肉体と心の力

 肉体の病変は、幽体が病んで黒ずみ、異変が出て、それが肉体に現れてくる。病気を治療するには、外から肉体を治療するやり方もあるが、内側から治すことも可能です。そのやり方は、「自分の中には神仏の子としての輝いている部分があるので、この光の部分が霊体の外の病んでいる所を修復できる」と強く念うと治るのです。つまり、幽体の修復が終わると肉体が治ります。この世的な事で体が具合が悪くなることも勿論ある。物質的な原因による病気や事故などがあるが、この世のルールとして多少なりとも肉体に変更を加えて治すこともある。例えば、肥満ならカロリー摂取を減らせばよいし、タバコの吸い過ぎで肺がんになったら、タバコをやめれば治る可能性は高い。しかし、肉体が車みたいなものであって、変わらないという考えは捨てないと、宗教パワーで病気を治しづらい。人間の本体は霊体で、霊体の影響で肉体が変化してくるという考え方が真実である。本来は、地上を去った世界で、自由自在の姿をとっており、創造性に満ちた生き方をしている。心のあり方を通して、体のあり方も変わってくる。天台大師の一念三千のようなものです。医者の言っていることも大まかには間違っているわけではないが、「絶対治らない」とか「一生治らない」というのは間違っています。人間は、考え方によって人生を変えることが出来る。良いほうにも悪いほうにも創造できる。悪い方の「創造」が病気の元になっている。精神的ショックや自己処罰の概念、自分をあまりにもいじめる気持が、潜在意識に沈殿して病気になることがある。それに気づいたなら、念いの修正をかけていくことです。また、特定の人を恨みすぎていると病気になるし、相手から恨まれたり嫌われることで病気になることもある。生霊(生きている人間の念の力)がやってきて、憑依(霊が取り付くこと)してくる。生霊は現代にもいることはいる。生霊の正体は、守護霊に、本人自身の強い念が合体して取りついてくるものです。相手に執着したり、攻撃する念い、嫌う念いや、相手を首にしたいとか「飛ばしてしまえ」とか「死んでしまえ」などといった念いがへばりついてくる。

 病気の原因は、肉体的だけではなく、人間関係や思いで起きているものもある。そういうものが内部にあったら取り除くことです。

 仏教で「色心不二」と言うように、肉体(色)と心は互いに影響しあっている。競争社会であり情報過多で忙しい現代では、頭や気持ちや心の疲れが体の疲れに結びついていることが多い。

 参考

 西洋医学は、正確に言えば、唯物論のほうに傾いていると言わざるを得ないところはあると思います。哲学的には、デカルトやカントの流れがさらに純粋化してきて、肉体的なことと精神的なことを切り離してきた流れが科学として残って、そういうふうになってきているところはあると思います。

 ただ、「事実がどうであるか」ということは、やはり大事なことです。現実には、「魂と肉体を融合したもの」が人間です。これは、各種の霊言集を出して、ずっと実証をやっております。

 人間は、やはり、魂と肉体が合体して存在するものです。たとえて言えば、いくら卵が、自分に中身があることを信じていなくて、「私は殻だけであって、中身はないのです。外側の殻だけが卵です」と言っていたとしても、やはり、中に入っているものがあってこそ卵なのです。こういうことを言っているだけのことです。殻を否定しているわけでもありませんし、中身だけで卵が存在できるわけでもありません。

 器がなくて、魂だけでは この世で修行ができないし、肉体だけで中身の霊がなかったら、やはり修行になりません。そういう存在であるということが事実なので、唯物論は片方だけ見ているということです。

 もちろん、唯物論的に攻めていって、成果を上げている医療もあることはあるので、それを否定するつもりない。この世的に研究して、薬なり、治療法なり、有効で成果を上げているものについては、それなりの神のご加護はあります。

 ただ、それによって、霊的なるものを完全に否定する方向に物事が行ってはいけないのです。医学系の人は唯物論的になりがちではあるのですが、医学よりも科学として純粋な物理学系統、最先端の物理学になってくると、信仰の世界と変わらなくなってきており、神様を信じている人が多い。この辺の未知の領域はまだ残っている。

 自分の肉体を簡単に葬られないようにするためには、強い光の思想、繁栄の思想、あるいは邪悪なるものに負けない気持ち、「真実は死なない」という強い気持ちが必要です。こういうものを持っていないと、自分を守れないこともあると思います。

