死刑の霊的な視点

 EUは、死刑を「基本的人権の侵害」と位置付けており、死刑廃止がEU加盟の条件となっています。ロイター通信が「主要7ヵ国(G7)で死刑制度があるのは日本とアメリカだけ」と報じている。

 死刑については、人権保護の観点からその是非が問われ続けています。確かに冤罪の場合は取り返しがつきません。そのため、法制度上は死刑があっても執行を中止している、死刑判決を出さないなどの国も多く存在します。

 この世で犯罪行為で人殺しをすれば、死後、地獄界に行くことになる。しかし、死刑になることによって、この世で罪の代償を支払うことで、いわば借金の一部が払われた状態になることもある(「因果応報」)。

 凶悪犯罪が多い国では死刑制度を残しておいたほうが、犯罪予防のためによいとは思うが、将来的には、仏法真理が浸透していくことで予防効果が強くなり、刑務所でも真理が浸透することで再犯率が下がっていってほしい。

 宗教的には、真理を広げていくという精神運動を行ない、政治・経済的な面では、犯罪者の温床である貧困層を減らしていかなくてはならず、この両面からやらなければ、地上に平和な天国的社会をつくることはできない。

 大川隆法総裁は、「真実への目覚め」で以下のように教えておられます。

「もう一つ、死刑を霊的な視点で捉えることも必要です。この世で犯罪行為によって人殺しをした場合には、死後、地獄界に行くことになると思いますが、死刑になることによって、いわば借金の一部が払われた状態になることもあります。「犯罪者であっても、この世で罪の代償を支払うことによって、来世での罪が多少なりとも軽くなる」という現実があるのです。昔、戦争の時代に、多くの人を殺した英雄であっても、最後には自分自身が殺されている場合がよくあります。そういう人たちの霊は、「最後に殺されることによって、やはり罪が軽くなるのだ」と言っています。因果応報というか、同じ目に自分が遭うことによって、そのカルマが軽くなる面もあるのです。ただ、こういうことは、軍隊で正義の名の下に戦った兵士たちには適用されません。仏法真理の観点から見ると、責任を取るのは国王や大統領などの政治家です。それは指導者の責任なのです。また、人を殺しても、法律に基づいて適正に行った行為については、基本的に責任はないことになっています。例えば、警察官が、その職務において犯罪者と撃ち合って人を死なせることがあっても、それが理由で、その警察官が地獄に堕ちることはありません。このへんは、ご理解いただきたいと思います。総合的に述べると、「凶悪犯罪が少なくなっていない国においては、まだ死刑制度を残しておいたほうが、犯罪予防のためによいのではないか」という気持ちを私は持っています。ただ、将来的には、真理が浸透していくことによって、それが犯罪の抑止力となり、事前の予防効果が強くなることや、刑務所内でも真理が浸透することによって、再犯率が下がっていくことを望んでいます。要するに、自分が人からされたくないことを人に対してしないことです。逆に言えば、自分が人からしてほしいことを人に対してすることです。それが宗教におけるゴールデンルール(黄金律)です。すなわち、「自分が人に殺されたくないのなら、人を殺すなかれ」「自分が人に盗まれたくなかったら、人のものを盗むなかれ」ということです。これがゴールデンルールであり、基本なのです。そうした基本的なことが、日常生活のなかで、当たり前の道徳として実践されるようにしなければいけません。 その前の段階として、治安が悪いのならば、行政には、きっちりと善良な市民を護る義務があります。私も、それについては容認しています。最終的に、私は、この地上に平和な天国的社会をつくりたいのですが、現実的には、やはり、犯罪を少なくしていく努力をしなくてはいけないのです。  そのためには、犯罪者の温床である貧困層を減らしていかなくてはなりません。これには政治・経済的な面での努力が必要でしょうし、それと同時に、宗教的には、やはり、「真理を広げていく」という精神運動を行わなくてはなりません。この両面からやらなければ、問題は解決しないと思います。」

 大川隆法総裁は、2010年に行ったブラジルでの説法で、死刑制度に対する質問に答えています。大川総裁は、犯罪抑止の観点に加え、人間の本質は魂であり、永遠の生命を持って、この世とあの世を何度も転生輪廻しているという霊的な視点から、以下のように死刑の意義を説いています。

「この世で犯罪行為によって人殺しをした場合には、死後、地獄界に行くことになると思いますが、死刑になることによって、いわば借金の一部が払われた状態になることもあります。『犯罪者であっても、この世で罪の代償を支払うことによって、来世での罪が多少なりとも軽くなる』という現実があるのです」(『真実への目覚め』)

 死刑によって、彼らが犯した罪は軽くはなりませんが、霊的な観点から見ても、死刑には一定の意味や必要性があるといえます。

 もちろん、神仏の教えが広まり、凶悪犯罪がなくなることが最も望ましいことであり、その意味でも、正しい宗教の発展は重要と言えそうです。

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