日本の神話 古事記、日本初期の神々

『古事記』と『日本書紀』  

 日本の神話とは、一般的に8世紀初頭に成立した『古事記』(712年)と『日本書紀』(720年)(まとめて記紀という)に書かれている神代の時代の物語をいいます。『古事記』と『日本書紀』は、ともに天武天皇の命によって編纂がはじまりました。そこに描かれている日本の国の成り立ちは、実にいきいきと活躍する神々の歴史から始まります。

 『古事記』は大和言葉を重んじた国民向けの文学的な書物です。語り部である稗田阿礼が誦習したものをベースに、太安万侶がこれを編纂したといわれています。『古事記』は日本の神々の霊示をうけて語り降ろしていた「霊言」であった。ただし、当時の人たちが理解できる範囲で語られているので、天地創造や宇宙の根本神の記述などは必ずしも正確とはいえないようです。阿礼を通して語らせた神々のお考えは、真実の信仰の姿を人々に学ばせ、「日本の国において、神の愛される人間像とは何か」を示そうとしたのです。

 一方、『日本書紀』は本格的な漢文で書かれております。海外にも通用する国内初の「正史」です。

 なお、記紀は戦前まで国史教育に用いられていました。

 古事記の神話は、そこで語られているやまと言葉の真意をもとに読み解くと、古代の人はすでに宇宙の仕組みや物理の法則をある程度解明していたことがわかります。

 古事記の出だしは次のようです。

 「天地が創られたとき、高天原(たかあめのはら)に、天之御中主大神(あめのみなかぬしのおおかみ)がお出ましになった。次に、高御産巣日神(たかみむすひのかみ)と神御産巣日神(かむみむすひのかみ)がおみえになった」

 この真訳は次のようです。

 『宇宙は、宇宙の神様の命により、物質をつくる神様と想念の神様が協力し合って瞬時につくられた』

 古事記に登場する神様たちの名前には、それぞれに意味があるのです。最初に登場する天之御中主大神についてですが、(あめ)は宇宙全体を表します。は尊重すべき、または平和に治めるという意味があります。は中央、はあるじです。つまり、この神様は宇宙の中心にいる宇宙のあるじで、もっとも偉大な大神様というわけです。古伝によれば、この大神様は天御祖神(あめみおやかみ)です。この神様はギリシャ神話のゼウスやローマ神話のジュピター、仏教の大日如来のように、すべてを創り出し、そのすべてを治める最高神を言うのです。

 次に登場する高御産巣日神と神御産巣日神は、宇宙の大神様を補佐する二柱の神様です。古伝によれば、高御産巣日神は天並神(あなみかみ)です。並は、二つのものが合わさって目に見える物質をつくる、という意味です。高は敬意を表す言葉です。つまりこの神様は、尊敬すべき物質の神様という意味なのです。神御産巣日神は古伝によれば、天元神(あもとかみ)です。元は大きな力のもとという意味です。古代の人は大きな力のもとは想念である、としていました。つまり、この神様は目に見えない想念の神様という意味なのです。

 今から数千年以上も前から、日本には、宇宙は物質と想念が掛け合わさって瞬時につくられたという言い伝えがありました。『古事記』はこの言い伝えを参考にして語られたと思われます。

 天が付く神様は、皆宇宙起源の天空神なのです。

 

天地のはじまりと神の誕生  

 日本に伝わる「天地開闢(てんちかいびゃく)」の物語は、はるか昔、天と地の区別がない闇の世界からはじまる。そして、それまで一体だった世界がふたつに分かれ、地上には大地が、天上界には高天原が誕生。高天原には、宇宙の根源の神・天御中主神(あめのみなかぬしのかみ)がお生まれになり、続いて高御産巣日神(たかみむすひのかみ)と神産巣日神(かみむすひのかみ)がお生まれになって世界の創造に取りかかった。3柱を「造化三神(ぞうかさんしん)」と呼びます。

