古事記、日本書紀の神々

世界の形成  

 物語のはじめは「世界の形成神話」からです。ここに語られてくる神々がやがて天皇家につながってくるのであり、「天皇家は世界形成の主体」に由来する、という含みが込められているのでしょう。これは、「支配者の神話」であるなら当然の態度であるとも言えます。そのはじめは、「高天原(たかまがはら)」に生成してきた神は天御中主神(あめのみなかぬしのかみ)、次に高御産巣日神(たかみむすひのかみ)、次に神産巣日神(かみむすひのかみ)」と言われてきます。

序文のほうで、.「宇宙のはじめができてきたけれど万物を形成すべき形も気もなく、名前もなく何の動きもなく、だれもその形を知らない、そうしたところに天と地がわかれ、そこに三柱の神々が生じた」とあります。

 

世界の三区分  

 ここに見られるいくつかの名前のうち、まず「高天原(たかまがはら)」というのが注目されます。『古事記』では、世界を「天」と「地」と「地下」の世界とに分け、「天」は「天つ国(あまつくに)」とし、別名「高天原」となります。「地」は「芦原の中つ国(あしわらのなかつくに)」と呼ばれ、私たちが住んでいる地上です。「地下」については、あまりはっきりせず、はるかなる遠い地なのですが、地を中心に立体的に考えれば、天に対して「地下」ということになってきます。これは「根の国(ねのくに)」と呼ばれます。こうした宇宙観は、一見したところ普遍的とも見えるのですが、これが日本人一般の考え方であったかどうかは疑問です。古代日本人の観念は、世界を三分割して論理的に考えることはなく、この「自然世界を一つなるもの」として見ており、死者にしても、地下へ行くというより、たとえば「海の彼方」を想定したり「山」に想定したりで、このようなところから「祖霊信仰」が成立しえたのであって、異なった空間へ行くとはとうてい考えられていないようです。しかし、天皇の立場に立てば、自分たちの祖先はこの地上を超えた遙かなる高みから「降臨した」としなければならないわけで、そうすることで権威を主張できるわけです。中国の「天」の思想が背景にあるのでしょう。中国では、「支配者」は「天子」というわけで、天からの権威を持っている者と主張されたのです。その構造がここに主張されたのでしょう。

 

天御中主神(あめのみなかぬしのかみ)

 一方、天御中主神というのは全く観念的な神であり、宇宙の中心といったような意味合いをもたされているのでしょうが、この後何らかの働きを示してくることはありません。『日本書紀』などでは、ほとんど無視に近く付随的に名前が挙げられてくる程度です。ですから、後に平安時代にまとめられた「神々名鑑」ともいうべき『延喜式』にも名前が見あたらないことになってしまいます。「論理上」要請された神にすぎないのですが、このように「論理」を持っているところが「作為」があるということなのです。ただし、この『古事記』の神に宗教を読みとろうとした平田篤胤などは、この神に宇宙の最高神をみてきます。

 

高御産巣日神(たかみむすびのかみ)

 高御産巣日神は、この後も大活躍で、最大級に大事なことの命令はこの神から発されてくることになります。後の「天孫降臨」の時もそうであり、天皇をこの地上に送り出してきたのはこの神だったのです。そのようなわけで、天皇家の本来の祖先神はこちらの方で、のちにその巫女がこの神と同体と見られて天照大神とされ、「祖先神」とされたのではないかという見解まで提出されております。この神は「むすび」と言う名前をもっているように、「生産」にかかわる神であり、日本人の神観念が基本的に「自然の生産力」にあることを考えれば、この神がはじめに生じた神の一人とされていることに納得がいきます。同時に、朝廷も一般日本人と同じ神観念を根底にもっていたことが推察できるわけです。

 

神産巣日神(かみむすびのかみ) 

 もう一柱が神産巣日神でした。この神も「むすび」と言う名前をもっているように、「生産」に関わる神であり、文字通り、穀物から種をとり「五穀の祖」となっています。また、この神は「天つ国」の神ですが、「国つ神」系の「出雲」と深い関係を持ち、出雲の国土造成神である大己貴神(おおあなむち)が殺されてしまった時、その命を再生したのもこの神です。  

