霊界の太陽

 「霊界の太陽」というと、エマニュエル・スウェーデンボルグが有名です。スウェーデンボルグは、著書の中で霊界には地上と同じように太陽があり、この霊界の太陽が霊界ではすべてのエネルギーの元になっているという。霊界の太陽は「生命の秩序と基礎」であるという。

エマニュエル・スウェデンボルグ『天界と地獄』 より

「天界には、この世の太陽も、太陽を起源に生産されるものも、姿を見せません。しかし、太陽も、光も、熱も存在し、この世にある万物以上の無数のものが存在しています。ただし、これら は別の起源からです。この世にあるものは、自然的なものですが、天界にあるものは霊的なものです。天界の太陽は、主です。天界の光は、〈神の真理〉です。天界の熱は、〈神の善〉です。」

『私は霊界を見てきた』より

「霊界の太陽はその光で霊界を照らし霊にものを見せ、またものを考える理性の基礎となっている。その熱は霊たちに生命を与えている。そして霊界の太陽は霊流という流れも霊界全体に放っていて、これは霊界の秩序を保ついっぽう、霊の霊的能力の基礎になっている。この霊流の存在こそは霊界と自然界(この世)の性質を全く相違したものにしている根源にほかならない。  

 霊流には二種あって一つを直接霊流、一つを間接霊流という。直接霊流は太陽から各世界、各団体の個々の霊に直接注がれ霊的能力の基礎となっている。間接霊流は太陽から放たれたのち上世界を経て中世界へ、中世界を経て下世界へと流れ込む。また各世界の霊はそれぞれの世界に流れ込んだ間接霊流も直接霊流と合わせて受取っている。間接霊流はこのように霊界全体の各世界、各団体と全ての個々の霊をつなぎ、それら全てを秩序づけているものだ。もし間接霊流がなければ霊界は、ばらばらに分解し存在することすらできなくなるだろう。霊界の太陽は霊の生命と霊界の秩序の基礎なのだ。」

 「霊界の太陽」は、地上で見られる太陽とは別ですが、スウェーデンボルグの言う「相応の理」によりつながっています。この世の太陽は「霊界の太陽」の影に当る。「霊界の太陽」こそ信仰の対象とすべきというのです。

 神智学でも、同様に霊界の太陽が霊界で全ての力の源泉であるといわれます。

 霊界の太陽について、幸福の科学大川隆法総裁は、著書『大悟の法』の中で以下のように説かれました。

「実は、この世の太陽とまったく同じものが霊界にも存在しています。それは霊太陽といわれる存在です。霊太陽は、地上で見る太陽とは少し色合いが違い、やや白っぽく見えます。この霊太陽が、大宇宙の生命たちに光のエネルギーを送り込んでいるのです。霊太陽の霊的エネルギーと、この世の太陽の光エネルギーとは、実は同じエネルギーの裏表なのです。この世に物質化して現れる場合と、物質化しない場合という違いだけで、エネルギーとしては同じものです。これが、霊界のものと、この世のものとが、行ったり来たりする理由です。最近の先端的な物理学でも、素粒子のなかには、「物質、物体のような現れ方をしたかと思うと、突如、消えてなくなる」というものがあることが分かっています。「姿が消えては、また現れてくる」という、出たり消えたりする幽霊のような素粒子が、数多く見つかっています。これは実は、霊的エネルギーと、この世的エネルギーのあいだを、行ったり来たりしているのです。極小の単位、いちばん小さな単位において、霊界とこの世を行ったり来たりしているわけです。そのようなことが起きるのは、霊太陽のエネルギーと地上の太陽のエネルギーとが表裏一体のものであるからです。霊太陽から出ているエネルギーは、この世の太陽の光エネルギーと一体化して、大宇宙のなかを進んでいます。霊太陽のエネルギーは霊界に生きているものたちを満たし、この世の太陽光のエネルギーは植物や動物たちを養っています。そして、その二つのエネルギーが転生輪廻を経て合体しているのです。共に裏表になりつつ、二つになり一つになりしながら、大宇宙のなかを巡っているのです。物理学の法則のなかにも、「物質とエネルギーは同じである」というものがあります。「物質はエネルギーの表れにしかすぎない。物質はエネルギーに変換することも可能である」ということが知られています。 れは物理学の法則としては知られていますが、その現実の意味を、大多数の人々は知らずにいます。それは、「霊界とこの世は置き換えることができる。互換しうる。そこには置換法則が働く」ということです。霊的存在が、この世の存在として現れることもでき、また、この世の存在が、霊的存在に移行することも可能なのです。したがって、虚空のなかから物質が出現し、この世に存在することは可能です。また、この世に存在するものが、蒸発するかのごとく消えていくことも可能です。人間は、そのようなエネルギー磁場のなかに生きているのです。」

 霊界の太陽はどういう位置づけでしょうか。9次元霊は霊界の太陽とは言えない。10次元霊の大日意識、月意識、地球意識というのも地球系の意識ということで違うように思う。あるとすれば11次元霊の太陽の生命体、太陽としての霊体そのものが当たる。とすれば、地球霊界の中で崇拝すべき究極のもの、つまり、霊界の太陽は11元霊だと思います。

 地球の霊界の太陽は、太陽系の太陽の霊的側面であるようです。

 そして、不思議なことには、霊界の太陽は私たちの頭上ではなく、常に前方で胸の位置にあるということです。

 ところが、『太陽に恋して ガイアの霊言』(P-89~91)では、このように語られておられました。

「三次元において地球にある植物や動物も、その命の源は太陽の光です。同時に、霊界においても、霊界の大きな太陽の力が、地球にあらゆるものを存在させ、生長させ、繁栄させようとする。この「霊界の太陽」に相当するものが、実は、アルファ様の本質なのです。」

 「相当する」という表現を使われております。

 エル・カンターレの本体の生誕は、1回目の下生が アルファ で、2回目が エロヒム、3回目が 大川隆法総裁である。『天御祖神の降臨』において、天御祖神の存在は「11次元」(P-71~72、77~78)、主エル・カンターレとの関係では、「主エル・カンターレの本体意識の真ん中がエル・カンターレで、この外側が天御祖神」(P-72~77)、ウィシュヌ神との関係では「いとこ」(P-92~94)、エル・ミオーレとの関係では、「エル・ミオーレは右目に当たる存在」、天御祖神は「人間ではない」(P-95~97)のようなことを、秀真文字の書かれたボードの文字を指で指していわれました。

 エル・カンターレという大霊は、14次元の存在を円の中心として、その周りに11次元、9次元の円環で描くことができる。大川隆法総裁は、エル・カンターレの中核の14次元の存在である。人霊として指導する場合に9次元で顕現されている。天御祖神は「エル・カンターレの本体意識の外側が天御祖神」と言われた。天御祖神が、14次元の主エル・カンターレの外側の11次元の存在であると言ったのだと思います。霊界の太陽の位置づけですが、この地球の太陽系でいう太陽の存在が11次元ですが、エル・カンターレの11次元で顕現しているのが地球霊界での「霊界の太陽」で、私たちに光を与えて下さっているのでしょう。まさに私たちの信仰の対象なのですから。