物質 粒子と波の不思議

 プランクやアインシュタインの光量子の考え方は、光は電磁波、すなわち波であると同時に粒子でもあるということでした。

 そうであれば、粒子が波であるということも考えればありうることです。

 この考えを、プランクのエネルギー量子説とアインシュタインの特殊相対性理論を組み合わせて示したのが、フランスの貴族で物理学者の ド・ブロイ でした。

 ド・ブロイは、もし粒子が波ならば、波長はどうなるのかということを考えたのです。

 特殊相対性理論の結果は、質量に光速の二乗を掛けたものが、その物質の持つ全エネルギーであるということです。

 質量を m 光速を c で表すと、全エネルギー Eは E=mc2 で表されます。

 これは、何らかの事情で、物質が消滅して光に変化した時に、これだけのエネルギーを光として放出するということでもあります。(これは、現在、原子核エネルギーとして利用されています。)

 一方、プランクのエネルギー量子説では、光のエネルギーはプランク定数に光の振動数を掛けた物です。

 プランク定数を h光の振動数をν(ギリシャ文字のニュー)として式で書くと、E=hν です。

 物質が消滅して光になった時、そのエネルギーはアインシュタインの式でも、プランクの式でも書くことが出来るので、 mc2 =hν とすることが出来ます。

 ド・ブロイは、この式から、質量にアインシュタインの特殊相対性理論の式(運動している物体の質量は静止している時よりも大きくなるという式)と、波が塊になって進む速度(群速度という概念)を使って、物質の運動量(質量×速度)はプランク定数÷波長、あるいは、波長=プランク定数÷運動量 という式を導き出したのです。

 波長をλ、運動量をpであらわすと、λ=h / p です。

 光速で運動している物体の運動量は質量×光速なので、上の式の両辺を光速で割ると、

質量×光速=プランク定数×振動数÷光速

 になります。すなわち、mc = hν/cです。

 ここで、波長×振動数は光速ですので、光速÷振動数は波長になります。

 (すなわち、波長×振動数=光速 の両辺を振動数で割ると 波長=光速÷振動数 になります。)

 したがって、振動数÷光速は波長の逆数 1÷波長ですので、質量×光速を運動量で置き換えれば、

 運動量=プランク定数÷波長

になります。これは書き換えると 波長=プランク定数÷運動量 になります。

 これは、物質が粒子の性質と共に波の性質を持つという、画期的なものでした。

 1923年にド・ブロイはこの理論を発表した。それから4、5年後の1927年から28年には電子が波の性質である回折現象を示す、電子回折の実験がダヴィソンとガーマーによって行われました。また、そのすぐ後には、G.P.トムソンと菊池正士によって、よりはっきりした電子回折の実験結果が示され、ド・ブロイの物質波の考えは実験的に証明されました。

 物質が粒子と波の二重性を持つということは、当時の物理学者にとっては、エネルギーが不連続であるということと同様に受け入れがたいことであり、多くの議論と解釈がなされました。

 1925年にハイゼンベルクは有名な「不確定性原理」を発表し、それに基づいてマトリックス力学を構築しました。

 1926年には、ド・ブロイの物質波の着想のもとに,シュレーディンガーが「波動方程式」を発表しました。シュレディンガーが創った理論体系を波動力学といいます。シュレディンガーは2つの理論を分析し、両者の同等性を証明しました。

 この2つの理論によって、多くの実験結果を理論的に解くことが可能となり、量子力学は急速に発展しましたが、物質が波の性質を持つということは、観測の問題と絡めて、大論争を引き起こすことになりました。

 さらに、ディラックは、この2つの理論を特殊な場合として取り込んでいる完全に一般的な体系を構築しました。これを「変換理論」といいます(1927年)。ここに完成した量子力学が誕生したのです。その後、時代は下がりますが、ファインマンは斬新な着想のもとに新しい量子力学を創り上げました。これを「経路積分」といいます。

 通常、光は、波(高い振動数をもった電気と磁気の波動 電磁波)と考えられているが、連続した波の形ではなく、エネルギー量子というエネルギーの束になって空間を進んでもいる。光は波であると同時に粒子であり、この二つの側面はプランク定数によって結びつけられている。個々の光子のエネルギーの公式 E=fh において、Eはエネルギーで、fは光の振動数、そしてhはプランク定数である。このエネルギー量子を光子といい、光子は素粒子の一種とされている。fhのエネルギーをもつ粒子が光量子(光子)である。光は、光子という数えることのできる粒子が集まった束である。また、[P=h/λ]において、Pは運動量で、hはプランク定数、λは波長である。波と粒とでは普通は相いれない概念であるが、波とか粒子とかいっても、それはもともと日常の経験をもとにしてつくった人間の直感にすぎない。光はどうしてもこの両者の性質をもっていて、ある実験をすれば波動性(回折、干渉)が、また別の実験をすれば粒子性(光電効果)が現れてくる。

 光電効果とは、適当な振動数を持つ光を金属に当てると、(もし光が波ならば電子に衝突することなく通り抜けてしまうはずなのに)、金属から電子が飛び出すと言う現象である。光は、ある状況下では波のように振る舞い、別の状況下では粒子のように振る舞うのである。  さらに、光子のもつ粒子と波動の二重性は光子だけの性質ではなく、すべての素粒子が粒子であると同時に波動でもある。量子論は、ある意味では世界を物ではなく波でできているとみなしている。頭の中にはっきりと思い描くことは難しいが、普通には粒子と思われているものにも波動性が伴っていて、二重性こそ普遍的な姿なのである。現代科学は素粒子を、粒子という性質をもつと同時に、空間に拡がっている波動としての性質をもつものと考える。粒子や物質は、粒子性の切り離せない反面として波動性をもっている。素粒子は、粒子としては空間の中に局所化しており、分かれることはできず、他の粒子と衝突する。一方、波としては空間の広い領域に広がり、無数のやり方で分けることができ、他の波と完全に混じりあう。電子を粒子とみなせば、原子の大部分が空虚な空間であるが、波動であると考えると、電子は原子を隅々まで満たしていることになる。電子線は波動としての性質をもっており、その波長は可視光よりずっと短く、電場や磁場によって進路を曲げるレンズをつくることができる。そこで、これらの素粒子は、物質波という新しい概念でとらえられるようになるのである。電子顕微鏡は、可視光(光子の電磁波)のかわりに電子の物質波(電子波)を用いる装置である。

 こうして、世界は粒子でも波でもない あるものからできており、そのあるものとは、金属板などに当てたときは粒子的な性格をみせ、レンズなどを通したときは波動的な性質を示すところのものである。言い替えれば、物質の構成要素は粒子であると同時に波動でもある。われわれが日常的に経験するマクロの物体では、粒子・波動の二重的性質は観測されないが、それは、その両者を結び付けるプランク定数hが、6.62×10-27erg・s(エルグ秒)と極めて小さいためである。  ところで、相対性理論によると、物質の質量とエネルギーは同じものである。アインシュタインの有名な公式 E=mc2 において、Eはエネルギー、mは質量で、両者を結ぶのが光速度(約30万km/s)の2乗c2である。この二つのものは表面的には大変異なってみえるが、一定の割合で相互に変換されうる。電子は、陽電子(電子の反粒子)と出会って、一挙にその質量が全部消滅してエネルギーになる。電子と陽電子が一緒になると、その質量が2個または3個の光子(つまり輻射熱、光子は質量をもたない)に変わる。粒子が反粒子と一緒になると、その質量がエネルギーに転化し、大きなエネルギーが発生する。逆に、十分なエネルギーをもった二つの光子が衝突すると、そのエネルギーは電子と陽電子が対発生することによって質量に変わる。  また、動いているものの質量は、動かない場合の静止質量と比較して増大する。物体に与えられたエネルギーの変化は、その物体の質量の変化に結び付くのである。エネルギーの高い状態にあるものは、低い状態にあるものに比べ質量が大きい。ただ、エネルギーを質量に換算するときの係数が小さい(1/c)ため、現実の生活ではこの質量の差は問題にならない。この係数の大きさは、質量をエネルギーに変換する場合は逆になる。原子爆弾は、物質の質量の一部がエネルギーに転換して、巨大なエネルギーを出すのである。陽子は三つのクォークからなっているが、陽子の中の三つのクォークは、陽子の運動量の半分しか担っていない。陽子の中では強い力のためにエネルギーが高くなり、自分自身のもつエネルギーによって、クォークと反クォークを対発生させている。こうして生まれたクォークと反クォークが、陽子に追加の質量を与えている。生まれ出たクォークは、そのまま陽子の中に存在し続けるわけではなく、互いに衝突して消滅し、エネルギーに戻ってしまう。陽子の中ではこのようなことが、繰り返し起こっているのである。全くの真空においても、粒子と反粒子の生成と消滅の過程が、観測されないほどの短時間に繰り返されている。量子力学によれば、空間は仮想的な粒子と反粒子の対で満たされており、不確定性原理によって許される短い時間内で、たえず粒子とその反粒子が対になって生成され、そして、対消滅している。つまり、真空は揺らいでいるのである。このように、空間には揺らぎがあり、物質とエネルギーは対応する。そうすると、素粒子は、それが占めている空間の一点にたまたまエネルギーが凝縮されて、粒子として現われているのだと考えることもできる。これをつきつめていくと、空間にはエネルギーだけがあり、空間のエネルギーの密度の不均一により、他のところよりエネルギー密度が高くなっているところが、粒子として観測されているにすぎない。こうして、物質とは、実体として存在するものではなく、エネルギーが示す一つの現象であるとも考えられるのである。現在の物理学は、一つの理論として、自然界の構成要素であるクォークやレプトンは、「無」が自分自身の力によって生み出したと考えている。無が生み出すのは、粒子と反粒子の対である。初めは粒子と反粒子との間に存在していた対称性が、どこかの時点で破れて数のバランスが崩れ、同数の粒子と反粒子とが対消滅した結果、生き残った過剰な粒子が物質へと発展してきた。