信仰生活

 朝一番に、祈りをするとよい。主に感謝をし、「自分を導いてください」と祈ることである。

 夜、一日が終わるときには、その日のことを反省するとよい。そして、感謝の祈りを捧げて休むことである。

 このような祈りの毎日を送りつづけると、やがて素直に感謝できるようになり、愛に満たされるようになる。

 幸福の科学大川隆法総裁は、『限りなく優しくあれ』で以下のように説かれました。

「祈りは、これから時を過ごしていこうとするときにこそ、最大の効果を発揮するものなのです。反省と祈りをどのように使い分けたらよいのか、みなさんは分からないかもしれません。それをごく簡単に述べるならば、朝起きて、「これから働こう」「これから何かをやっていこう」と思うときに、祈りをするとよいでしょう。そして、夜、一日が終わるときに、その日のことを反省するとよいでしょう。一日を考えてみると、いちばん邪念が少ないのは朝です。朝には心に曇りがありません。朝には心に欲望がありません。朝には疲れがありません。朝の精神状態、魂の状態は、純粋で無垢です。きのうまでの悩みや心配事、疲れが、睡眠によって取り去られています。雨が降ったあと、大地と大気が清浄になるように、一晩の眠りのあとで、健やかな精神状態になっています。それゆえに、このときに祈りをするのは、ほんとうに素晴らしいことなのです。朝一番に、主に感謝をし、「自分を導いてください」と祈ることです。さまざまな欲望の対象を設けて祈った場合、それは、叶えられることもあれば、叶えられないこともあり、正しいこともあれば、正しくないこともあります。しかし、この感謝の祈りによって間違うことは決してないのです。毎朝、主への感謝を捧げ、「きょう一日を素晴らしいものにできますように」と祈ることは、一日を豊かにしていくために、どうしても必要なことなのです。このような祈りによって一日をスタートさせ、その日のうちに、何度か、朝の祈りを振り返る瞬間を持つことができたならば、そのときにこそ、潤いというものを感じ取ることができるでしょう。朝の静寂な時間のなかで祈りをし、豊かさを味わったならば、一日の忙しい生活のなかで、ときおり、その朝の祈りのことを思い起こすことによって、心のなかに静寂な気持ちが戻り、そこに潤いが生まれてくるでしょう。夜を迎えたときには、反省をし、就寝の前に感謝の祈りを捧げて休むことです。これは、精神的に、この上なくよいことだと私は思います。祈りによって、豊かな心で一日を始め、ときおり、潤いを取り戻し、豊かな心で、豊かさのなかで一日を終わる。なんという素晴らしい一日でしょうか。こういう素晴らしい一日を、みなさんに味わっていただきたいと思います。このような祈りの毎日を送りつづけると、やがて、素直に感謝できるようになり、愛に満たされるようになります。つまり、愛の生活は、祈りを内包しているのであり、また、祈りが、愛を呼び起こすための誘い水ともなるのです。」

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