 以上の「三柱の神」を、『古事記』では特別の名前で呼んでいませんが、通常「造化三神」と呼んでいます。

 

別天津神(ことあまつかみ)  

 これらの三柱の神々は「独り身」で「姿を隠した」と言われてきますが、これは「人間的姿」としては現れないということで、「これ以下登場しない」という意味ではないことは高御産巣日神や神産巣日神の活躍をみれば明らかです。

 

神世七代  

 さらに、神々の生成は続き、次に国之常立神(くにのとこたちのかみ)と豊雲野神(とよくものかみ)の神が現れます。前者は天之常立神(あめのとこたちのかみ)に続いているわけです。「国の柱」ということになり、「国土形成の基」を建てているわけでしよう。雲の下なる野原というイメージなのでしようか。国之常立神(くにのとこたちのかみ)が「縦軸的柱」なら、こちらは「横的広がり」のようです。この神々も「独り身」で姿を隠しています。この神々に続いては、宇比地邇(ういじに)・須比智邇(すいじに)」のペアの神が現れます。そして、さらにペアの神々が数代生じて、いよいよ伊耶那岐(いざなぎ)・伊耶那美(いざなみ)の神々が生じてくることになるのです。ペアの神々は五組で十柱になります。そして、先の独り身の二柱を併せて「神世七代」呼ぶと言われてきます。

 

国生みの物語  

 さて、伊耶那岐(いざなぎ)・伊耶那美(いざなみ)のペアは、「天つ神」たちに「この漂っている国を直して固めなさい」と命じられます。そこで、二人は、天の浮き橋に降り立って、両刃の刀のようなもので海をかき回して引き上げますと、その刀の先からぽたりと落ちた「塩」が固まって「島」になります。二人の神はここに降りて来まして、いよいよ結婚です。そして、非常に有名な語り合いをするわけで、それが「あなたの体はどのように成っていますか」「私の体は出来上がってはいるのですが、一カ所合わさっていません」「私の方は出来過ぎて余ってしまっているところが一カ所ある。そこでですが、その余ったところをあなたの合わさっていないところに刺し入れて、そうして国を生んだらと思うのですがいかがでしょう」というものでした。この場面で、この『古事記』の神というのが「人間並」であるという印象がもたれてしまうのですが、以下の物語も生々しい人間の物語となっていきます。この『古事記』の神というのは、「超人間的」とならないのです。

 この「国生み」の物語は、「女が先にものを言うとよくない」という話になり「男性上位」の思想を表明し、さらに、日本国土の形成順序の話となって、淡路島から四国、隠岐島、そして九州、さらに長崎の壱岐の島と対馬、そして佐渡に飛んでやっと本州を生み出します。「西日本」が中心であることがよくみえます。この後も島を生んで行くのですが、現在の県名で言えば、岡山県にある半島、香川県の島、山口県の島、大分県の島、長崎県の島々となってしまいます。 なお、伊耶那岐たちに代表されている一番若い神が天なる神に命じられて地上に降臨するというパターンは、「天孫降臨」の物語にもあらわれてくる重要な形式であって、「祭り」というのはこうした「神招来」の儀式かもしれないと考えられています。

 

伊耶那美、火の神を生み、大やけどをする  

 一方、伊耶那岐・伊耶那美の神は国土を生んだ後、「自然物」となる子供作りに励まなければなりませんでした。それは、海やら川やら風や木や山、野原から霧やら谷やら思いつく限りといえるほどで、とてもここに列挙できるような数ではありません。そして、その最後に「火之迦具土神(ひのかぐつち)」を生むのですが、伊耶那美(いざなみ)は女性の陰部に大やけどをしてしまい、床につき、苦しみの中にもどしたり大小便を流してしまいます。しかし、もどしたものから「鉱山・鉄の神」たる  金山毘古神(かなやまひこ)など、大便からは「粘土の神様」、そして小便からは「水の神」、つぎに和久産巣日(わくむすひ)という神様を生みますが、その子供が食物の神・豊受姫神(とようけひめ)といい、大事な神様となります。つまり、豊受姫神は食物の神となって、「天孫降臨」の際、邇邇芸命(ににぎのみこと)に従い、そして、現在 伊勢神宮の外宮に祭られています。