 

高天原

 ここに見られるいくつかの名前のうち、まず「高天原(たかまがはら)」というのが注目されます。『古事記』では、世界を「天」と「地」と「地下」の世界とに分け、「天」は「天つ国(あまつくに)」とし、別名「高天原」となります。「地」は「芦原の中つ国(あしわらのなかつくに)」と呼ばれ、私たちが住んでいる地上です。「地下」については、あまりはっきりせず、はるかなる遠い地なのですが、地を中心に立体的に考えれば、天に対して「地下」ということになってきます。これは「根の国(ねのくに)」と呼ばれます。こうした宇宙観は、一見したところ普遍的とも見えるのですが、これが日本人一般の考え方であったかどうかは疑問です。古代日本人の観念は、世界を三分割して論理的に考えることはなく、この「自然世界を一つなるもの」として見ており、死者にしても、地下へ行くというより、たとえば「海の彼方」を想定したり「山」に想定したりで、このようなところから「祖霊信仰」が成立しえたのであって、異なった空間へ行くとはとうてい考えられていないようです。しかし、天皇の立場に立てば、自分たちの祖先はこの地上を超えた遙かなる高みから「降臨した」としなければならないわけで、そうすることで権威を主張できるわけです。中国の「天」の思想が背景にあるのでしょう。中国では、「支配者」は「天子」というわけで、天からの権威を持っている者と主張されたのです。その構造がここに主張されたのでしょう。

 

天御中主神(あめのみなかぬしのかみ)

 天御中主神というのは全く観念的な神であり、宇宙の中心といったような意味合いをもたされているのでしょうが、この後何らかの働きを示してくることはありません。『日本書紀』などでは、ほとんど無視に近く付随的に名前が挙げられてくる程度です。ですから、後に平安時代にまとめられた「神々名鑑」ともいうべき『延喜式』にも名前が見あたらないことになってしまいます。「論理上」要請された神にすぎないのですが、このように「論理」を持っているところが「作為」があるということなのです。ただし、この『古事記』の神に宗教を読みとろうとした平田篤胤などは、この神に宇宙の最高神をみてきます。

 

高御産巣日神(たかみむすびのかみ)

 高御産巣日神は、この後も大活躍で、最大級に大事なことの命令はこの神から発されてくることになります。後の「天孫降臨」の時もそうであり、天皇をこの地上に送り出してきたのはこの神だったのです。そのようなわけで、天皇家の本来の祖先神はこちらの方で、のちにその巫女がこの神と同体と見られて天照大神とされ、「祖先神」とされたのではないかという見解まで提出されております。この神は「むすび」と言う名前をもっているように、「生産」にかかわる神であり、日本人の神観念が基本的に「自然の生産力」にあることを考えれば、この神がはじめに生じた神の一人とされていることに納得がいきます。同時に、朝廷も一般日本人と同じ神観念を根底にもっていたことが推察できるわけです。

 

神産巣日神(かみむすびのかみ) 

 もう一柱が神産巣日神でした。この神も「むすび」と言う名前をもっているように、「生産」に関わる神であり、文字通り、穀物から種をとり「五穀の祖」となっています。また、この神は「天つ国」の神ですが、「国つ神」系の「出雲」と深い関係を持ち、出雲の国土造成神である大己貴神(おおあなむち)が殺されてしまった時、その命を再生したのもこの神です。  

 以上の「三柱の神」を、『古事記』では特別の名前で呼んでいませんが、通常「造化三神」と呼んでいます。

 これらの三柱の神々は「独り身」で「姿を隠した」と言われてきますが、これは「人間的姿」としては現れないということで、「これ以下登場しない」という意味ではないことは高御産巣日神や神産巣日神の活躍をみれば明らかです。

 

別天津神(ことあまつかみ)

