時間の概念

 私たちは、時間というものは、過去から未来へと「進む」もの、「流れていく」ものという一般的イメージを殆どの方が受け入れていると思います。  しかし、私たちが住む「この世」という現実世界で感じる時間というものは、時計で計れる時間の感覚だけでは捕らえきれないものがあるのも事実です。  嫌いなことをしている時間は遅く感じ、好きなことをしている時間は あっという間に過ぎ去ってしまうという経験をされた方は多いでしょう。  また、子供の頃に感じた時間と大人になってからの時間の感覚というものも違ったものを感じている人も多いことでしょう。  日本語には、「一日千秋の思い」という言葉があり、一方では「光陰矢のごとし」という表現もあり、これは時間が均一に流れていくものではないことを現した言葉ではないのでしょうか。幸福の科学で説かれている真理において、あの世に還れば絶対的な時間というものはなく、主観のみの世界なのです。  あの世では、時間というものを意識せず、また、夜もなく、地上の人間のように睡眠を取ることもないのです。  また、あの世では、時間というものは未来に向かっている時間、過去に向かっている時間とがあって、渦のようになっているのです。

 霊界では、時間の概念もこの世とはまったく違っています。この世では、「現在は◯年◯月◯日の◯時である」と特定することができます。そして、「時計で計る1時間という時間は、誰にとっても一時間である。一日は誰にとっても一日である」ということになっています。ところが、あの世では時間の概念がまったく違います。あの世には事実上、共通の時計がなく、それぞれの人がばらばらの時間を生きているのです。これも、この世の感覚では非常に理解しにくいことです。しかし、あの世の感覚では、この世の時間のほうが嘘に見えます。この世の時計的時間がないあの世から見ると、この世の時間は実時間ではなく虚時間、うその時間に見えるのです。時計で計れる時間があり、誰もが共通の時間を持って、同じ時間帯に生きているということは、あの世の人には非常に不思議に感じられます。あの世にいると、「共通の時間などないのではないか」という感覚が非常に強いのです。あの世において、この世の時間に相当するものがあるとすれば、それは意識の流れです。「どちらが先で、どちらが後か」という前後関係、「これが原因で、これが結果」という連鎖は、あの世にもあります。しかし、それが確定しているかどうかは、いま一つわかりません。 あの世では、過去・現在・未来が一直線につながるのではなく、円環のようになって螺旋状に回っているため、それが過去の時間なのか未来の時間なのか、分からないところがあるのです。 この円環には小さなものから大きなものまであり、最も大きな円環になると、おそらく何百億年という時間が入っているでしょう。そうした円環のなかに、小さな円環がいくらでもあるのです。  霊界における時間の円環、渦巻きのなかに入ると、この世とは違うかたちで時間が動いていくので、自分が未来を見ているのか、過去を見ているのかが分からなくなります。未来から過去に遡っているように見えることもあります。霊界の人びとは、このような時間のなかを生きています。  こうしたことは、言葉では非常に説明しにくいのですが、はっきり言えるのは、「霊界では、過去・現在・未来が、洗濯機のなかの渦のように回っている」ということです。しかも、その渦は一つではなく、様々な回り方の渦があり、それぞれの人がどの渦の中に入るかは個人の意識によって異なるため、確定できないのです。霊界における時間は、洗濯機の中の水が回っているようなものであり、そこに洗濯物をいれたとしても、その洗濯物が何分後にどこでどうなっているかを予想するのは、極めて難しいものがあります。西洋の自然科学というと、人々は、すぐにアリストテレスを思い浮かべ、「アリストテレスが祖となって自然科学ができ、それが近代科学につながった」と考えがちです。しかし、アリストテレスは、言葉による論理的な実証には非常に情熱を注ぎましたが、数学的証明は好きではない人でした。そのため、アリストテレスの影響を受けた思想の流れのなかでは、現代のような、数学に裏付けられた自然科学の発展はなかったのです。そういう自然科学はヘルメス思想のほうから出てきています。エジプトのヘルメス思想は、ギリシャにも入って、ピタゴラスなど、ギリシャの数学者たちにも、かなり影響を与えています。現代物理学でも時間について様々な議論がされているようですが、そのなかに「円環時間」というものがあります。過去と未来は、どこかで繋がっているという説です。こういう認識があれば、いずれタイムマシンも実現できる可能性はあるでしょう。ニュートンやアインシュタインのような科学者の手によって、タイムマシンが開発され、過去や未来の時間に行くことが実現可能になる時が来るのかもしれません。時間は循環していますが、「過去・現在・未来」という時間のなかを生きている私たち人類は何を求めて生きて行くべきなのでしょうか。その答えは一人ひとりに委ねられている「永遠の命題」なのでしょう。私たちこの世に生きている人間は、地球という空間のなかに投げ出され、時間という渦のなかをぐるぐると回りながら、「幸福」というものを創造するために「永遠の今」を生きている存在であり、一人ひとりが、「過去・現在・未来」という時間の流れのなかで、どのように幸福を実現していくのかを試されているのかもしれません。

