悪霊とは

間違った思いや行いで生きた人が死後地獄に行き、悪霊になります

悪霊とは心の自由性を誤って使った人たち

 霊的な世界の実在を信じている人たちは、悪霊に対する関心が高いと思います。ただ、悪霊のことを、昔話で読んだり、幽霊話や怪奇話で聞いたりはしていても、自分の身近な問題として受け止めることは、なかなかできないのが現実ではないでしょうか。しかし、目に見えない世界で、確かに悪霊は暗躍しているのです。皆さんのなかにも、そうした者に操られている人がおそらくいるだろうと思います。  

 悪霊とは何かといえば、「人間のエネルギーのなかのマイナス部分、マイナスの想念エネルギーに感応して生きている者たちだ」と思えばよいのです。地上でマイナスの想念を数多く持って生きた人は、死後、地獄界という所へ行き、悪霊となって、そこに棲みついています。すなわち、悪霊という特殊な霊が初めからいるのではなく、悪霊になる可能性は、すべての人間にあるのです。人間は、心のなかにどのような思いを抱くかに関して、自由を与えられており、その自由を行使して、自分を変えていけるようになっています。思いの自由性というものを駆使して、人間は、天使のようになることもできれば、悪魔のようになることもできるわけです。「悪霊という存在は、残念ながら、心の使い方、用い方を誤った人たちだ」と言えるのです。

 

悪霊対策

 悪霊に憑依されている人と思う人は、まず、努力して明るく笑うこと。そのとき、仏の光が入ってくる。

 よいことが必ず来ると信じて、希望を持って生きてゆくこと。

 そして、他人の幸せを祝福すること。その善念は必ずや自分にも返ってくる。

 光を天上界からいただくことができれば、憑依してる悪霊は はがれていくはずです。

 努力してニコッと笑う。それは会った人への「与える愛」。そして、そのとき、仏から光が与えられる。

 憑依された状態というのは、心が暗く、すぐ絶望したりするので、心して希望を持って生きていくよう努力すること。

 そして、他の人の幸せに嫉妬したりせず、おめでとう! と言ってあげる。それは他の人への「与える愛」だから、やはり仏から光が与えられる。

 幸福の科学大川隆法総裁は、『地獄の方程式』で以下のように説かれました。

「悪霊に憑依されている人の特徴は、たいていは暗い表情をして、いつも取り越し苦労、持ち越し苦労で頭を痛めている人たちだと言うことができます。まず笑うことです。笑顔も顔施といって、仏教では大切な布施の一つとされています。笑顔は会う人の心を明るくし、自分の心も明るくします。努力して明るく笑うことです。そのとき、仏の光が入ってくるのです。また取り越し苦労や持ち越し苦労をして幸せになった人など一人もいないのだから、よいことが必ず来ると信じて、希望を持って生きてゆくことです。そして他人に心を向けて、他人の幸せを祝福する心を、念を持つことです。悪霊に悩まされている人というのは、結局のところ、自分のことしか考えていない人たちなのです。努力して他人を祝福することです。その善念は必ずや自分にも返ってくるはずです。」

 

悪霊を遠ざける

 悪霊を遠ざけるために一番大切なことは、正しい宗教を学び、自分のなかに神仏への信仰をきっちりと立てることです。これによって、天上界のご加護・ご指導がいただけますし、自分の守護霊も目覚め、導いてくれるようになります。その中で、悪霊を引き寄せない自分になっていきましょう。 たとえば、もし他人を責める傾向が強いなら、「自分と違う考え方のなかにも、価値はあるかも」とか「自分も100%完璧ではないのに、他の人が完璧でないと責めるのはおかしい」と考えてみてはいかがでしょうか。また、「自分の気持ちを考えすぎない」ことも悪霊を遠ざけるコツ。「私はこんなに苦しい」と考える時間を減らし、周囲の人の気持ちを考える時間を増やせば、その人に対して何か協力できたり、励ましたりできます。 さらに余裕ができたら、これまでの人生で、ご両親や学校の先生などから、与えられたことを思い出してみましょう。温かい気持ちで満たされて心がほっこりし、感謝が深まります。こうした反省や、他を思いやる心、感謝などが、悪霊と“さよなら”する特効薬なのです。