 一方、天と分かれたばかりのまだやわらかい地上には、生命の活力を司る宇摩志阿斯訶備比古遅神(うましあしかびひこぢのかみ)がお生まれになる。最後に、高天原の守護神・天之常立神(あめのとこたちのかみ)がお生まれになり、高天原を固定し、恒久的に神々が住む場所としたという。

 これらの5柱の神々(別天神五柱)には男女の区別はなく、自然と現れては すぐに身を隠してしまったといわれている。

 

次々に誕生した神々  

 別天神五柱の誕生ののち、国土の永久を守る国之常立神(くにのとこたちのかみ)と大自然に生命を吹き込む豊雲野神(とよくものかみ)がお生まれになる。そののち、記念すべき男神と女神のペア5組が次々に誕生する。まず、生命をはぐくむ土壌を整える宇比地邇神(うひぢにのかみ)と須比智邇神(すひぢにのかみ)が誕生。そして、土壌に芽生えた生命に形をあたえる男神・角杙神(つぬぐいのかみ)と女神・活杙神(いくぐいのかみ)が誕生。続いて、その形に男女の性別を与える男神・意富斗能地神(おおとのぢのかみ)と女神・大斗乃弁神(おおとのぢのかみ)が誕生。さらに、国土を豊かにし、人間の姿を整え、繁栄と増殖を促す男神・於母陀流神(おもだるのかみ)と女神・阿夜訶志古泥神(あやかしこねのかみ)がお生まれになり、最後に、日本国土や自然神などの万物を生み出した男神・伊邪那岐命(いざなぎのみこと)と女神・伊邪那美命(いざなみのみこと)がお生まれになった。国之常立神から伊邪那美命までの神々を「神世七代」と呼びます。

 

伊邪那岐命と伊邪那美命の国生み

 伊邪那岐命と伊邪那美命は、天御中主神を中心とする神々から、「この漂っている国を直して固めなさい」と国造りを命じられます。

 神力をやどした「天沼矛(おめのぬぼこ)」を神から授かった。2柱の神は、さっそく天浮橋(あめのうきはし)に立ち、天沼矛を刺し下ろして下界をかき混ぜると、矛から垂れた潮が積み重なって固まり、淤能碁呂島(おのごろじま)ができあがった。

 伊邪那岐命と伊邪那美命は、その島に降り立って婚儀を行う。そして、非常に有名な語り合いをするわけで、それが「あなたの体はどのように成っていますか」「私の体は出来上がってはいるのですが、一ヵ所合わさっていません」「私の方は出来過ぎて余ってしまっているところが一ヵ所ある。そこでですが、その余ったところをあなたの合わさっていないところに刺し入れて、そうして国を生んだらと思うのですがいかがでしょう」というものでした。

 はじめ、女神の伊邪那美命から声をかけ、2柱が交わると、健全な形ではない「水蛭子(ひるこ)」が誕生。そこで、改めて伊邪那岐命から声をかけて交わると、伊邪那美命は、淡路島四国陰岐島九州対馬佐渡島本州を次々にお生みになった。

 この「国生み」の物語は、「女が先にものを言うとよくない」という話になり「男性上位」の思想を表明し、さらに、日本国土の形成順序の話となって、淡路島から四国、隠岐島、そして九州、さらに長崎の壱岐の島と対馬、そして佐渡に飛んで本州を生み出します。この後も島を生んで行くのですが、「西日本」が中心であることがよくみえます。

 

伊耶那美、火の神を生み、大やけどをする  

 伊耶那岐・伊耶那美の神は国土を生んだ後、「自然物」となる子供作りに励まなければなりませんでした。それは、海やら川やら風や木や山、野原から霧やら谷やら思いつく限りといえるほどです。そして、その最後に火之迦具土神(ひのかぐつち)を生むのですが、伊耶那美(いざなみ)は女性の陰部に大やけどをしてしまい、床につき、苦しみの中にもどしたり大小便を流してしまいます。しかし、もどしたものから「鉱山・鉄の神」たる 金山毘古神(かなやまひこ)など、大便からは「粘土の神様」、そして小便からは「水の神」、つぎに和久産巣日(わくむすひ)という神様を生みますが、その子供が食物の神・豊受姫神(とようけひめ)といい、大事な神様となります。つまり、豊受姫神は食物の神となって、「天孫降臨」の際、邇邇芸命(ににぎのみこと)に従い、そして、現在 伊勢神宮の外宮に祭られています。

