動物に生まれ変わる?

 人間は、「死んだら終わり」ということはありません。 「死んでも死なない、生まれ変わりというのはある」という真理を受け入れて生きることこそ、幸福な人生を送る上で大切なことなのです。

 生まれ変わる理由としては、「魂を磨くため」です。「魂の向上」が人生の目的なのです。

 また、「多く人を救済し、愛を与えるため」という目的もあります。

 幸福の科学大川隆法総裁は、『宗教選択の時代』のなかで生まれ変わりについて、次のように述べられています。

『生まれ変わりのシステムをつぶさに研究すると、どうやら人間は、この世に生まれ変わってくる前に、今世の魂修行の課題ともいうべきものを明確に決めてきているらしい、ということが分かってきました。 過去の何回かの地上経験を経て生きてきた時に、その方が卒業できなかったこと、そのままでは合格ではなかったと言われるところを、同じような環境においてもう一度試されることもあれば、まったく逆の環境において試されることもあります。 そして、魂は、通常、男性霊は男性霊として生まれ変わり、女性霊は女性霊として生まれ変わりますが、時折、男女が入れ替わって生まれ変わることが事実としてあるようなのです。 例えば、女性の方であれば、今世で、夫、あるいはそれ以外の男性から、「なぜ、こんなに虐げられる生き方をしなければいけないか」というような、本当に辛い一生を送られることがあります。そういう仕打ちをした男性は、カルマという、その人の魂が背負っている宿題を持ってあの世に還ることになりますが、その男性がそのカルマを刈り取るのには、二通りの方法があります。 一つは、もう一度、同じような魂の方と、夫婦なら夫婦、友人なら友人、知り合いなら知り合いになって、似たような環境で過ごすということがあります。前回と同じように、たとえば、その女性をいじめる人生を生きるか、それとも、今度は心を入れ換えて、見事に調和された夫婦生活、あるいは友人関係を持つか、それを試される場合です。 もう一つ、まったく逆のケースとして、そうした男性が、今度は女性として生まれ変わってくるということもあります。そして今度は、逆に男性に意地悪をされるような立場を経験することもあります。 人間は、ある時には王様に生まれ、ある時には乞食に生まれるようなこともあります。今世の人生において、例えどのような環境下に置かれようとも、すべて魂修行の一環であるという観点を忘れてはならないのです。 あの世で自分が、そういう計画をして生まれてきたことを忘れて、今世のみの幸・不幸を捉えて、親を恨んだり、友人や先生を恨んだり、あるいは環境を恨んだり国を恨んだりする人がいますが、これは間違いなのです。 過去世そのものを変えることはできません。また、生まれてから現在までの何十年間の人生そのもの、すでに過ぎたものを変えることはできません。それは反省あるのみです。反省する以外に、もう手立てはありません。 しかし、現在から後は、まだ変えることができます。変更が可能なのです。残りの時間が長い人も短い人もいるでしょうが、しかし、現在から後の時間は変えることができます。それが、来世以降の皆さんの人生を決めるのです。 来世、たとえば自分は、理想的なこういう環境のこういう人間になって、こういう幸福な生活を送りたいと思っても、今世持ち還った宿題がありますから、その宿題の部分は、来世の生まれ変わりのどこかに必ず出てくるのです。それから逃れることはできないのです。そこで、次の人生において、また同じような失敗をするというようなことが、繰り返し起きてきます。 その事実を知ったならば、できることは「現在ただいまの自分を変え、これから後の人生を変えていくこと」、これしかないのです。 そのためには、基本的には、すでに自分がなした悪、間違い、罪に関しては、やはり悔い改めること、反省することです。これしかありません。そして、すでに播いた悪の種があったら、これが大きくならないように押し止めることが大事です。 すでに悪い習慣、悪い仕事、悪い考え方、悪い行動でもって、次なる悪の種を播いた方がいるはずですが、これが成長しないように押しとどめることは可能です。未来に生じないように、それを止めてしまうことです。 更には、善の種、善きことの種を、いま播くことが大事です。善きものが、自分や自分のまわりにすでに起きつつあるならば、これを更に育てていくこと、推し進めていくことが大事なのです。 既に終わった過去の悪については、よく反省をすることです。 そして、まだ現われてきてはいないけれども、悪い思いや行ないによって種を播いてしまい、将来的にそれが悪として出てくるようなことがあったら、それを押しとどめることです。そして、善なる種を播いたことによって、現在すでに現われてきつつある善は、さらにそれを推し進めることです。こうした努力が必要です。 これが、カルマ=業といわれるものを清算するための、そして、より幸福な人生を、今世・来世・来々世と送っていくための秘訣なのです。 このような、転生輪廻、生まれ変わりの話というものは、昔話やおとぎ噺のように聞こえることもあるでしょうが、人間は実際に何度も何度も生まれ変わりをしているというのが真実なのです。 そして、今回の人生の総決算が、結局は、来世、どういう立場でどういう人生を歩むか、ということの全てにかかってくるのです。』

