量子論の歩み

原子的性質

 全ての物質の根源的要素のことを元素と言います。現代において、元素とは原子の種類であると言える。

 

電子の発見

 ガラス管の中を真空に近い状態にして、高電圧をかけると放電現象が起こります。このとき見える線を陰極線といいます。

 次のような特徴があります。

 ・物体によって遮られ、影ができます

 ・負の電荷を運びます

 ・当たった物体の温度を上昇させます(エネルギーを運びます)

 ・電場や磁場によって曲がります

 この陰極線の正体は何でしょうか? 1897年、J.J.トムソンは、トムソンの実験と呼ばれるもので このことについて考察しました。

 陰極線の正体の粒子は、水素イオンと同じ質量で1800倍の大きさの負電荷をもつ粒子か、または、水素イオンと電荷の大きさは同じで、1/1800の質量をもつ粒子である可能性がありました。J.J.トムソンは後者をとり、その粒子を電子と名付けたのです。

 

電気素量の測定

 トムソンの実験により、電子の電荷の大きさと質量の比である比電荷はわかったのですが、電子の電荷の大きさそのもの、あるいは電子の質量そのものは測定されていませんでした。1909年、ミリカンはミリカンの実験と呼ばれるもので、電子の電荷の大きさである電気素量の測定に成功しました。

 電子の発見、及び電気素量の測定によって、物質は跳び跳びの構造もっており、原子的性質を備えていることが確立されました。これらの研究は19世紀の終わりから20世紀の初めにかけて行われ、量子力学が創始される時代の幕開けとなりました。

 

黒体輻射の問題

 19世紀の終わりごろ、黒体輻射の問題といわれるものがクローズアップされました。絶対温度を上げると、物体は「光」、すなわち電磁波を放出します。このことを輻射といいます。特に、光(電磁波)を反射しない黒色の物体である黒体といわれるものでできている箱、すなわち、空洞からの輻射を黒体輻射といいます。実験によると、空洞内の光(電磁波)のスペクトル(振動数と強度の関係)は絶対温度 T のみに依存し、壁の物質、空洞の形、または大きさには関係しませんでした。実験から得られた黒体輻射のスペクトルを説明する式として、振動数の小さな領域での「レイリー・ジーンズの公式」と、振動数の大きな領域での「ウィーンの公式」と呼ばれるものが経験式として判明しました。1900年、プランクは2つの公式を繋ぐ式として「プランクの公式」を発見しました。

 

エネルギー量子の発見

 プランクは、「プランクの公式」を理論的に導出することを試みました。式はエネルギー分配則であり、プランクの公式は導出されません。プランクはエネルギーが連続であるという、それまで当然のことと考えられていたことに問題があるのではないかと思い至りました。そして、エネルギーは跳び跳びの値をとる不連続量であるとする、「エネルギー量子仮説」を思いついたのです。

 プランクのエネルギー量子仮説により、連続な値をとるものとされていたエネルギーが、不連続な値をとることが判明しました。物質が原子的性質、つまり、跳び跳びの構造をもつことがわかったことに続いて、エネルギーもが跳び跳びの性質をもつことが理解されるようになった。この事実は1900年に発見されました。そして、それは20世紀の量子力学の成立へと繋がっていったのです。

 

光の二重性

 光とは何でしょうか? この問題については、古くから論争が続いていました。力学を創ったニュートンは、光は粒子であるとし、様々な現象を説明しました、それに対して、ホイヘンスは光の波動説を唱え、ニュートンの粒子説と対立しました。19世紀の初めに、ヤングにより二重スリットの実験が行われ、光が干渉することが判明しました。干渉は波動でしか起こらない現象であり、波動説が有利な立場になりました。さらに、マクスウェル電磁気学が確立して、光は電磁波の一種であることが理解され、光が波動であることは疑いのないものとされました。

 ところで、光というと目に見えるものに限られてしまうイメージがあるが、目に見えない電波、赤外線、紫外線、X線等も含めて扱われている。これらの波を総称して『電磁波』という。名前に『電気』と『磁気』が入っているように、電気と磁気は切っても切れない関係にある。