 妄想が湧いてきてしまったら(悪霊がきたら)、相手にしないことです。そのときは、読書などに没頭してください。とくに、幸福の科学大川隆法総裁の本は、神様の御心にかなった生き方をするための、さまざまな教えが入っています。読み進めるうち、天上界の波動と親和性のある精神状態になり、妄想も治まってくるはずです。

 

信仰の仲間をつくり

光を強める

 精神的な病が家系に続く場合、一般的にはDNAによる遺伝だと思われがちです。しかし、じつは憑依霊がその宿先を子孫へ移していっている場合があるのです。これは、どこかでその悪しき連鎖を断ち切らねばなりません。そのとき天上界とも信仰上の仲間たちともしっかりつながっていれば、「自分はひとりではない」と勇気が湧き、立ち向かうことができます。 また、幸福の科学では、悪霊撃退のための祈願も行っています。お近くの支部や精舎へお問い合わせくだされば、力になれると思います。どうか光の仲間をつくって乗り越えていってください。

 「仏光物理学」の第一のテーゼと第二テーゼに関連した法則で、「波長同通の法則」と呼ばれているものがあります。

 「波長同通の法則」とは、「類は類を呼ぶ」「同類、相通じる」というふうに呼ばれているものです。「心が似た者どおしは引き寄せあう」ということです。たとえば、この世の人間関係において、友人になる人というのは、何か趣味が合うとか心にお互い似たものがあったりします。不良は不良同士で集まるというのもそうですし、夫婦が似ているというのもそれぞれの波長が似ているところからくるものです。心の波長が合う人とは親しくなり、反対に波長が違う人とは、お互い何となく疎遠になっていきます。これはこの世の人間関係においてもそうなんですが、霊界、霊的な関係においても同じであって、霊界においては肉体がないだけに顕著に現れてきます。  この世というものも霊界の一部であり、悪霊、地獄霊による「憑依(ひょうい)」という現象も波長同通の法則によって行われているということなのです。  つまり、憑かれる者と取り憑く者の波長が同じであるということです。世の中には、悪霊などが見える方もいらっしゃるようです。強い憑依を受けている人を見ると何体もの憑依霊や動物霊を付けている人もいるそうで、その人の顔が二重にも三重にも重なって見え、霊的にその人の顔か区別がつかないような状態の人もいるそうです。このような憑依霊というものは、生きていた時に悪い心と悪い行いという原因をつくり、反省もできず、その結果そのまま地獄へ落ち、辛い地獄の苦しみから逃れたいがために地上に出てきて、地上に生きている人間に取り憑いているのです。 悩み苦しみに心が充たされ、自殺しようと考えている人には自殺者の霊が取り憑き、さらにその思いを増幅させます。異性との不調和な関係ばかり考えている人には色情霊が取り憑き、人から何でも奪おうとしている人には餓鬼霊が、心が怒りで充ちている人は阿修羅霊が取り憑いたりします。このような地獄霊は、地上の人に憑りついている間は、地獄での苦しみから一時的に逃れることができるのです。また、地上の人に取り憑いて生きている人からエネルギーを奪っているのです。地獄霊に取り憑かれている人は、肩や腰が凝ったり、頭痛がしたり、体が重かったり、様々な病気にかかったりするのもこのようなことが原因であり、憑依霊がついているのも自分でもある程度確認することはできます。憑依による病気というのは日本の医療界ではではどうも全く感知されていないようなのですが、西洋医学界では「憑依現象がある」ということは認識されているのですが、「何故そういうことが起きるのか」というのは全く分からないというのが現実です。また、生前に霊的な知識を知ることもなかった人は、霊的に成仏できなくて地獄へも行かずこの世に留まっている不成仏霊という存在もあります。自殺者や突然の交通事故で死んだ方などがこうなることが多いようです。こういった不成仏霊は、家族に憑りついたりして、障りを起こすこともよくあります。このように、憑依霊は病気とか事故とか自殺とかを引き起こしたりして、取り憑いた人の人生までも狂わし、また地獄に引きずり込もうとしている、こういう現実があるということを知って頂きたいと思います。ただ知っていただきたいことは、悪霊、地獄霊、憑依霊と一口に言っても、殆どは人間としてこの世で生きていた存在なのです。霊的に言うならば、悪霊が寄ってくるのは、その悪霊と同じような波長をその人が持っているからです。その反対に、その人が真・善・美・愛といった調和に満ちた波長を出しているならば、守護霊とか指導霊とかが導いてくれようになります。幸福になるのも不幸になるのもその人自信の心の磁石が引きつけているのです。  幸・不幸は、すべては自己責任なのであって、光あるものを引き寄せるか、闇を引き寄せるかにかかっているのです。地獄霊、浮遊霊などの悪霊と言われる霊に憑依されないためには、心に光に反するもの―闇の部分をつくらないことです。光に反するものとは、愚痴、不平不満、悲観的心、慢心、過大な欲望、怒り、憎しみ、嫉妬、執着、被害妄想などのマイナスの心です。それから、悩み事を持たない、持ったとしても長く引きづらないことです。疲れを溜めないようにし、明るく健康的な生活を心がけることです。現実的には無理なこともありますが、浮遊霊がいそうな場所(邪教、病院、墓地、自殺の名所などそういう霊がいそうな所)にはなるべく行かない。それから、正しい主教である幸福の科学の真理の書籍を学び、心に光を満たしていくことです。 幸福の科学の書籍は、見える人が見れば光そのものなのです。書店の幸福の科学コーナーにある書籍からは大きな光が出ているので、黄金色に輝いているのです。  憑依されないためには、仏の波長に馴染むものを近づけ、仏の波長と反するもの―悪霊・地獄霊と導通するようなものを遠ざけることです。  自分の心が悪霊と導通すれば、同じような心を持っている悪霊が寄ってくるということなのです。 

