現すことも自由自在である。それだけの力がある方なのだ」ということを、心底、信ずることができるならば、体のなかのガン細胞さえ消すことが可能です。信ずることが大事なのです。『新約聖書』を読むと、イエスは死者を何人もよみがえらせています。たとえば、ラザロという死者に対して、イエスが、「死せるにあらず、眠れるなり。ラザロよ、起きろ」と言うと、包帯を巻いたラザロが、生き返って洞穴(墓)から出てきました。そうしたことは、歴史上、実際にあったことなのです。現在、それができないのは、人間に信ずる力がなくなったからです。クリスチャンであっても、イエスの時代の奇跡を信ずる心を、もはや失っています。死者をよみがえらせた。目が見えぬ者の目を見えるようにした。足の不自由な人を治して立たせた。水をワインに変えた。わずかなパンを分けて、何千人もの人が食べられるようにした。すべて事実です。イエスは現実になしたのです。それを比喩か何かのように解釈するのが、現代のキリスト者であり、キリスト教学者です。それは、奇跡というものの本質を知らないからです。仏や神というものの、ほんとうの力を信じていないからです。信じたならば、すべてのものは現れるでしょう」