 1864年、マクスウェル(C. Maxwell)により統一的に方程式で電気と磁気の様子が記述されるようになる。電気と磁気はまとめて電磁気と呼ばれる。マクスウェルの方程式を詳しく検証すると、電磁気は真空中、あるいは物質中を波として伝わる事が分かる。そこで、「目に見える光は電磁気を伝える波ではないか」という仮説(「光の電磁波説」)が、1871年にマクスウェルにより提唱され、ヘルツ(H. R. Hertz) により 1888 年に電気火花を起こすと電磁波が発生するという実験がなされ、光は電磁波 である事が確かめられた。このマクスウェルの方程式から予言される電磁波(光)は、「特殊相対性理論」を提唱する重要なきっかけとなりました。

 光の波動説が定説となって、しばらくした後、19世紀の終わりに光電効果という現象が発見されました。これは、紫外線や青色の光など、振動数の大きい電磁波を金属の表面に当てると、電子が跳び出す現象です。

 実験を繰り返し、次のような特徴を見出すことができました。

・当てる電磁波の振動数が大きい程、跳び出す電子の運動エネルギーは大きくなります。

・電磁波の振動数が小さくなると、跳び出す電子の運動エネルギーが小さくなり、やがて電子は跳び出さなくなります。

・振動数が小さいと、電磁波の振幅を大きくしても電子は跳び出しません。

・当てる電磁波の振幅を増加させても、跳び出す電子の運動エネルギーには影響を与えません。ただし、跳び出す電子の個数が増えます。

 これらの特徴について、光が波動であると考えると説明がつきません。つまり、当てる電磁波の振動数によって跳び出す電子の運動エネルギーが変わるなら、電子を跳び出させた電磁波のもつエネルギーが変化したことになります。しかし、波動のエネルギーは、振動数だけでなく振幅にも関係してきます。振幅の大きな波動程、大きなエネルギーをもつという特徴があるので、振幅を大きくすると、跳び出す電子の運動エネルギーは大きくなるはずです。特に、光の振動数を小さくしても振幅を大きくしてやれば、電子は跳び出してくるはずです。このような状況の中で、1905年、アインシュタインはプランクのエネルギー量子仮説に基づき、「光量子仮説」を発表しました。(1905年、特許局の事務員だったアインシュタインは特殊相対性理論ブラウン運動の理論を発表しています。)

 この理論の中で、アインシュタインは、振動数が ν の電磁波は hν のエネルギーをもった粒子の集まりであると仮定し、その粒子を光量子(光子ともいいます)と呼びました。特に、光量子のエネルギーは振動数のみに依存し、振幅とは無関係であるとしました。この仮説により、光電効果は次のように説明されます。

 振動数の大きな電磁波は、エネルギー hν が大きな光量子の集団になります。そのエネルギーの大きな光量子を金属の表面にぶつけると、金属と電子の結合が切れて電子が跳び出してくるのです。振動数 ν が大きい程、光量子のエネルギー hν が大きいので、電子は勢いよく跳び出すことになります。逆に、ある一定の振動数以下になると、金属と電子の結合を切るだけのエネルギー(これを仕事関数 W と言います)を光量子がもてないため、電子は跳び出せなくなります。跳び出した電子1個の運動エネルギーの最大値 1/2mν2 は、光量子1個のエネルギー hν と次の関係にあります。

   1/2mν2hν

 つまり、光量子1個で1個の電子を叩き出しますが、光量子1個のエネルギーのうち一部を、電子を剥ぎ取るために仕事関数 W として使い、残りのエネルギーを電子の運動エネルギーに使うということになります。また、電磁波の振幅が大きくなるということは、電磁波の強度が増すことに相当します。このとき、光量子の個数が増えると考えることができます。当てる電磁波の振幅が大きくなっても、光量子1つ1つのエネルギーは変化しませんが、光量子の個数が増えるので、それだけ跳び出す電子の個数が増加することになります。

 このように、アインシュタインは光量子仮説によって光電効果を完全に説明して、光の粒子説を復活させました。

 アインシュタインが光子のエネルギー E を、プランクのエネルギー量子仮説により、 E = hν とした。

 粒子である光子の運動量の大きさを表す式を導いてみますと、特殊相対性理論より、

  E2 = C2P2 + m2C4

という関係式が成立します。

 よって、 P = h/λ が成立します。

 光子について、エネルギーと運動量の大きさに関するこれら2つの関係式をアインシュタインの関係式と言います。

 光と同じ電磁波の一種であるX線は、ブラッグの実験というものにより、波動性をもつことが確認されていました。1923年、コンプトンは、コンプトン効果と呼ばれる実験により、X線が粒子性を併せ持つことを確認しました。この実験は、X線をターゲットとなる物質に入射すると、X線が散乱されるという簡単なものです。次の2つの特徴があります。

・散乱されたX線の中には、入射したX線の波長よりも長い波長のものが混ざります。

・散乱角が大きくなる程、散乱されたX線の波長が長くなります。

X線の粒子性が確認されたのです。

 以上のように、光(電磁波)は粒子としての性質をもつことが確認されました。しかし、従来の波動としての様々な現象が存在することも事実です。光(電磁波)は、波動として振る舞うときと、粒子として振る舞うときがあるらしいことが判明してきたのです。このような波動性粒子性の2つの性質を併せ持つことを、光(電磁波)の二重性と呼びます。光(電磁波)の二重性はミクロ世界の著しい特徴になっています。

光の波動性と粒子性

アインシュタイン vs ボーア

物質の二重性

 光(電磁波)の二重性が明らかになってきた頃、1924年、ド・ブロイは、光に二重性があるのならば、粒子であるはずの電子にも波動性があるのではないかと考えました。電子が粒子であることは疑いのないものとされていましたが、その電子に波動性があるのではないかと思い付いたのは、二重性こそがミクロ世界の本質であることを見抜いたからではないかと推測されます。

 光が二重性を持つならば、物質もまた二重性を持つはずということで、物質波は、1924年、ド・ブロイによって提唱されました。物質波と言っても、1個の電子が水のように液体状に溶けていて水面波のような波になるわけではありません。1個の電子を観測するとあくまで1個の粒子であるかのように観測されます。1個の電子を二重スリットを通過させるとスクリーン上のどこかに1つの点ができます。干渉縞はできません。ところが多数の電子を次から次へと二重スリットを通過させると、ヤングの干渉実験と同じような干渉縞ができるのです。二重スリットを通過した電子がスクリーン上のある点に来る確率が波の性質を持っているのです。実は、非常に弱い光でヤングの干渉実験を行うと、電子と同じように光子1個が点となって観測され、干渉縞はできないことがわかっています。  ド・ブロイの公式は、アインシュタインが光量子仮説で提唱した式と同じ関係式です。

 その後、電子線回折の実験等、電子の波動性を確認する実験が行われました。物質(電子、陽子、中性子等)は、粒子性と波動性の二重性を併せ持つことが理解されるようになったのです。物質(電子、陽子、中性子等)の波動のことを ド・ブロイ波、または、物質波 と言います。

 光子の場合、エネルギー E と運動量の大きさ P は、次の2つの式のように与えられることが、アインシュタインによって理解されました。

  E = hν   P = h/λ

 ド・ブロイは、これらの関係式が電子の場合もそのまま成立すると考えました。この2つの式は、物質(電子,陽子,中性子等)については、「ド・ブロイの関係式」と言います。

 

物質は波であり、粒子である  「粒子と波の二重性」

 物を見るためには光を当てなければならない。そして、物の位置と速度を正確に測るためには、光が当たっても相手の状況に変化のないことが必要である。日常われわれの見ている物質の場合には、観測による影響はほとんど無視することができるので、この条件が満たされていると考えてよい。ところが、素粒子くらいの小さなものになると、その辺の事情が変わってくる。物体の位置の測定精度は光の波長に依存するので、正確に測定するためには波長の短い光を使う必要がある。波長(λ)の短い光とは、振動数(f)の大きい光として、エネルギー(E=hf)の大きい光であり、運動量(P=h/λ)の大きい光子である。光を当てるというのは光子をぶつけることでもあり、光子は運動量をもっているから、ぶつけられた瞬間に相手の速度が変化してしまう。原子より小さい世界では、観測は必然的に一つの粒子とほかの粒子との相互作用を意味し、その相互作用が両方の粒子の運動をかき乱す。そこで、できるだけエネルギーの小さい光子、つまり、波長の長い光を使うことにする。そうすると、今度は回析という波の現象が著しくなって、粒子の正確な位置が測れなくなってしまう。このような性質は、単なる測定上の問題ではない。たとえば、原子核の周りを回る個々の電子は、一定の位置と運動量をもって定められた軌道の上を走っているのではない、ということを意味している。  

 素粒子は粒子であると同時に波動である。そして、粒子の概念と波動の概念の間には根本的な相違がある。粒子は空間の一点に限定されるが、波動はそれができない。波が極めて広い範囲に広がることができるのに対し、粒子は小さな領域に限定される。波動を空間のごく小さな領域に押し込めようとすると、波動を記述するために必要な変数の値が不正確になる。量子はその波動性のために先天的な不確定さを持っており、そのために二元的な精密な測定が原理的に不可能なのである。  

 

不確定性原理

 ニュートン力学においては、野球のボールや天体等、その運動において座標と運動量を厳密に、しかも同時に決定することができました。ところが、ミクロの世界では、位置と運動量を同時に正確に測ることができない、ということが起きます。

 位置が分かればわかるほど、運動量の情報は少なくなる。運動量が分かれば分かるほど、位置の情報は少なくなる。ならば、いっそのこと、両方を掛け合わせてしまおうということ。

 素粒子の位置と運動量の測定精度の間には、不確定性原理が成り立つハイゼンベルクの不確定性原理)。 位置の不確定性と運動量の不確定性の積は プランク定数に等しいということになる。

 不確定性原理「ΔpΔχ ≧ h/(2π)」において、Δpは運動量の不確定さ、Δχは位置の不確定さ、そしてhはプランク定数である。いくら測定の器具や技術を磨いても、二つの量の正確さは、原理的にプランク定数の限界を超えることができない。このことは、位置の測定を正確にするには運動量の正確さを犠牲にし、運動量を正確に測定するためには位置の正確さを犠牲にしなければならない、ということを意味する。一方の属性を完全に正確に測定(Δp=0)すれば、他方の知識は完全に失われて(Δχ=∞)しまう。このようにして、予測に必要な粒子の位置と速度を、両方とも正確に知ることはできないのである。位置と運動量の不確定性の関係は、ミクロの世界の法則の一つである。相互作用の時刻の不確定さ(Δt)とエネルギーの不確定さ(ΔE)との間にも、同じ関係がある。

 位置を測ると運動量(質量と速度を掛けたもの)が変化し、運動量を測ると、その間に位置は変わってしまいます。これを利用して、送る側の光子の位置を測定することで、受ける側のもう一方の光子の運動量を変化させて、情報を伝えるのです。

 

 個々の素粒子は、観測と観測との中間では波のように行動し、観測されたときは粒子として現われる。われわれが観測できるのは、量子波ではなくて粒子である。量子論は、未測定の素粒子を波動として表現し、測定された素粒子を粒子として表現する。量子波動は確率の波であり、ある事象が観測される確率を表す。素粒子のある瞬間に占める位置を一つの点として表現するのではなく、その点を囲んだ一定の拡がりの空間を、測定の際にその粒子の現われる可能性の空間として表現する。同様に、粒子の運動量も座標空間の一点としてではなく、一定の拡がりをもった確率によって表現する。量子の波形には、ある位置と運動量をもつ粒子的現象を観測する確率が、暗号化された形で含まれているのである。物理学者は波動方程式を解いて、一つの属性が測定の際に実現される確率を計算する。波動関数の絶対値の2乗は、粒子がある位置に存在する確率を現す。波動関数は統計的な意味を持つものであり、量子論は統計的な予測しかしない。物理学は、素粒子の位置も運動量も確率的にしか表現できないのである。それは、現在の知識や測定技術が不完全なものであるからではなく、自然の姿が本来的にそのようなものだからである。

 量子は、単に「小さい」だけではなくて、原子より大きい世界に存在する「物質」とは振る舞いが異なります。 電子は「量子」なので、「電子1個だと水素、2個ならヘリウム・・・」という、物質の世界では起こらないような現象が生じます。

 電子は波のような「波動性」を持っています。電子が、どのような形の波動になっているのか、それを数学の関数の形で記述したものを 「波動関数」と呼びます。電子は「波だけ」ですから、その波の状態を表す「波動関数」がわかれば、「電子」を理解できるはずです。

 波動関数を知るためには、波動方程式という名前の方程式を解く必要があります。これを解くと、 その答えとして波動関数が得られます。その方程式を解くために、「作用素」と「固有状態」を使います。

 

 量子力学の描く多世界解釈でのマルチヴァースについてですが、この理論はミクロの世界を支配している法則です。例えば、腕時計やパソコンの半導体の内部では量子力学に従って電子が運動しています。しかし、この理論は本当に常識では考えられないような理論の展開になっています。つまり、すべての粒子は波であり、しかも、伝播してくる波を観測すれば収縮して場所が決まりますが、それは確率的なのです。観測ごとにその結果は変わってきますから、波としての確率的な予言しかできません。「シュレディンガーの猫」の話があります。箱の中に猫と放射性物質を入れます。放射性物質は崩壊すると毒物質を発生させます。崩壊すると猫は死にますが、箱を外側から観察している人間にとっては生きているか死んでいるかわかりません。両方の状態が同じ確率で波として存在している。箱を開ければ、生きているかどうかわかります。つまり観測するまでは生きている状態と死んでる状態が重なっている状態だという妙な理論です。この理論をもう少し論理的に説明できるのが多世界解釈というものです。つまり猫が生きている世界と死んでいる世界、そこに両方の確率があれば、確率ごとに世界は分裂していくという立場です。タイムマシンも、この理論に当てはまるわけです。量子力学の描く世界では、このように宇宙は無限に分岐しているというものです。これも、証明できるかという話とは無縁の原理ではあります。

 

量子と二重性の本質

 光(電磁波)と物質(電子、陽子、中性子等)は、二重性を併せ持つことが明らかになってきました。ここで、ミクロ世界において、二重性をもつものを量子と名付けることにしまします。光子、電子、陽子、中性子等は量子になります。また、素粒子論でのクォークやレプトンも量子であると言えます。これらから、量子については次の2つの式からなる「アインシュタイン-ド・ブロイの関係式」が成立することが理解されます。

   E = hν   P = h/λ

 これら2つの式を変形しますと、

   E = hν   P = hk

 となります。ただし、ω は角振動数、k は波数です。これら2式も「アインシュタイン-ド・ブロイの関係式」といいます。これらの関係式の左辺は、エネルギーや運動量の大きさといった「量子の粒子性」に関係する量を含んでいます。一方、関係式の右辺は角振動数や波数といった、量子の波動性に関係する量を含んでいます。「アインシュタイン-ド・ブロイの関係式」は、量子の二重性を関係付ける式として理解されるのです。

 以上のように、20世紀の初め、光と物質の二重性が確認されましたが、最初はその本質が理解されませんでした。二重性はミクロ世界独特の特徴であって、常識的な従来の概念とは相いれないものであることが、その理由となっていました。1910年代から1920年代の初めにかけての過渡的な理論を前期量子論と言います。

ある現象に対しては 波動、別の現象に対しては 粒子 と考え分けて対応していたのです。しかし、このような理論が本物の理論であるとは到底考えられません。その後、1920年代半ばから1930年代にかけて満足のいく理論が確立しました。

 

原子モデルと原子によるα粒子の散乱実験

 光と物質の二重性が明らかになっていくのと並行して、原子内部の構造についての研究も進められました。当時、原子構造のモデルは、まず、1904年にJ.J.トムソンによって考案されました。それは、原子の内部はレーズンパンのようなものであるというモデルです。正に帯電した球形の連続的な生地の中に、電子がレーズンのように散らばっていて、全体として電気的に中性になっているという内容になっていました。

 1909年、原子の構造を探るため、ガイガーとマルスデンは、ラザフォードの指導のもとに原子にα粒子を衝突させ散乱させる実験を行いました。実験の内容は、ラジウムから出るα粒子を薄い金属箔に衝突させるというものです。

入射したα粒子の大部分はそのまま直進して散乱されません。ごく少数のα粒子だけ、90度を越え、180度近くの大きな散乱角をもっています。

トムソンのモデルでは、2番目の特徴を説明することができません。ラザフォードは、原子の中心に正に帯電した原子核というものを考え、その周りに電子が回っているというモデルを提唱しました。このモデルによって、ラザフォードは量子論以前の古典論により理論を展開し、実験結果の2つの特徴を説明しました(1911年)。

 

水素原子のスペクトル

 水素の気体を入れた放電管からでる光を プリズムのような分光器にかけると、波長の違いによってできる跳び跳びの輝線である線スペクトルがみられます。1890年、線スペクトルの波長λを表す一般式は、リュードベリによって発見されました.

 リュードベリの公式は実験結果を再現する式ですが、経験式であって、当時あった法則から導出されたものではありませんでした。その後、水素原子の構造を研究し、リュードベリの公式を導出したのが ボーア です。スペクトルには、水素原子の構造に関する暗号のような情報が含まれていたのです。

バルマー系列

 水素原子を例にとると、水素ガスを放電管の中で発行させると、何種類かの色を持った光が出る。バルマーは、水素ガスの出す光の波長に法則性を見出した。

 バルマーの発見した法則を聞いたボーアは、その系列の謎を解いた。電子には軌道がいくつかある。電子は、ある軌道からとほかの軌道の間を移動するときに発行するが、その場所によって放出する電磁波の波長(色)が違うということ。

 

ボーアの前期量子論

 1911年、ラザフォードは、原子核の存在を実験によって明らかにしました。それに注目したボーアは、1913年に、最も簡単な構造をもつ原子である水素原子の構造として、「1個の原子核の周りの円軌道を、軽い1個の電子が回り続ける」という原子構造のモデルを考えて理論を展開しました。この理論は、リュードベリの公式を導き、その意味を明らかにするものとなりました。

 波動性があると、原子模型はどのようにかわるのでしょうか。電子は原子の周りを回るが波動なので閉じていなければなりません。また、ドブロイの関係により、波長は運動量に反比例するので、波長が短いものは速度が大きく、エネルギーが大きくなります。そのため、電子のエネルギーは1周するまでに何回振動したかで決まったエネルギーとなります。このためエネルギーは、とびとびの値しかとれなくなるのです。これを「ボーアの原子模型」と言います。一番エネルギーの低い状態を基底状態と言い、それより高い状態を励起状態と呼びます。また、とびとびのエネルギーをエネルギーレベルと言います。電子が基底状態から励起状 態に移るとき、その差にあたるエネルギーを吸収する必要があります。光は量子で、エネルギーと振動数が比例するので、光を吸収するときには、特定の振動数の光のみを吸収することになります。また、逆に放出するときも同様です。このようにしてボーアの原子モデルによって水素原子の線スペクトルが説明されました。

 熱は分子の細かい振動などですが、原子レベルでは陽子は重いので振動せずに光を放出してエネルギーを解放するのです。

 電磁気学によれば、電子のような電荷をもった粒子が円運動をすると、その回転数に等しい振動数の電磁波が放出され、電子はエネルギーを失って原子核に落ち込んでしまうことになります。この困難を克服すべく、ボーアは次の量子条件と呼ばれる仮定をしました。

 電子の運動量の大きさと円周の長さとの積が、プランク定数 h の定数倍に等しいときだけ、電子は安定な状態になります。

 ラザフォードの原子模型のように、電子が原子核の周囲を円運動しているとすれば、電子は加速度を持って運動しているため、電磁波を発生してエネルギーを失って原子核に落ち込んでしまう。ところがそのようなことは起こらない。この問題を解決するため、ボーアは、1913年、次のような仮説を立てた。

 角運動量は h の整数倍の値しか取ることができない。

 円周の長さがちょうど波長の整数倍であるとき、電子は安定に存在することができるということである。このとき、電子は定常状態にあるという。この仮説をボーアの量子条件という。

 定常状態にある電子のエネルギーをエネルギー準位という。定常状態にある電子が他の定常状態へと移るとき、その差にあたるエネルギー hν を電子は吸収または放出する。これを「ボーアの振動数条件」という。これにより、ボーアは水素原子のスペクトルを説明することに成功した。

 ボーアは、「リュードベリの公式」を導くことに成功し、一段と高いレベルの理論を形成することができました。しかし、量子条件と振動数条件という天下りの仮定をしている点、二重性の本質について踏み込んだ議論をしていない点で、不満が残ります。そして、1920年代半ばに量子力学という真の理論が誕生しました。水素原子の構造についても、量子力学の基礎方程式であるシュレディンガー方程式から解明することができました。

 量子力学が完成した後、ボーアの理論は前期量子論として、過渡的な理論としての意義をもつようになったのです。

 

量子力学の理論体系

 光と物質の二重性の問題や前期量子論の不完全性を乗り越えて、真の理論としての量子力学の概念と原理、さらに理論体系を導入していくことになります。

 1926年、ド・ブロイの物質波の着想のもとに、シュレディンガーが創った理論体系を波動力学と言います。一方、その1年前の1925年、ハイゼンベルクは別の体系である行列力学を創始していました。その当時、この2つの物理体系は、計算方法は異なりますが、いつも同じ結果を出すことがわかってきました。そこで、シュレディンガーは2つの理論を分析し、両者の同等性を証明しました。さらに、ディラックは、この2つの理論を特殊な場合として取り込んで、一般的な体系を構築しました。これを変換理論といいます(1927年)。ここに、完成した量子力学が誕生したのです。その後、時代は下がりますが、ファインマンは斬新な着想のもとに、新しい量子力学を創り上げました。これを経路積分といいます(1948年)。

 ニュートン力学やマクスウェル電磁気学等、量子力学以前の理論を古典論と言います。相対性理論は20世紀になってから創始された理論であり、現代物理学に属しますが、量子力学による理論以前の物理学ですので、古典論の範疇に属します。特に、量子力学以降の物理理論は量子論と総称されております。場の量子論や弦理論は量子論になります。

 ニュートンが主著『プリンキピア』で万有引力の法則などについて述べ、古典力学(ニュートン力学)を創始したのが1687年のこと。量子力学の基本であるシュレディンガー方程式が発表されたのが1926年。古典力学が確立してから約200年後に量子力学ができたわけです。もちろん、古典力学を覆すような現象が起きてから、理論の確立までには、数十年かかっています。

 そして、今は、量子力学ができてから約100年になります。乱数発生器や量子テレポーテーションなど、量子力学に基づいた装置や機器が普及し始めました。

 ところで、素粒子は極めて短い 量子ひも からできているという理論が立てられている。この超ひも理論(超弦理論)によれば、素粒子は、本質的に一次元の物体、すなわち、回転し、振動する「超ひも」に還元される。超ひもの振動から、クォークやレプトン、ゲージ粒子などが生み出される。極めて小さなこの一次元物体は、物質の起源であるのみならず、ひも自体がこれ以上単純化しようのない形で基本的な空間とつながっている。時空自体もあるレベルでは、超ひもからできている。超ひも理論は、時間、空間、物質、力という、物理学の本質すべてを記述している。この理論は、宇宙や物質、自然界の力、そして時間、空間の根源までを統一的に説明しようという試みなのである。

こうして、人間が経験的にとらえている時間、空間、物質、力などの素朴な概念が統一的に結びつけられて、物資概念の新しい意味が形成されようとしているのである。

 我々が認識できるのは 3次元の空間と時間の次元だけである。超弦理論ではこの世界は空間の9次元と時間の1次元、計10次元の時空で構成されているとされる。このうち、我々が認識できるのは3次元の空間と時間の1次元だけである。残りの6次元(余剰次元)はどうなっているのかといえば、小さく折りたたまれて「コンパクト化」されていると考えられている。それがどのような形をしているのかというと、「カラビ・ヤウ多様体」という非常に複雑な形状をしているとされている。

 カラビ・ヤウ多様体は、代数幾何などの数学の諸分野や数理物理で注目を浴びている特別なタイプの多様体。特に超弦理論では、残りの6次元(余剰次元)がカラビ・ヤウ多様体の形をしていると予想されている。この余剰次元の考え方が、ミラー対称性の考えを導くことになった。カラビ・ヤウ空間は非常に小さく、人間にはとても知覚できない。4次元から10次元までの余剰次元は、プランクの長さ(10-35m)程度に縮んでいるとされ、また、非常に複雑で難解な空間で、多くの謎に満ちている。しかし、この空間のおかげで、10次元の超弦理論を用いて我々の3次元空間を説明できるようになりました。

 超弦理論では、1次元の「ひも」が時の経過とともに 2次元の面を描く。M理論では、2次元の膜(ブレーン)が同様に、3次元の体積を描く。これらの次元を 8元数の8次元に加えると、「超弦理論」と「M理論」がなぜ10または11の次元を必要とするかについて、手がかりが得られる。  

 1次元宇宙の物質粒子と力の粒子は実数で記述され、2、4、8次元宇宙の場合は、それぞれ複素数と 4元数、8元数が対応する。こうすると、超対称性が自然に現れ、物質と力を統一的に記述できるのである。相互作用は乗算によって明快に記述され、すべての粒子は、同じ数体系を使って表現される。

 幅を実3次元として奥行に反転させた時に、3次元は非常に細い円筒形をした直線の1次元空間になっているとします。この円筒形を垂直に切断すると円形になるのですが、その円の内部に6次元からなる「カラビ・ヤウ多様体」が余剰次元として万遍なく均一に張り巡らさせています。そして、幅が奥行に反転されるときに、ictが次元として働くために、「3(実次元)+6(虚次元)+1(時間次元)=10次元」の超弦理論が考えられているのでしょう。しかし、M理論になると超重力理論を取り入れて超弦理論と統一したために、3(実次元)に替えて時間を取り込んだ4次元(時空)として扱かったようです。そのために、+1(次元)の意味が不明のまま、付け加えられているのではないかとおもわれます。

 数学的に重要なのは、3、4、6、10次元のひも理論では、スピノルは全てそれに対応したノルム多元体に含まれる2つの数を使って表現できることである。他の数の次元ではそうはならず、この事実は物理学的に都合のよい数々の帰結をもたらす。こうして、4つのひも理論の候補が並ぶことになる。実数、複素数、4元数、8元数である。これら ひも理論候補の中で、現実に対応する可能性が最も大きいものとして現在考えられているのが、8元数によって特徴付けられる10次元のひも理論である。もし10次元ひも理論が本当に現実と対応しているとしたら、我々の宇宙は8元数からできていると考えられる。

 アルバート・アインシュタインは、空間である3次元に時間を加えた4次元時空を考えて重力を説明した。ドイツの数理物理学者テオドール・カルツァは、1,919年、アインシュタインに 1次元を加えて5次元時空とすることを提案した。このようにすれば、重力に加えて電磁力をも説明できると思ったからである。

 1926年になって、スウェーデンの数理物理学者オスカー・クラインは、第5の次元は存在し、それは3次元空間のミクロの各点に小さく丸め込まれていると述べた。  

 この二人の5次元時空の考え方は、1980年代に世に出た「超弦理論」に取り入れられ、最近では少なくとも6次元が丸め込まれていなければならないとしている(カラビーヤウ多様体)。超ひも理論では、すべての素粒子は、振動する小さなひもで、電磁力、強い力及び弱い力は、我々の4次元時空の上にその両端を付けてすべるように動く。したがって、我々の身の回りの物質及び三つの力は、4次元時空から飛び出すことはない。しかし、重力は輪ゴムのように両端を閉じているので、4次元時空には縛られずに、他の余剰次元に飛び出して行ってしまい、それだからこそ、重力は他の三つの力に比べて極端に小さいというのである。

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