 

殺された火之迦具土神

 ところで、伊邪那美神はそれがもとでついに死んでしまいます。伊邪那岐神は嘆き悲しんで涙を流し、そこからも「泣きの神様」などを生んでいますが、一方、怒りにまかせてなのでしよう、火の神たる火之迦具土神を刀で斬り殺してしまいます。そして殺された火之迦具土神の体や血から、たくさんの神々が生まれ出ました。

 

いざなぎの黄泉の国訪問  

 そして、伊耶那岐は、伊耶那美を恋しと「死者の国」たる「黄泉つ国(よみつくに)」へと追いかけていきます。そして、伊耶那美に、まだ国土造りは終わっていないから一緒に戻ろうと誘うわけですが、伊耶那美はすでに「黄泉の国」の食物を食べてしまったので、すんなり戻るわけにいかず、「黄泉つ国」の神々と相談しなければならない、と言ってきます。そして、「決して中を見ないこと」という約束で扉の中に入ってしまいます。しかし、あまり長いので、伊耶那岐は待ちきれなくなり、火をともして中へ入ってしまいました。そこには うじ にたかられ、恐ろしげな雷の神がその体にとりついている伊耶那美がおりまして、伊耶那岐はびっくり仰天して恐ろしく、あわてて逃げ出していきます。伊耶那美にしてみれば「恥をかかされた」格好になったわけで、追いかけさせるわけですが、伊耶那岐は、山ぶどうの実やタケノコを生やしたりして時間をかせいだり、剣をぬいて振りかざして逃げたり、やっと「境界」近くの「黄泉つひら坂」のふもとまで逃げ、そこに生えていた桃の実を三個投げつけると追ってきた「雷の神」たちはひきあげます。そこで「いざなぎ」は桃を祝福し、人々が苦しんでいる時には助けてやってほしい、と告げたりしていますが、そこについに伊耶那美自身が追いかけてくることになります。そこで、伊耶那岐は「千引きの岩」を引っ張ってきて「黄泉つひら坂」をふさいでしまいました。こうして「岩」をはさんで「向かい合う」形になり、伊耶那岐は「縁切りつまり離婚を言いわたします。こうして、伊耶那美は、「そんなことを言うのなら、私はあなたの国の人々を一日に千人殺してしまいますよ」と言ってきますが、それに答えて、伊耶那岐の方は、「それじゃ、私の方は千五百の産屋をたてることにしょう」言いまして、ここに一日に千人死んで千五百人生まれることになったと告げてきます。一方、この「黄泉つひら坂」は「出雲」にあると語られており、この『古事記』の世界は「出雲」を中心とすることが早くも示され、そして実際そうなっていくのです。

 

伊耶那岐の禊ぎ

 ところで、逃げ帰って来た伊耶那岐ですが、「ひどく恐ろしいけがれた国に行ってしまったものだ、からだを清めなければ」と言って、筑紫(九州)の日向の国(宮崎と鹿児島)の橘の小門(おど)で「身をそそぐ」ことになります。これが「禊ぎ払い」「禊ぎ」の始まりです。そして、いろいろの物を投げ捨てまして、そこからまた神々が生じて来ますが、体を水に付けたところからもさまざまな神々が生まれてきます。こうしてたくさんの神が生まれたその最後に左目を洗った時に、天照大神(あまてらすおおみかみ)が、右目を洗った時に月読命(つくよみのみこと)、そして、鼻を洗った時に須佐之男命(すさのう)が生まれてきます。

 

天照大神、月読命、須佐之男命の誕生  

 これを見まして、伊耶那岐の神は喜び、天照大神には「高天原」を支配するよう命じ、首飾りの玉を与えました。これは高天原を納める者の印であり、その名前を御倉板挙之神(みくらたな)といい、「稲をしまっておく倉の神」ということで、朝廷の仕事が何かを示していると同時に日本人の神に対する考えもよく表れています。月読命とは「月齢を数える神」ということで、「夜を支配」することになります。そして、須佐之男命には「海を治める」よう命じました。日本は四面を海に囲まれているのですから「海の神」というのは大事で、さぞかし須佐之男命は喜んで大活躍するのかと思うとさにあらずで、全然働かずただ泣いてばかりでした。その後も、須佐之男命は「海の神」としての何らの働きも示してこないことになります。