(『繁栄の法』 この世とまったく違う「空間と時間」)

 ところで、多くの方は、時間とは考え方の概念の事だと思っております。しかし、物理学では、概念ではなく、時間は存在する事が分かっています。時間が存在するとは何のことでしょうか。そもそも「時間」とは考え方の概念ではなく、光の性質の一部です。これは、特殊相対性理論により既に判明している事実です。特殊相対性理論によると、宇宙空間に光の正体である光子が移動すると時間が発生します。光の速度で移動して、過去から未来へ物質が伝達されます。さらに、特殊相対性理論より、宇宙空間で一番早く移動できる速度も光の速度である事も判明しています。我々は過去・現在・未来のどこに暮らしているのでしょうか。最初に宇宙が誕生した最初の世界に暮らしていると仮定しますと、光速で時間が流れますから、未来が一瞬で創られる事はありません。つまり、宇宙が誕生した最初の世界に暮らしている人々は未来が存在しないのです。

 そうしますと、特殊相対性理論により、宇宙が誕生した最初の世界に暮らしている人々は未来が存在しない事が分かります。

 我々は既に過去の世界に暮らしているのです。これは、過去に一つのパラレルワールド(宇宙空間)に暮らしている確かな証拠になるのです。なお、過去の世界とは宇宙が誕生した最初の世界を基準とすると、我々には未来が存在しているので、過去の世界と表現する事になります。ここまで気付くと、我々の現在の時間軸からすると、過去の世界、未来の世界の両方が存在している事も分かってきます。

「念い」と「時間」

(幸福の科学大川隆法総裁『人生の王道を語る』より)

時間の感覚  

 同じ人間であってもインディアンとか特殊な地域に住んでいる人びとは、時間感覚を持っていない人が数多くいるようなのです。私たちが使う「過去・現在・未来」という時間感覚を使わないそうです。いつも現在しかないらしいのです。現時点でも地球上のあちこちにいるらしいのです。  私たち現代人は、「過去・現在・未来」と時計の針に合わせたものの考え方をしますが、時は時計の針が動くように誰に対しても同じように一時間は一時間であると思っていますが、これは大きな誤りを含んでいるのです。時間に対しては、まずこの発想の前提において、信じているところの常識を疑うところから始めなければならないでしょう。  時計の針の一時間は特に価値を含んでいません。ところが各人が持っている時間は、その中に値打ち、価値を含んでいるのです。時間というものは、モノサシで計るような、直線上の何センチ何メートルというようなものではなく、時間そのものが、一つの値打ち、価値を含み、体積を持ったものだと考え始めると、世の中を見る眼が大きく変ってくるのです。そうです、この考え方が皆さんの人生を大きく変えていくものになってくるのです。即ち、時間の下に人間は平等である、時計で計ることのできる時間の下に人間は平等である、とう前提があります。しかし、この平等に与えられた時計的時間をどのように捉えるかが大切なことになってくるのです。即ち、「霊的な時間」、「心的な時間」、「心で捉える時間」へと変えて行くかということにかかわってくる訳なのです。

 