 ところで、伊邪那美命は、実際には産褥熱(さんじょくねつ)で亡くなったようです。『古事記』によれば、その後黄泉の国に旅立たれたとあります。黄泉の国とは あの世の世界のことですが、その記述を読む限り、その様相は地獄界に近い。幸福の科学の霊査でも地獄界におり、日本の神々によって封印されているとか。夫であった伊邪那岐命は霊能者だったので、体外離脱をして妻の死後の様子を霊的に見たというのがその真相のようです。

 

殺された火之迦具土神

 伊邪那美神が死んでしまいますが、伊邪那岐神は嘆き悲しんで涙を流し、そこからも「泣きの神様」などを生んでいます。一方、怒りにまかせてなのでしよう、火の神たる火之迦具土神を刀で斬り殺してしまいます。そして殺された火之迦具土神の体や血から、たくさんの神々が生まれ出ました。

 

伊耶那岐の黄泉の国訪問  

 そして、伊耶那岐は、伊耶那美を恋しと「死者の国」たる「黄泉つ国(よみつくに)」へと追いかけていきます。そして、伊耶那美に、まだ国土造りは終わっていないから一緒に戻ろうと誘うわけですが、伊耶那美はすでに「黄泉の国」の食物を食べてしまったので、すんなり戻るわけにいかず、「黄泉つ国」の神々と相談しなければならない、と言ってきます。そして、「決して中を見ないこと」という約束で扉の中に入ってしまいます。しかし、あまり長いので、伊耶那岐は待ちきれなくなり、火をともして中へ入ってしまいました。そこには うじ にたかられ、恐ろしげな雷の神がその体にとりついている伊耶那美がおりまして、伊耶那岐はびっくり仰天して恐ろしく、あわてて逃げ出していきます。伊耶那美にしてみれば「恥をかかされた」格好になったわけで、追いかけさせるわけですが、伊耶那岐は、山ぶどうの実やタケノコを生やしたりして時間をかせいだり、剣をぬいて振りかざして逃げたり、やっと「境界」近くの「黄泉つひら坂」のふもとまで逃げ、そこに生えていた桃の実を三個投げつけると追ってきた「雷の神」たちはひきあげます。そこで、伊邪那岐は桃を祝福し、人々が苦しんでいる時には助けてやってほしい、と告げたりしていますが、そこに伊耶那美自身が追いかけてくることになります。そこで、伊耶那岐は「千引きの岩」を引っ張ってきて「黄泉つひら坂」をふさいでしまいました。こうして「岩」をはさんで「向かい合う」形になり、伊耶那岐は「縁切り」、つまり離婚を言いわたします。こうして、伊耶那美は、「そんなことを言うのなら、私はあなたの国の人々を一日に千人殺してしまいますよ」と言ってきますが、それに答えて、伊耶那岐の方は、「それじゃ、私の方は千五百の産屋をたてることにしょう」と言いまして、ここに一日に千人死んで千五百人生まれることになったと告げてきます。一方、この「黄泉つひら坂」は「出雲」にあると語られており、この『古事記』の世界は「出雲」を中心とすることが示され、そして実際そうなっていくのです。

 