また、須佐之男命は、天つ神系にとっては「荒ぶる神」となるのですが、地上にあっては「災害を治める神」であり、また「根の国の主」として後に大国主に国の支配を保証・宣言してくる神であって、出雲系の主神であったものが、朝廷側に支配されてしまった時に取り込まれたのではないかと考えられます。朝廷側たる天の神系にとっては、彼は強大で難敵であり、様々の苦渋をなめた事なのでしょう。しかし、恭順したところで、その位置づけをしかるべくしなければならなかったと考えられます。

 

須佐之男命の追放  

 さて、その須佐之男命ですが、泣いてばかりで、その「泣きは凄まじく」さまざまの災いをうみだしていきます。日本人の神観念の中にある「荒ぶる神」の原型の姿がここに見られております。そこで伊邪那岐の神が理由を尋ねますと、自分は死んだ母の国、「根の堅州国(ねのかたすくに)」に行きたい、などと言ってきました。須佐之男命は本来伊邪那岐命が一人で生み出した神の筈で伊邪那美命とは関係ない筈なのですが。これを聞きまして、伊邪那岐命はひどく怒り、「おまえはここに住んでいてはならない」と追放の処分を言い渡しました。そこで、須佐之男命は、まず天に出向いて天照大神にあってからということで天に向かいますが、これを見て、天照大神は侵略かと恐れ、弓矢を手に身を固めて迎えます。須佐之男命は事の次第を報告にきたまでで邪心はないと釈明し、その誓約をたてます。ここに二人の神は子供なる神々を生むことでその真偽を計ろうとさまざまの神を生み出していきます。その中で、天照大神の子供とされたものはさまざまの「氏族の祖先」とされてきまして、朝廷配下の氏族の由来の話となっております。一方、「誓約」の方は須佐之男命の勝ちとされ、ここに須佐之男命は勝者の常のおごりによって大暴れし、はじめは我慢していた天照大神も、機織りの女が驚かされて機織りの棒を女陰にぶつけ死んでしまうに及んで、「天の岩屋戸」に隠れてしまいます。こうして、天も地も真っ暗となってしまいます。ここに悪しき神は騒ぎ立ち、困った神々は集まって対策を練り、かくして有名な天宇受売命(あめのうずめのみこと)の踊りとなり、大笑いして騒ぐ神々に隠れていた天照大神は何事かと声をかけてきたところに、あなた様に勝る尊い神がこられたので喜んでいますと答え、いぶかった天照大神が顔を出してきたところに「鏡」を差し出して外に誘い出し、出てきたところを天手力男神(あめのたぢからおのかみ)が引っぱり出してしまい、即座に後ろに しめなわ を張って再び中にはいることが出来ないようにしました。こうして一方、須佐之男命の方は天から追放ということになります。またこの話の中での須佐之男命の罪は「田畑のあぜを壊したり、溝を埋めたり、馬の皮をはいだり」で、これらは「天つ罪」と呼ばれ重罪とされました。大和朝廷が農耕部族であったことがこうしたことからも知られます。

 

八岐大蛇

 この後の物語は、須佐之男命の遍歴となり、「食物の神」大宜都比売神(おおげつひめ)」を殺してしまう話からはじまり、そして、「八岐大蛇」の話となります。八つの首を持った巨大な大蛇を酒で酔っぱらわせ退治した話です。この時大蛇からでてきたのが「草薙の剣」で、これは「三種の神器」の一つとなっています。この話も有名であるところから、神話学的にさまざま解釈されていますが、この話の機縁となっているのが「櫛名田比売(くしなだひめ)」といい、これは『日本書紀』では奇稲田姫であることから、話全体は「田圃(たんぼ)」にかかわり、八俣の大蛇とは「氾濫する河川」で、「治水」の話であるとか、大蛇は「山賊」を意味するとか言われています。なお、この話の舞台は「出雲」の「鳥髪」というところとされています。

 

大国主の物語 因幡の白兎  

 この後、話は須佐之男命の子供たちの列挙となり、そして、大国主につなげられてきます。こうして、話は「天つ国」の話から出雲系の英雄大国主命の話へと転換しまして、やがて「国譲り」となり、「天孫降臨」となっていきます。