 それを表立って言うか言わないかは別にしても、病気を治すほうの側としては、両方を上手に使い分ける必要はあるでしょう。両方を知って、使えるものは使って、やるべきだと思います。

 さらに、もう一つは、医学で使われる心理学が、まだあまりに幼稚なレベルです。これについては、人間学をもっともっと深く知っておかないといけないと思います。

 まだ、フロイトやユングなどの流れのなかで、医学的にも治療は行われているのだと思いますが、間違ったものも相当あることは事実です。また、病気と判定されているなかにも、いわゆる「霊障」に当たるものがかなりあることも現実です。エクソシスト(悪魔祓い師)のところへ行くか、病院へ行くかの違いですが。やはり、真実をきっちり知っておいて、光のパワーによって治していくことも、同時にやらなければいけないと思う。

 それから、病気の大部分は、本当に心の持ちようで変えていくことができます。

 「心で何を思うか」によって、人間は自分の未来を設計し始めるのです。肉体をつくるのは、もとは、やはり心です。「自分の未来をどう設計していこうとするか」ということが大きいわけです。治療をしながら、そのことを少しずつ伝えていくことが大事です。

 現代の西洋医学は、なぜ、がんや生活習慣病などに対応し切れないのか。医療改革を実現する上で、避けて通れない課題だが、「問診の診療報酬が一律に決められている」ことに、考え方の限界が垣間見える。

 生活習慣を改善するには、対話の力が大きく影響する。検査数値の奥にある、その人の性格や悩み、人生観などを理解しようとする医者であれば、治療効果は高まるはずです。しかし、今の医療制度は、「対話」についての付加価値の差を認めていないため、医者の意識は投薬などに向いてしまう。

 西洋医学の限界は、人間を物質と捉えて、機械のパーツを修理するような発想から抜け出せないことにある。

 その限界を乗り越えるには、「人間の本質は心であり魂である」という霊的人生観を受け入れるかどうかにかかっている。人間は肉体に魂が宿って生活する色心不二の存在であり、葛藤や悩み、怒りやストレスといったマイナスの思いを長く持ち続けると、それが霊体に暗い影をつくり、やがて肉体に病気となって現れてくる。つまり、表面的な生活習慣の乱れは、そのマイナス感情の現れなのです。

 信仰を持つと健康が回復する例は数多く存在する。なぜなら、正しい宗教は神仏の心に適った生き方を教えているからです。手術や薬という外からのアプローチだけでなく、心を正すという内面からのアプローチを増やせば、病気はもっと治せるでしょう。

 医学の限界を乗り越え、本当の医療改革を実現するには、医療者が霊的真実に目を開くことが求められている。

心の力は医療の「常識」を変える

心には病気をつくる力も治す力もある

 生活習慣の中でも、見落としがちなのが「心の習慣」です。

 くり返し出てくるマイナスの心が、霊体に病巣を創り出し、それが肉体に表面化する。

 現代人の病気は、生活習慣の乱れが免疫力を低下させたことによるものが多い。特に、悩みがちでストレスを溜めやすい性格など、心の持ち方が与える影響は大きい。そう考えれば、心を扱う宗教によって病気が治るケースがあるのは、当然のことと言える。

 幸福の科学大川隆法総裁は、病気になるメカニズムとして、もう一段踏み込んで「思いの力による創造作用」について指摘している。体をつくっている細胞は、日々つくり変えられており、半年もすればほとんどすべてが入れ換わる。その際、どのような体をつくるのかという設計図を決めているのは、その人の心なのです。病気の設計図は、人間関係の葛藤や不平不満、怒り、憎しみ、自己処罰、不安、自己保身などのマイナスの思いを、くり返し強く発信することでつくられ、それが実際に病気となって現れる。

 病気を治すためには、これとは反対の積極的で肯定的な思いを持つ習慣が大事なのです。

 「自分に、まだ、未来がある。将来がある。希望がある。まだ、やるべきことが残っているんだ」ということで、「自分自身で治していこう」という気持ちを本人が強く持って心に刻印し、医者がそれを手伝うという立場でやれば、病気の治りはすごく早いと思います。

 たいてい、メンタルな面から崩れていっております。それで、簡単に人は死ぬものです。しかし、「まだまだやれるんだ」ということを、教えなければいけません。

  医学がどんなに進歩しようとも、人間の本質は肉体に宿っている魂であるという真実に変わりはない。人間の肉体を支配しているのは心であるからこそ、いつの時代も正しい心の持ち方を教える宗教によって病気が治る事例が後を絶たない。

 しかし、現代の医者は医療現場でそうした事例に直面しても、偶然か何かで片付けてしまうことが多い。それを追求して世に問う医者もいるが、残念ながら、人間が霊的存在であることを明確に認めている人はまだ少ない。「科学で実証されないものの存在は認めない」という姿勢が、医学の世界では頑強なまでに貫かれている。

 しかし、科学の本来の目的は未知なるものの探究にあるはずです。これまでの学問の前提が崩れるからといって、未知なるものを避け続けてよいのでしょうか。

 大川隆法総裁は、『救世の法』で信仰と科学の関係について以下のように説かれました。

「私たちは科学を決して否定していません。(中略)『科学学のなかにも、神の真理、仏の真理は流れている。人類を幸福にする原理の一部は入っている』と言っています」

「科学の未来は、実は、この信仰の上に成り立つものです。この信仰があって初めて、霊的存在やあの世の世界の探究が始まります」

 医学をさらに進歩させ、病気で苦しむ人々を救っていくためには、医者はもっと目に見えない世界の真実に心を開いていく必要がある。

参考

心の力で病気がよくなった

 医学的に説明すれば、本人の心の変化が自律神経に作用し、自律神経が免疫に作用して、病気が治ったものと考えられる。

 「心が自律神経に作用する」という部分は、考えれば考えるほど神秘的です。心の力という非物質的なエネルギーが、自律神経という物質的基盤を持った部分に作用する。それが引き金となって、自律神経がミクロの免疫細胞を強めたり弱めたりし、その免疫細胞が体の組織に働きかけて、ついには、がんができたり消えたりするといった目に見えるサイズの変化をもたらす。

 このプロセスは、大川隆法総裁が『心と体のほんとうの関係。』のなかで次のように述べられている。

「人間は精神が物質化する存在なのです。心のあり方がすぐ肉体に影響し、体調が変わります。心が病むと肉体も病んでくるのです」

 体が病んだり治ったりする出発点は、自分の「心」である。この事実を強く信じることで、私たちは己れの心や精神をコントロールして病気を治せるようになるに違いない。さらには、その精神的エネルギーを、人智を超えた大いなる存在への祈りとして発信することで、自分以外の人の病気を癒すことも可能となる。

 人体は、川の流れのごとく、常に変化・変転しています。これは、生まれてから死ぬまでの間、どういう肉体で生きていくかを、本人の努力と精進によって変えていける可能性が高いということです

 人間を『偉大な可能性を持った、精神的な部分のある存在だ』と考えることができたら、無限の可能性が開かれてくることになります

 強い信仰心を持つと、免疫機能がグーッと上がってきます。信仰の力は、私たち自身の未来を変えていく力があるのです。信仰心に基づいて、明るい心、積極的な心、親切な心、努力・精進を惜しまない心を持ち続けることができたなら、体の不調、病気等は必ず善転していきます。

 潜在意識も含めた、自分自身の精神と体を自分のものとしてつかまえてしまうことが大事です。自分自身の力で、数多くの試練に打ち勝っていただきたいと思います。

 「病気の自分」に意識を集中させることの問題について、大川隆法総裁は『ザ・ヒーリングパワー』で次のように指摘しました。

「病気のほうにフォーカス(集中)していくと、『悪くなって死んでいく』という図しか見えなくなってきます。そして、悲劇のヒーローやヒロインになって、周りの人を泣かせるような”映画”を、自分で一生懸命につくってしまうのです」

「『現在ただいま、病気をしている自分でありながら、それでも世の中のため、あるいは、利他のために、何か少しでもお役に立つようなことはできないか』ということに、できるだけ心のなかの思いを集中していってほしいのです」

 人間は、物理的な肉体と魂の二つが、重なりあう形で存在している。魂は肉体の死後も存在し続ける永遠の生命であり、魂の中心にあるのが心である。心に怒りや憎しみなどの暗い想念を持ち続けると、まず、魂に影ができ、その後肉体にも病変ができてしまう。逆に、心を変えることによって、肉体をよい方向にも作り変えることができるのです。

 こうした法則を踏まえると、病気を治すためには、治療とともに病気の原因となった心のあり方にこそ目を向ける必要がある。自分の心配ごとから自由になり、ほかの人を幸福にできる未来の自分を思い描くことが、意外な癒しの力につながるのかもしれない。