伊耶那岐の禊ぎ

 ところで、逃げ帰って来た伊耶那岐ですが、「ひどく恐ろしいけがれた国に行ってしまったものだ、からだを清めなければ」と言って、筑紫(九州)の日向の国(宮崎と鹿児島)の橘の小門(おど)で「身をそそぐ」ことになります。これが「禊ぎ払い」「禊ぎ」の始まりです。そして、いろいろの物を投げ捨てまして、そこからまた神々が生じて来ますが、体を水に付けたところからもさまざまな神々が生まれてきます。こうしてたくさんの神が生まれたその最後に、左目を洗った時に天照大神(あまてらすおおみかみ)が、右目を洗った時に月読命(つくよみのみこと)、そして、鼻を洗った時に須佐之男命(すさのう)が生まれてきます。

 

天照大神、月読命、須佐之男命の誕生  

 これを見まして、伊耶那岐の神は喜び、天照大神には「高天原」を支配するよう命じ、首飾りの玉を与えました。これは、高天原を納める者の印であり、その名前を御倉板挙之神(みくらたな)といい、「稲をしまっておく倉の神」ということで、朝廷の仕事が何かを示していると同時に日本人の神に対する考えもよく表れています。月読命とは「月齢を数える神」ということで、「夜を支配」することになります。そして、須佐之男命には「海を治める」よう命じました。日本は四面を海に囲まれているのですから、「海の神」というのは大事で、さぞかし須佐之男命は喜んで大活躍するのかと思うとさにあらずで、全然働かずただ泣いてばかりでした。その後も、須佐之男命は「海の神」としての何らの働きも示してこないことになります。

 また、須佐之男命は、天つ神系にとっては「荒ぶる神」となるのですが、地上にあっては「災害を治める神」であり、また「根の国の主」として、後に大国主に国の支配を保証・宣言してくる神であって、出雲系の主神であったものが、朝廷側に支配されてしまった時に取り込まれたのではないかと考えられます。朝廷側たる天の神系にとっては、彼は強大で難敵であり、様々の苦渋をなめた事なのでしょう。しかし、恭順したところで、その位置づけをしかるべくしなければならなかったと考えられます。

 

須佐之男命の追放  

 さて、その須佐之男命ですが、泣いてばかりで、その泣きは凄まじく、さまざまの災いをうみだしていきます。日本人の神観念の中にある「荒ぶる神」の原型の姿がここに見られております。そこで、伊邪那岐の神が理由を尋ねますと、自分は死んだ母の国、「根の堅州国(ねのかたすくに)」に行きたい、などと言ってきました。須佐之男命は、本来伊邪那岐命が一人で生み出した神の筈で、伊邪那美命とは関係ない筈なのですが。これを聞きまして、伊邪那岐命はひどく怒り、「おまえはここに住んでいてはならない」と追放の処分を言い渡しました。そこで、須佐之男命は、まず天に出向いて天照大神にあってからということで天に向かいますが、これを見て、天照大神は侵略かと恐れ、弓矢を手に身を固めて迎えます。須佐之男命は事の次第を報告にきたまでで邪心はないと釈明し、その誓約をたてます。ここに二人の神は、子供なる神々を生むことでその真偽を計ろうとさまざまの神を生み出していきます。その中で、天照大神の子供とされたものは、さまざまの「氏族の祖先」とされてきまして、朝廷配下の氏族の由来の話となっております。一方、「誓約」の方は須佐之男命の勝ちとされ、ここに須佐之男命は勝者の常のおごりによって大暴れし、はじめは我慢していた天照大神も、機織りの女が驚かされて機織りの棒を女陰にぶつけ死んでしまうに及んで、「天の岩屋戸」に隠れてしまいます。