 

反省と感謝

 悪霊、憑依霊が一番嫌がることである、反省と感謝をすることも大切なことです。 信仰心が有る場合、反省や感謝の力が憑依霊を遠ざける力となって出てきますが、信仰心がない場合、人間機械論、唯物論、唯脳論などを信じている人、人間死んだら何もなくなると思っている方は憑依霊の影響を逃れるのは中々難しいかもしれません。自分の憑依霊を取るには、まず自分の心を見つめなおし、反省し、本来天上界において誰もが持っていた穏やかで透明な心を取り戻していかなければなりません。何故なら悪霊を呼び込んでいるのは他ならぬ自分自身なのですから。自分自身の心を浄化し、憑依霊と波長が合わなくなれば憑依霊は離れていきます。また、憑依霊が原因で病気になっている場合は、反省によって憑依霊が外れると病気も治ります。このように、反省という行為を通して、その過去の罪、悪を消し去り、自らの心を汚れを消し去ることができるという大きな慈悲が仏から与えられているのです。憑依霊に影響を受けないようにするために一番良いのは強い信仰心を持つことです。そして、幸福の科学の提唱している、「愛・知・反省・発展」の幸福の原理を実践することです。奪う愛に生きるのではなく、執着を去り、与える愛の人生に生きることです。そのためには、幸福の科学の信仰の道に入るのが幸福への一番の近道なのです。 波長同通の法則がマイナスに働いた場合は、憑依という現象が出ますが、プラスの面では、引き寄せの法則というものが、よく知られていて、これも波長同通の法則です。「愛・知・反省・発展」の四正道を実践し、仏と同じ波長、プラスの心、心が愛と慈悲に満ち、心豊かな人は波長同通の法則で、自助努力と守護霊や指導霊といった存在に導きによって、成功、発展、繁栄、幸福への道に入っていくことができるのです。

