「祟り」を抑えるシステム

 千年間ずっと日本人が心の奥底で抱き続けてきた「祟り」の信仰は西洋文明には見られません。インドや中国でもそれほど顕著ではありません。

 祟りというのは、悪霊や怨霊、物の怪によるもの、あるいは神仏による天罰、仏罰のことで、まさに『源氏物語』の葵の巻の世界です。

 つまり、怨みを残して死んだ人間の霊が、後に残った人間や社会に対して悪しき影響を及ぼすという考え方です。

 平安時代には、政敵を滅ぼしたり、ライバルを陥れると必ず祟りがあると考えて、その怨み、嫉妬をどう祀りあげてコントロールするかということが政治技術としても非常に重要でした。

 その怨念を祀りあげてコントロールするため、神道と仏教が提携して宗教儀礼が行われていたのです。平安京では、仏教や神道のほかに、陰陽道や密教のそれぞれの専門家が宮中でさまざまな事象について吉凶を占い、覇を競い合っていました。

 異常な事態が発生したときには、これらの宗教の専門家が、原因になっていると思われる人間を神として祀り上げ、その祟りを除けようとする、そのメカニズムが強く働き、社会を安定させる重要な要因になっていました。

 一方、江戸時代には、神道と仏教の信仰が各階層の「国民」に浸透しました。

 神道は鎮守の森を中心に氏神や祖先神への信仰として広がり、人々はこれによって心の安定を得ようとしました。

 仏教は、檀家制度が生まれたことで、死者追悼の儀礼として身分の上下なく広がり、「国民宗教」的な基礎づくりの一翼を担っていたのです。

 こうして、国家と宗教が調和の関係を取れたとき、わが国では長期にわたる平和が実現していたことが分かります。思えば、平安の「平和」、中世の「戦乱」、江戸の「平和」、そして、明治から昭和までの「戦乱」というリズムが日本の歴史にはあって、我々は「平和」の周期に入っています。これをどう維持していくかを考えることが求められています。

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