 こうして、天も地も真っ暗となってしまいます。ここに悪しき神は騒ぎ立ち、困った神々は集まって対策を練り、かくして有名な天宇受売命(あめのうずめのみこと)の踊りとなり、大笑いして騒ぐ神々に隠れていた天照大神は何事かと声をかけてきたところに、あなた様に勝る尊い神がこられたので喜んでいますと答え、いぶかった天照大神が顔を出してきたところに「鏡」を差し出して外に誘い出し、出てきたところを天手力男神(あめのたぢからおのかみ)が引っぱり出してしまい、即座に後ろに しめなわ を張って再び中にはいることが出来ないようにしました。こうして、須佐之男命の方は天から追放ということになります。また、この話の中での須佐之男命の罪は「田畑のあぜを壊したり、溝を埋めたり、馬の皮をはいだり」で、これらは「天つ罪」と呼ばれ重罪とされました。大和朝廷が農耕部族であったことがこうしたことからも知られます。

天の岩戸隠れで世界が闇に包まれた本当の意味

 天照大神は、伊邪那岐命から高天原を治めることを命じられた。弟の須佐之男命は海を統治するように命じられたが、その任務を放棄し、母の伊邪那美命に会いたいと言って周囲を困らせる。 

 須佐之男命は、黄泉国に行く前に姉に挨拶をしようと高天原に向かったが、天照大神は反逆されるのではないかと勘違いし、武装して待ち構えていた。須佐之男命は事情を説明するが、一向に信じてもらえない。そこで、身の潔白を示すため、神に誓いを立て「子生み」対決をすることになった。そして、須佐之男命の持ち物から清らかな女神が生まれたため、身の潔白が証明されたのだった。

 しかし、姉に勝ったことで得意になった須佐之男命は、高天原の田んぼや神殿を穢すなど、暴挙をくり返す。激怒した天照大神は、ついに天岩戸を開いて中にお隠れになってしまいました。

 天照大神の岩戸隠れによって、高天原から光が消えたと『古事記』では伝えられています。「日食」の比喩ではないかという説もありますが、天照様が姿を隠してしまったことにより、「火が消えたように人々の気持ちが暗く沈んだ」ということでしょう。天照様はそれだけ徳高く、神々しいご存在として、多くの人々に敬われていたわけです。

 太陽神である天照大神が隠れてしまったことで、光を失った高天原は一大事。天照大神に戻っていただくため、知恵の神である思金神(おもいかねのかみ)を中心に神々が知恵を絞って作戦を考え、岩戸の前に鏡と勾玉を飾り付けた榊を立て、天宇受売命(あめのうずめのみこと)を踊らせた。女神の魅力的なダンスに高天原の神々は歓声をあげて大喜び。外の騒がしさを不思議に思った天照大神は、少しだけ戸を開け、何事かと聞くと、天照大神よりも立派な女神が現れ、みんなが喜んでいると答えた。天照大神が様子を見ようとしたところを横に控えていた天手力男神(あめのたぢからおのかみ)が戸を引き、天照大神を引き出すことに成功。無事に高天原に光が戻りました。

須佐之男命が高天原を追放された真相

 須佐之男命は荒々しい方だったらしく、戦神・軍神的役割を持たれた神でした。また、神話になっている高天原から追放された話は、地上で生きていたときのことです。数々の騒動を起こし、高天原を追放された須佐之男命は、出雲の地に降り立ち、多くの子孫をもうけて国を治めた。

 天照大神が女王として国(九州王朝・高千穂国)を治め、須佐之男命は、九州地方から中国地方を戦によって平定。さらに朝鮮半島にまで遠征し、最後はそこで没したのです。

 

八岐大蛇

 この後の物語は、須佐之男命の遍歴となり、「食物の神」大宜都比売神(おおげつひめ)を殺してしまう話からはじまり、そして、「八岐大蛇」の話となります。八つの首を持った巨大な大蛇を酒で酔っぱらわせ退治した話です。この時大蛇からでてきたのが「草薙の剣」で、これは「三種の神器」の一つとなっています。この話も有名であるところから、神話学的にさまざま解釈されていますが、この話の機縁となっているのが櫛名田比売(くしなだひめ)といい、これは『日本書紀』では奇稲田姫であることから、話全体は「田圃(たんