「正しさ」とは

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 私たちが求めている「正しさ」とは、結局、「大宇宙を創っている根本仏の理法に添った心のあり方」のことを言っているのです。この正しさのなかには、宗教でなければ近づくことのできない、アプローチすることのできない、信仰心というものが、当然ながら含まれています。その意味で、この正しさは、この世的な正しさとは必ずしも一致しないかもしれません。ただ、それをあまり強引に言いすぎて、学校などでトラブルが起きてもいけないので、「学校のことは学校でやり、学校外のことは学校の外でやればよい」と思っています。しかし、ほんとうの意味での正しさというものは、仏神の存在を前提とした正しさであり、霊界観を前提とした正しさなのです。その意味において、教科書には書かれていないものです。 ただ、当会の初期、霊言集の時代にも述べたことですが、当会で言う正しさとは、「これしかない」というような正しさではないのです。高級霊であっても、個性の違いによって、やはり意見の違いはあります。それは『大川隆法霊言全集』で証明しているところです。もちろん、「内容が一定以上のレベルであり、人間を幸福にする考え方の一つである」という点では、天上界の条件をクリアしているのですが、ただ、そのやり方、あるいは考え方には相違があるということです。どれが、より人間を幸福にするかということは、個別の人間に関して、やはり違いがあります。全体として、どれが、より正しいか、あるいは信じられるかということは、宗教の勢力を見れば分かりますが、いろいろな考えがあるということは、それだけのニーズがあるということなので、それを否定するわけではありません。  したがって、正しさというもののなかにも、幾つかの多元性があるということは認めています。ただ、多元性がありながらも、唯一の仏の心、神の心に向かっているのだということです。 そういう正しさなのです。(『幸福の法』より)

 この世に生きて真理を知らない方は、この肉体こそ人間であると思っているかたがほとんであることでしょう。しかし、あくまで肉体は魂の乗り物であって、本体は心なのです。物事は、原因があって結果がでます。この世の様々な問題、事件などの背後には、必ず心の問題があるのです。心が真理から離れているから、心が仏の念いから遠くかけ離れているから、様々な問題が生じてくるのです。ゆえに結果を善くしていこうと思うならその原因まで遡らなければなりません。心の問題を抜きにしては、様々な問題の解決は難しいのです。ゆえに、幸福の科学では『正しき心の探求』というのを掲げています。「正しき心」とは、「仏の心」です。すべての人間は、ダイアモンドの核ともいわれるような、仏より「仏性」を与えられた尊い存在なのです。すべての人は「正しき心」、「仏の理想実現を願う心」を実践するためにこの地上に生まれてきているという真実があるのです。

(『人生の王道を語る』より)

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