古代の太平洋上に高度文明

 縄文以前の石器時代には、主に南九州、四国、紀伊半島に海洋民族が居住していました。これが「港川人」で、沖縄で人骨が発見されており、北京原人よりも古いことが証明されています。このことを根拠に、かつて太平洋上に文明が存在し、活発な交流があったのではないかという説があります。

 「竹内文書」によると、大和先行王朝である「鵜芽葺不合朝」第69代・神足別豊鋤天皇の時代に、太平洋上には「ミヨイ」、「タミアラ」という大陸があり、五色人(白人・黒人・赤人・青人・黄人)と王族の黄金人がいたが、天変地異で水没しため日本に避難したとされています。

 また、出口王仁三郎も、米国考古学者・チャーチワードが「失われたムー大陸」を発表する9年前の1922年に、『霊界物語』第9巻で、「太平洋の真中に縦が二千と七百浬、横が三千一百浬の黄泉(よもつ)の島がある」として、太平洋に巨大な大陸があったことを発表しています。

 このようにみてみると、日本人のルーツは「海洋民族」を基本にして、これに「大陸系(狩猟、農耕、騎馬民、中東系)」が加わったものであると言えます。これを時代区分に対応させると、狩猟民、沿岸民、海洋民が「縄文時代」以前、農耕民が「弥生時代」、騎馬民、中東系が「古墳時代」以降ということになります。

 昭和24年に、物理学者の楢崎皐月(ならさきこうげつ)が、日本には縄文時代以前の石器時代に、「カタカムナ文明」という超高度文明があったことを発見しています。その傍証として、岩手県金取遺跡からは9万年前の足跡、島根県砂原遺跡からは12万年前の打製石器、また、東京都栗原遺跡や千葉県三里塚など、秋田県から奄美大島まで全国135ヵ所から、これまで世界最古とされてきたオーストラリアの2万9千年前を遥かに凌駕する3〜4万年前の磨製石器、青森県大平山元遺跡からは、世界最古とされる石器時代1万5〜6千年前の「無文土器」や「石の矢じり」が発見されています。

 さらに、熊本県の弊立神宮にある「日文石板」は、炭素放射線測定の結果20〜30万年前のものと証明されており、そこには「豊国文字」を使った古代天皇の名で「ひふみよいむなやこともちろら、ねしきるゆいつわぬそを、はたくめかうおえに、さりへてのますあせゑほけれ」と記されています。

 

兵庫県にあった世界最古のカタカムナ文明

 楢崎皐月は戦前、満州に渡り、石原莞爾、辻正信、服部卓四郎らとともに満州の発展に寄与、特に当時世界一の製薬会社だった「星製薬(現在は品川)」の星一と「植物波農法」などの植物研究に取り組み、モルヒネなどの研究開発にも関わります。そのような中、楢崎が吉林にある道院を訪ねた際、廟の道士である蘆有三から瞬間沸騰する茶釜を見せられ、「上古代の日本には『アシア族』といって、八鏡文字を編み出し、特殊な鉄の鋳造技術等の高度文明を持つ人々がいて、それが中華文明の基礎になった」という古伝を聞かされます。謎を抱えたまま終戦で帰国、星製薬で大気電気の研究を続けていた楢崎は、昭和24年、兵庫県六甲山でカタカムナ神社の宮司・平十字(ひらとうじ)に遭遇、「カタカムナ文献」を見せられました。そこには「宇宙の構造」や「生命体の本質」など、最先端の科学、哲学が記されていたのです。

 このような文献が見つかるところからすると、人類学的な人間の起源は別として、日本が文明社会の起源だった可能性が出てきます。では、なぜ超古代の日本にこのような高度な文明が存在したのか? 鍵は、いわゆる「天孫降臨神話」にあると言われております。