価値を生む時間  

 時間は増やすことも減らすこともできないと言われています。誰も明日の時間を使うことはできないし、昨日の時間をつかうこともできません。お金は過去から持ち越して使うことができますし、後に入ってくるものを先取りして使うことも可能だし、昨日貯めたお金を今日使うことも可能です。それなのに時間に関してはそれができないと普通は言われています。しかし、「タイム・イズ・マネー」と言いますが、本当にタイム・イズ・マネーであるならば、お金と同じようなことが時間にもあってもおかしくはないのであろうか。時間を主観的な時間、値打ち、価値を含んだ時間という風に考えたときに、実は違ったことが起こりえるのではないだろうか。そのように考えるのです。例えば、「永遠の今を生きる」という一時間の講演をするとき、一人に対しては一時間の価値しかないが、一万人に同じ話をすれば、一万時間に相当することになる訳です。一人ひとりに対して同じ話をすれば何十日も必要であったものが、一万人に対して講演すれば一時間で済みます。これは何を意味するかと言うと、何十日の時間を稼いだことになる訳です。時間をお金に考えれば何十日もの貯金ができたことになるのです。何十日もかかるところを一時間で済ませることができたということは、自由な時間がそれだけ増えたということであり、その間他のことができる訳です。こういうことで時間を増やせたということがお分かりになると思います。

 

時間を増やす発明と投資

 では、1時間を1万時間、何十万時間にするにはどうすればいいのでしょうか。

 一つは、思想というものを世に発表することです。  

 二つには組織を創設することです。

 思想を発表するということと、組織を創設することで、一時間が一万倍にも十万倍にもなる訳です。では、思想を世に出すためには、いったい何が必要でしょうか。それには、まず勉強が必要なことは間違いありません。しかし、普通の人と同じ勉強をしていたのでは思想を世に問うことはできないでしょう。普通の人以上に勉強しなければならないことは当然のことでしょう。 さらに組織をつくるにはどうすればよいでしょうか。これはもちろんアイデアが必要でしょうが、アイデアだけではありません。いろんな経験と時間投資が必要となってくることは当然のことです。しかし、経験と投資の前提に、「自分の時間を増やそう。自分の時間を1万倍、10万倍に増やしたい」そういう念がまずあるからできるのです。 「時間を増やすということができる」、これを知らなければなりません。これが発想なのです。

時間を黄金に変える―人生時間の予算化  

 時間を増やすということを分からなかったのが、『資本論』を書いたマルクスです。マルクスは、価値と言うものは労働時間によって生産されると考えていました。1日8時間の労働時間は、誰にとっても一定の価値を創造すると考えたわけです。しかし、裕福な階級、ブルジョワは働きもしないのにお金が儲かり、労働者が汗水垂らして働いた時間をブルジョワジーが盗んでいると考えました。「これは大変な搾取であり、許されないことだ。だから労働者たちは、搾取する階級と戦わなければならない」という理論を考えたわけです。ここに大きな錯覚があったのです。彼が考えていた時間は誰にとっても1時間は1時間であり、時間が生み出す価値は皆、同じだと言う前提があったのです。ところが、時間そのものの中に価値を含んでいるのです。1年365日という時計的時間は一緒ですが、この1年を10年にする人がいたら10倍の経済的効果を出せることは当たり前なのです。10年の仕事を1年でできたなら10倍の経済効果がでるのは当たり前なのです。そして実際はそれ以上の効果がだせるのです。  事務的な仕事だけではなく、高度な仕事をすると、大きな見返りとなって返ってきます。よい投資をするとお金が倍増していくように、よい時間投資をするともっと時間が増えていくようになってくるわけです。

 

時間の密度を高める  

 時間密度を高めるということについては、「パレートの法則」が大切な要素になります。「80対20の法則」、百の仕事をしようとすると、そのうちの2割を押さえると全体の80%をするのと同じ効果が現れてくる、という考え方です。 これは、時間に置き換えてみれば、1日のうち10時間を労働時間とすれば、この10時間の2時間が最も重要な仕事をしている時間であり、その2時間の仕事をすれば全体の8割を終えたも同然であるという考え方なのです。100%やろうとしたら10時間必要だが、80%やろうとしたら20%で済むのです。これは大事なポイントです。賢い人であるならば、ここで自分の時間が増やせることに気が付くでしょう。今日やらなければならないことを、百パーセントするなら十時間かかるが、八十パーセントだけやるなら二時間で済みます。そうすると自分の時間を増やす方法が出てくるわけです。そこで、時間を2倍、4倍と増やす方法は具体的にどうすればよいのでしょうか。 それは、仕事の分担を行うことです。どこの会社でも組織というものがあります。それは管理職の人が重要な20%の仕事をし、残りの80%の部分を下位の者に委ねている方法が取られているのです。そうした方が時間を増やすことが可能になるのです。社長が仕事を全部やる代わりに、専務に降ろす。専務はやはり20%の時間を使って80%の重要な仕事をし、残りの20%を部長や課長に降ろしていく。課長は係長に、係長はさらに下位のものに任せていく。このようにしていくと時間の創造は無限に増えていくのです。  世の成功者というのは、皆、時間を創り出すこと、時間を生み出すことで、大きな仕事を成し遂げてきたのです。この法則を使うと時間は無限に創造されていくのです。この考え方は一種の法則であって、時間密度を濃くすることによって、時間のお金持ちになることができるわけなのです。

 

時間の面積を広げる  

 時間にはもう一つ違った面があります。それは時間の面積です。  時間の面積とは、1日のうち、自分の関心領域をどこに向けるかという問題を言っているのです。部屋で向きを変えることによって四方向の壁が現れるように、1日の自分が接する面積を広げていくことは、工夫すれば可能になってくるのです。これは1日の間に色々な仕事をするということです。あるいは、色々な学習や活動をするということでもあります。これが時間面積を増やすということになってくるのです。世の中にはマルチ人間というのがいますが、マルチ型の人はこのような時間面積を増やすということを実践しているのです。

 

人生の総決算としての時間の容積  

 深さ(高さ)、時間の密度に対して、時間の面積を掛けたものが時間の容積なります。この時間の容積が人生の時間のなかでどう生きたかという結論なのです。時間論的に人生を見たならば、密度と広さを掛けた容積、これが私たちの人生の総決算になるのです。あなたは、どれだけの時間の量を創りましたか、ということなのです。それがあなたの人生の総決算なのです。

 

時間を黄金に変えよ―人生時間の予算化  

 これは、時間の密度、容積を超えた話です。幸福の科学では、人生の目的と使命を教えています。人生の目的とは、地上に生まれ変わることによって、様々な魂の学習経験をし、またあの世に還っていきます。  こういう転生輪廻を繰り返しています。そして、使命とは、魂を輝かせ、この地上にユートピアを創っていくことなのです。物事は何でもそうですが、目標、目的、筋道が分かっている人にとっては簡単に片付くものですが、先が見えない人、自分がどこに向かって行ったらいいか分からない人にとっては、試行錯誤の連続です。ところが、人生の目的と使命をはっきり知っている人はそういう無駄な時間が出ないことになるのです。「人間は霊的存在、そう神仏の子である。人間は神仏の子であって、神仏の子の使命をこの地上で実現することが、その本質である。神仏の子の使命は、いったい何であろうか。それは、この魂学習の場である地上をユートピアにすることである。ユートピア社会とはどうゆう社会であるか。それは、この地上に生きている人びとが皆んな住みよくて、お互いに愛し合いながら生きていける世界である。そういう世界を創ることを使命として生まれ変わっているのである。」こういう事実を知っている人は人生の生き方が変ります。試行錯誤している人に比べ無駄が非常に少なくなってくるのは明白です。早いうちにこの事実を知った人は、時間の無駄が少なくなります。つまり、自分の時間管理をすることができます。そして、時間の密度とその面積を広げて、大きな仕事をすることができるようになるのです。時間の予算化ということは非常に大事です。1日は24時間です。一生は80ぐらいのものです。それを無駄にしないで、大事なところに使っていく。そして大きな時間を生み出していくこと。これが非常に大事なことなのです。一日一日を黄金に変えていくことこそ、私たちの人生の目的なのです。一日一日を充実させ、光に満ちた黄金色に変えていくことこそ大切なことなのです。  真理を知った人は、知れば知るほどに、時間を大切に使っていただきたいのです。毎日毎日を大切にしていただきたいのです。一日を一生として生きていただきたいのです。それが肝要なことであるのです。  真理を学んだ方であればあるほど、よく生きて欲しい。時間を大切に使ってほしい。毎日を大切にし、無駄にしないでほしい。金貨をドブにすてずに大事にし、増やしてほしい。他の人のためにも、それを使ってほしい。  これが「永遠の今を生きる」ということであり、人生を黄金色にしていく秘訣であるのです。