 

光明思想

 悪霊対策として、反省のほかに大事なのは、光明思想である。

 自分の心のなかにある悪霊を呼び込む暗い部分、つまりは過去への不満、未来への不安を、光によって打ち破っていくこと。

 過去に悲しみや苦しみがあったとしても、そこから教訓を学び取れば、自分の人生を光らせるための材料だったにすぎない。

 未来についても、明るい明日を信じて生きていくことが、何にもまして大切なのである。

 総裁は、『不動心』で以下のように説かれました。

「このときに大切な対処方法の一つが光明思想です。これは、光によって闇を打ち破っていくという考え方です。闇を消そうとしても非常に難しいのですが、光を増していこうとする努力のなかで、闇は自然に消えていくことがあるのです。光明思想は、「真っ暗な部屋のなかで、その暗闇を消そうとしても消すことはできないが、電灯をつければ闇は消えていく」「ロウソクを一本点しても、まわりがまだ闇で覆われているならば、ロウソクの数を二本、三本と増やしていく」という考え方なのです。夜道でひったくり事件が頻発するときには、街灯を増やし、道を明るくするという方法がとられますが、これと同じです。明るい道だと泥棒が出にくいわけです。明るい思想を持ち、明るい生き方をしていると、悪いことが近づいてこないという効果があることは、実人生においても経験的に証明されています。明るい人を見て、「いやだ」と言う人がいるでしょうか。「あの人はあまりにも明るすぎるのでいやだ」と言っている人は、悪霊に憑かれている可能性があります。普通の人ならば、明るい人に接すると気持ちがよく、心がさわやかになってくるものです。このように、「光を強くしていくことによって、悪霊を吹き飛ばす」という方法があるのです。悪霊そのものを取り除いたり、調伏したりしようとせず、みずからの内なる光を強くしていく、つまり、心を明るくし、心から光を発することによって、結果的に悪霊をはね飛ばすわけです。「己心の魔」というように、自分の心のなかに悪霊を呼び込む暗い部分があるのですから、まずこれを放逐していくことが大切なのです。その暗い部分とは、たいていは不安や不満の感情です。未来への不安、過去への不満が、結局、悪霊を呼び寄せる原因となっているのです。しかし、過去には、それほど悪いことばかりがあったのでしょうか。いろいろと悩みはあったでしょうが、それは、そのつど何らかのかたちで切り抜けてきたのではないでしょうか。自分の過去を見て、「失敗の連続だった」という人は、ものの見方にどこか均整がとれていないところがあります。確かに失敗はあったかもしれませんが、人生のすべてが失敗で塗りつぶされてはいないはずです。したがって、それは事実の問題ではなく、評価の仕方の問題であり、「自分自身に対する評価が、黒いクレヨンで塗りつぶされている」ということではないでしょうか。光明思想は、こうした黒い評価を、金色の評価に変えていく方法の一つです。過去、いろいろな悲しみや苦しみがあったとしても、そこから自分がどれだけ教訓を学び取ったか、価値あるものを学び取ったかということが、自分の人生を光らせるための非常によい材料となるのです。また、未来についても、不幸感覚が強く、「未来が自分を罰するのではないか」と思っている人は、結局、自分をかわいがりすぎているのです。「自分がかわいい」という気持ちが、「最も悪い事態のことを考えていれば、それ以上に悪いことはないだろう」という気持ちとなり、それが自分を不幸へと導くようになるのです。たとえ、「あしたは天と地が裂けて大変なことが起きる」というのが事実だとしても、それを思うことによって、どれだけのプラスがあるでしょうか。明るいあすを信じて生きていくことが、何にもまして大切なのです。」

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