大国主の神の話は、全体的展開は大国主がこの国の主となる所以を述べるものですが、その説話そのものには多くの他の英雄たちの物語が「大国主のもの」として取り込まれてしまっているようで、かなり複雑になっています。その始まりの話というのが、一般にもよく知られている「因幡の白兎」の話からでした。すなわち、大国主のたくさんの兄弟、それは八十神(やそがみ)と表記されます。その彼らが、皆「稲羽(後の因幡)の八上ひめ」と結婚しようと稲羽に行った時に、大穴牟遅(おおあなむじ)の神に旅の荷物を入れた袋を背負わせていきます。その彼らが 気多 に来たとき、一匹の兎が裸にされて横たわっているのを発見します。その兎に、彼らは「海の水を浴びて、風にあたり高い山の尾根に寝ているがいい」と親切めかして助言します。しかし、そんなことをしたらたまったものではないわけで、哀れ兎の皮膚はひび割れ、塩がしみてひどく痛みます。そして、泣いているところに大穴牟遅が、やっと大きな荷物にヒーヒーいいながら通りかかってきました。そして、泣いているわけを聞くわけですが、兎が答えて言うには、「自分は隠岐の島にいたのだけれどここにわたりたいと思い、鰐(ふか)を騙して、仲間のかず比べをしようと言って横並びにさせてその上をわたってきたのだけれど、渡り終わる時、騙したのだと言ってしまい、最後の鰐に捕まって丸裸にされてしまったのです。そして、横たわっていると八十神がやってきて助言してくれたのでそうしたところひどいことになってしまったのです」というわけです。そこで、大穴牟遅は、兎に「河口の方に行き、真水で体を洗い、がまの穂を敷いて横たわっていれば直きよくなるよ」と教えました。兎がそうしたところ、もとのように直りました。これが「稲羽の白兎」なのです。今は「兎神」となっている。この時、その兎は「八十神は決して八上ひめを得ることは出来ません。荷物なんか背負わされているけれど必ずあなたが得ることになるでしょう」と言ったのです。

 

赤い猪  

 果たして、八十神が八上ひめのところにきましたところ、「自分はあなた方とは結婚しません。大穴牟遅と結婚するつもりです」とこたえました。こうして、八十神はひどく憤り、大穴牟遅を殺そうと思います。そして、山につれていき、「ここに赤い猪がいるが、これを追い出すからきっとそれを退治するのだぞ」と言いつけて下に待たせておき、上から真っ赤に焼いた石を転がし落とします。大穴牟遅はその石に焼かれて死んでしまいました。それを大穴牟遅の母は悲しみ、天に行き、神産巣日神にお願いしたところ、「赤貝」を意味する女神と「はまぐり」を意味する女神とを派遣してくださり、二人の女神が貝の粉と汁とで薬を調合して、体に塗ってくれて生き返ることができました。これは古代の治療法を語ったものでしょう。

 

