コペンハーゲン解釈

 二重スリット実験によって逆に謎は深まったかに思えました。しかし、ニールス・ボーアがこんなことを言い出しました。

 乾板で見えるのは「粒」で、その過程で起こる現象(干渉)は「波」の物。なら、そのまんま、電子は俺達が見てるときだけ粒になって、見てないときは波になっている」という、一見とんでもない暴論を提唱したのです。

 このように、見る人(観測者)によって結果が決まる(可能性が収束する)という考え方を、量子論の育ての親と言われるボーア博士の研究所があるコペンハーゲンの名を冠し、「コペンハーゲン解釈」と呼びます。

 さらに、光、電子等は、結局どんなに研究しても、波と粒どちらの特徴も持っていて、どちらかに分類することが出来ませんでした。

 どっちにも分類できないなら波と粒、両方の性質を合わせ持つ新しい概念「量子」というものにすることになりました。

 コペンハーゲン解釈では、観測者が「見る」まで量子の状態は無数の可能性の雲のようなものとして空間に広がっていると解釈します。

 例えば、9分割の仕切りのある箱があるとします。箱の蓋がしまった状態で、その中に1個どこかの位置にお饅頭が入っています。当然、箱を開けない状態ではどこにあるかわかりません。

 この状態を、我々の一般的な感覚では「お饅頭が1個、どこかに実在して入っていて、その可能性が色んな位置にある」と考えるでしょう。

 しかし、コペンハーゲン解釈では「蓋を開けない状態では、お饅頭は実体化せず、全ての仕切りの中で可能性の状態で実在している」と考えるのです。

 そして、その可能性のお饅頭が蓋を開けた人が「観測」した瞬間、どこかの位置で実体化する。と解釈しているのです。

 この考え方から、2重スリット実験で電子に干渉した逆側のスリットからでた「何か」とは、観測していない状態で広がっていた、逆側のスリットを通った電子の可能性の波にぶつかって起こったものとされています。

 「不確定性原理・確率解釈」のような、あやふやで常識的には筋の通らない理論は、沢山の高名な学者から批判・反論受けました。

 光量子仮説で量子論に貢献したアインシュタインも、この考え方に反対だった一人で、「神はサイコロを振らない」という有名な言葉を残しています。

 この言葉は、確率解釈のように大体でしか結果が決まらない事がこの世界にあるわけないという事を端的に示したものです。

 しかしながら、その後どんな高名な学者が反証し続けても、二重スリット実験の結果を筆頭に驚くべきことに、この理論は現在の判明しているデータでは破綻しないのです。

 それどころか、逆に沢山の反証を跳ね除け続けていることで、現在の量子論では主流とされる考え方になっています。

 しかし、今日でも、なぜ観測者が見る事により可能性が収束(実体化)するのか。なぜ、任意の位置に出現するのか、これら重要な仕組みが分かっていないのです。