 人間の生まれ変わりは、原則人間として生まれ変わりをするのですが、例外中の例外として、修行のために一時期、動物の肉体の宿るということもあるようなのです。 しかし、その場合でも、人間にごく近い高等動物にしか宿りません。それも1年か2年という 

 短期間だけです。それは、人間として生まれることのありがたさを感じさせるために行われることなのです。  従って、犬や猫などの高等動物の中には、過去に人間だったものも一部にはいるのです。 彼らは、動物に生まれ変わっても、その間、人間的感覚を保有しているため、「生」そのものが非常に惨めになります。しかし、それを通り越したときに、「人間というのは、これほどありがたいものか」ということを感じることになるのです。  しかし、このような人間が動物に生まれ変わるのは、あくまでも例外中の例外であって、一般的には、人間は人間として生まれ変わってくるのです。

 世の「転生輪廻の思想」では、ランダムに人間が動物に生まれ変わる場合もあるように説明している場合もありますが、幸福の科学では、人間がランダムに動物に生まれ変わることはないと教わっています。しかし、ごく一部のとっても動物的に生きた人が反省のために生まれ変わるなど、理由があって動物に生まれることはあるそうです。

 仏教の転生輪廻説は、動物を大事にさせるための方便だけでなく、数は少ないが例外がある。

 たとえば、雄弁に喋る狐の霊がいたりするのは、死後、畜生道に堕ちて浮上できない人間に、人間として生まれることへの感謝を教えるため、いったん動物に生まれ変わる魂修行をさせられたものである。

 また、たとえば、犬の中にも、やたらと人間的感情を持っている犬がいるが、強盗殺人とかをやった人が、一回だけカルマの刈り取りのようなことをさせらされていることがある。

 大川隆法総裁は、『フランクリー・スピーキング』で以下のように説かれました。

「これはあまり大きな声では言えないんですが、私が実際につぶさに調べたところ、あるようですね。原則、人間は人間なのですが、どうも動物霊にしてはあまりにも人間らしすぎる動物霊がいるんです。たとえば、よく宗教では、憑依霊のなかに狐(きつね)だとか蛇だとかがいると言うでしょう。これは現実にいるんですけれども、狐霊と言われるもののなかに、話をしても言葉はほとんど喋れない狐霊というのがいます。これはほんとうに動物霊であって、感情は持っていますし、ある程度の反応はできるけれど、言葉自体はたいして喋れない。ところが、これ以外に、雄弁に喋れる狐の霊というのがいるんですよ。これはおかしいなと思って調べてみると、やはりもとは人間霊なんですね。人間であった人が、死後、畜生道というところに堕ちるんです。そして、そこに二、三百年いて、もう人間としては浮上してこられない場合に、要するに魂修行をさせられるために、ワン・クッションですが、いったん動物に生まれ変わる道があるんですね。これはもちろん、諸天善神(しょてんぜんじん)のなかに、稲荷大明神とか、そういう動物を司っている神様がいるのですが、その許可があればのことです。「では、人間のありがたさを知るために、人間として生きることがどれほどありがたいかをわかるために、おまえは一回動物をやってみなさい」ということで、動物に生まれ変わるんですね。そして動物をやると、「人間はうらやましい」と言うんです。人間を見ると、あんなに本も読めるし、レストランで食事もできるし、うらやましいなということを、つくづく感じるわけです。人間として生まれることへの感謝を教えるために、もうどうしようもないあたりになると、教育のためにそういうこともあります。そういう人は、あの世に還ったら、しばらくは動物霊みたいな姿をしているんですが、改心すると、また人間霊の姿に戻ってくるんです。何回かそういう例を見てきましたので、あることはあります。ただ、可能性は少ない。(中略) 私も、「何に生まれるかわからない」という、仏教の昔の転生輪廻説は、「だから、動物を大事にしなさい。生き物を殺してはいけないよ」という意味の方便だと思っていたんですが、実際に調査してみると、やはり元人間霊などがいるので、これはたいへんだなと思いました。たとえば、番犬をやらされている犬のなかにも、元人間がいるんですね。犬でも、人間の言葉がものすごくわかるような犬というか、やたらと人間的感情を持っている犬がいるでしょう。これなども、過去世を調べてみると、やはり、強盗殺人とか、そういうことをやった人が、今度は逆の立場で、一回だけカルマの刈り取りのようなことをやらされていることが、たまにあるのです。これは恐怖につながるので、あまり言わないことにしていて、「ごく一部だけそういうこともあるよ」と言っているのです。」