根の堅州国での大国主命

 これをみて、八十神は、再び大穴牟遅を騙して山につれていき、木の俣に挟んでしまいます。しかし、母親が見つけてくれて助かりますが、母親はこんなところにいたらまたいつか殺されてしまうだろうということで、彼を遠くにやることにします。八十神はしつこく追いかけてきますので、大屋毘古(おおやびこ)の神が「根の国」にいる須佐之男命のもとに行くがよいと助言しまして、こうして大穴牟遅は須佐之男命のところにいきます。よく知られた求婚説話と呼ばれる「求婚に当たっての試練」の物語となります。すなわち、彼が「根の国」に行きましたところ、須佐之男命の娘である須勢理毘売命(すせりひめ)と会い、二人は関係をもって須佐之男命のところに行きますが、須佐之男命は彼を試そうというのでしょうか、その夜、蛇のたくさんいる小屋に彼を寝かせます。須勢理毘売命は、彼にへびの皮の「ひれ」、つまりスカーフのようなものを渡して、蛇が食いついてきたらそれを三回振るようにといいました。そうしますと、蛇はおとなしくなり安眠できました。次の日は「むかで」と「蜂」の小屋でしたが、同じように須勢理毘売命の助けで切り抜けました。次の日、須佐之男命は原っぱに鏑矢を遠く飛ばし、それを大穴牟遅に取りに行かせて、原っぱに火を付けてしまいます。彼の周りが火の海になったところ、ねずみ が現れて「内はほらほら外はぶすぶす」と言いましたので、そこを強く踏んだところ、穴があき、そこに身を伏せている間に火は通りすぎていきました。矢の方はねずみが持ってきてくれました。須勢理毘売命は葬式の準備をし、須佐之男命も彼が死んだものと出てきましたので、大穴牟遅は矢をもって出ていきました。こうして次の日、今度は頭のシラミをとれと命じられましたが、そのシラミとは大ムカデでした。須勢理毘売命は椋の実と赤土を渡し、その実を砕いては赤土を口から吐き出させて、シラミをとっている振りをさせたところ、須佐之男命は心地よく眠ってしまいました。そこで、大穴牟遅は、須佐之男命の髪の毛を天井のたる木にくくりつけ、小屋の前には大石をおいて塞ぎ、須佐之男命の宝であった太刀と弓矢、また、琴を盗みだし、須勢理毘売命をおぶって逃げだします。ところが、琴が木にふれ大きな音がして、須佐之男命は目を覚まし起きあがり、追いかけようとして小屋を引き倒してしまいますが、髪の毛をほどかなければなりません。その間にどんどん逃げていくことに成功します。とうとう黄泉比良坂(よもつひらさか)まできたところで遠く須佐之男命が声を飛ばして、その太刀と弓矢で敵対する神々を追い払い、大国主命となって国を支配し、須佐之男命を正妻として宇迦(うか)の山に宮殿を造れ、と言ってきました。須佐之男命は大穴牟遅を認めたというわけでした。かくして、「国つ神」の地・「出雲」は大国主のものとなったのでした。

 

少名毘古那神(すくなひこなの神)

 その後、話は「八千矛の神(大国主の別名)の歌物語」という歌が挿入され、さらに、出雲系の氏族の家系の列挙となり、少名毘古那神の話となります。これは、「蔓芋の種」の擬人化と見られる点と、「渡来の神」として「現れ、また去っていく」という「渡来神」の姿が描かれていることで重要です。つまり、彼は小さな「蔓芋」のさやの船に乗って現れましたが、正体がしられず、そこで、久延毘古(くえびこ)という「天下のことを知る山田の案山子」にたずねたところ、神産巣日神の子で、名前は少名毘古那神でした。そこで、神産巣日神にただしたところ、その通りであり、大国主と二人してこの国を造りなさい、という答えがあったという。そして、この神は海のかなたへと渡っていきました。この「海の彼方からくる神」は「助っ人として来て、やがて帰っていく」という観念は、日本人に独特の外国観を反映しています。こうして、「海からやってきた」「みもろの山の神」、つまり大和の三輪山の話と続き、さらに、「大年の神、つまり稲の実りの神の系譜」が挙げられて、再び話は「天つ国」に戻り、大国主命との関係が語られてくることになります。

 

天つ国からの使者  

 天つ国と大国主命との確執の始まりは、天つ国の天照大神が「あの地はいい国だから私の子が治める地にしよう」などと言い出したことにあります。「あの地」というのは「芦原の中つ国」であり、大国主の国のことです。隣の国がこちらを見て「あの国は良さそうだから自分の支配地にしよう」と言ったわけで、完全な侵略の意図を明らかにしたというわけです。事実的・歴史的には実際そうであり、大和朝廷が各地を侵略していった歴史をうかがわせます。実際、これ以降の物語は、天つ国、つまり朝廷の出自の国が各地を侵略していく話となっていきます。先ず、天照大神は天忍穗耳尊(あめのおしほみみ)を遣わし、様子を探らせます。その報告によると「あの国はひどく騒がしく、荒ぶる神々で一杯だ」ということでした。これは、強敵になりそうだということでしょう。そこで、天照大神は他の神々と相談し、先遣隊を送り込みます。これは、恭順を迫りにいったということでしようが、失敗で、逆に説得されてしまったようで、三年経っても返事をよこさなかった。そこで、再び天稚彦(あめわかひこ)を送りますが、彼も大国主の娘と結婚してしまい、八年経っても返事をよこさない。そこで、その様子を探らせようと、天探女(あまのさぐめ 雉の鳴き女)というのを差し向けます。そこで、その「雉」は天稚彦のところに来まして天の神の言葉を伝えますが、「天の事どもを探る女」という意味の者が、「この雉は天のスパイであることを見抜いたのでしょう、その鳴き声がよくないから殺すのがよい」と進言し、そこで、天稚彦は天より携えた弓矢でこの雉を射殺してしまいます。ところが、この矢が勢い余って、天まで飛んで天照大神と高御産巣日神のところまで飛んでいってしまい、それが天稚彦のものであり、しかも血がついていることが判明してしまいます。こうして、高御産巣日神は、もし天稚彦が命令通り征服戦争を遂行しているならよし、そうでなく反逆の心で(雉を射殺したのなら)天稚彦に当たれといって投げ返すと、それは寝ていた天稚彦に当たり死んでしまいました。裏切り者ということで刺客が放たれ、暗殺されたということでしょう。

 

国譲り  

 天稚彦も失敗に終わりましたので、天照大神は「次はどの神を送ろうか」と言いますと、その場にあった神々が「剣」をイメージする「いつのおはばり」かその子供の建御雷神(たけみかずち)、つまり雷の神になりますが、そのどちらかが良いだろう、と言ってきます。たしかに、強力な軍をイメージさせます。そして、建御雷神が行くこととなり、彼は出雲につくと剣を抜き放ち、それを浜に刺し立て、その前にどっかと座って、大国主命に「天照大神がのたもうには、お前が治める芦原の中つ国は自分の子供が治める国とする、ということであるがお前の心はどうか」と言ってきます。完全に脅迫です。大和朝廷が出雲を侵略したという事実的歴史においては、大国主命にあたる出雲の当主は頑強に抵抗したでしょうが、この物語では大国主は優柔不断にされています。自分では判断つかない、自分の子供が返事するだろう、などと言ってきます。そこで、一人目の子供の事代主を呼びつけ返事をさせると、「この国は天照大神に献上するべきだろう」と言って、隠れてしまいます。どうも建御雷神の軍を見て恐れたようです。しかし、もう一人の子供 建御名方(たけみなかた)は大きな石を片手に持ち上げ、戦いを挑んでいきます。しかし、その結果、建御雷神は負けて投げつけられ逃げ出したとなり、現在の長野県の諏訪湖まで逃げたが、そこで追いつかれ恭順を誓ったとなっていきます。こうして、再び大国主命のところに戻って、その心が問われるわけで、ここで大国主は自分の社が「天照大神の社なみに」確定されているなら、という条件で恭順してくることになりました。これは、無条件降伏とはかなり異なる在り方で、支配実権は譲るが名は譲らないといったところで、一族も名誉も確保されているということになります。  

 出雲大社は大和朝廷の社である伊勢神宮に次ぐ大社となり、また、頑張って戦った建御雷神の諏訪大社も由緒と格式のある代表的神社となっているのでしょう。

 

天孫降臨

 一方、こうして出雲が平定されたとの報告を得て、天照大神と高御産巣日神は天忍穂耳尊(あまのおしほみみのみこと)を、芦原の中つ国に派遣しようとしますが、天忍穂耳命(あめのおしほみみのみこと)は自分が行こうと準備している間に子供が生まれたので、その子を行かせたいと思う、と言ってきます。その子の名前が邇邇芸命(ににぎのみこと)というわけです。こうして邇邇芸命が天より降りることととなり、降りて行こうとするとその道の真ん中に天と地を照らしている神がいます。そこで、天鈿女命(あめのうずめのみこと)が命じられて、その正体を確かめに行きますと、その神は、自分は国つ神・猿田彦大神(さるたひこ)というもので、「天よりの神」を迎えようとここにこうしていると答えてきました。こうして邇邇芸命は天より降りてきたわけです。彼は天照大神の孫に当たるわけで、それで「天孫降臨」となるのです。ここから先は完全に大和朝廷の組織作りの話になっていきます。

 

木花之佐久夜毘売

 邇邇芸命が美しい女性・木花之佐久夜毘売(このはなのさくやびめ)に会い、結婚したいと思い、その父・大山津見神(おおやまつみのかみ)に申し込んだところ、彼は承知しましたが、その姉の石長比売(いわながひめ)までくっつけてきました。ところが、この石長比売は非常に醜かったので、邇邇芸命は彼女を送り返してしまいます。ところが、大山津見神が言うには、自分が二人一緒に送ったのはわけがあったので、この石長比売は「永久に石のように存続する」という性格を持っていて、一方、木花之佐久夜毘売は「花のように栄える」けれど花のように「はかない」という性格を持ち、両方を妻にしていれば「栄えて永久」ということになったのに、石長比売を送り返した以上は、「寿命が短い」ということになってしまうというわけでした。ここに、天皇の短命なことの理由が述べられているわけですが、実際この時代、天皇家は短命であったことがこうした話しを作らせているのでしょう。一方、木花之佐久夜毘売はすぐ妊娠してしまいまして、そのため、邇邇芸命は、別に男がいたのではないかと疑ってしまいます。そこで、彼女は「天の神の子供なら無事に生まれるでしょう」と言って産屋に入り、それに火をつけてしまいます。そして、彼女は、火照命(ほでりのみこと)、火須勢理命(ほすせりのみこと)、火遠理命(ほおりのみこと)という三人の子供を生みます。

 

海彦と山彦

 ここから、話はこの子供のうち火照命と火遠理命の話になっていきます。火照命は「海幸彦」と呼ばれ、火遠理命は「山幸彦」と呼ばれることになりました。この「山幸彦」たる火遠理命は、兄である火照命に向かって、互いの道具を取り替えてみないかと持ちかけます。火照命は三度も断りますが、あまりにしつこいのでとうとう承知します。こうして「山幸彦」が海にいくわけですが、うまくいかず、大事な釣り針までなくしてしまいます。そこに火照命が、やはり獲物は自分の道具でしかとれないと言って道具を元に戻そうとしてくるわけですが、火遠理命は釣り針を返せません。困って自分の刀で釣り針をつくって返そうとし、五百、千とつくるのですが、火照命はやはり元のものでなければといってきます。困った火遠理命が海辺で泣いておりますと、塩椎神(しおつちのかみ)が出てきて、事情を聴き助けてあげようということになります。「浦島太郎」の原型のような話になって、竜宮城のような海神の宮に行き、歓待され、豊玉姫と結婚して3年経ちます。しかし、かつての事情を思いだし、ため息をついていると、海神が事情を聴いて、魚を集めて はり を探しだしてそれを持たせ、火照命をやっつける方法を授けておくりだします。かくして、火遠理命は火照命をやっつけて支配者となり、火照命は従者となったが、その一族が「隼人」となったといってきます。このあたり、朝廷がどんな部族であったのかをよく物語っており、「海の民」に対する「山の民」の優位が語られています。つまり、「山幸彦」が海へと入り、そこで歓待され、そこから「海幸彦」を支配下においたという物語になっているわけです。

 

豊玉姫

 ここから話は豊玉姫の妊娠となり、彼女はもとの姿で子供をうまなくてはならないが「決してのぞき見しないように」と言い置いて、産屋に入っていきます。しかし、そう言われるとのぞきたくなるのが凡夫の常で、火遠理命はのぞいてしまいますが、そこに見たのは「鰐がのたうちまわっている姿」であったのです。こうして、豊玉姫は恥をかかされたことで海へともどっていってしまいます。こうした禁止されればされるほど、それを侵犯したくなるという「タブーの侵犯」の説話は、日本ばかりでなく世界中にある説話のパターンです。一方、子供は無事生まれていまして、その子は鵜葺草葺不合命(うがやふきあえずのみこと)といいました。一方、豊玉姫はその妹の玉依姫をおくり、その子の養育にあたらせました。こうして成長した鵜葺草葺不合命はそのまま乳母であった玉依姫と結婚してしまいい、4人の子供をもちます。その中に神日本磐余彦尊(かむやまといわれひこのみこと)がおりました。この尊が「神武天皇」となるわけです。『古事記』はここから「中の巻き」となっていきます。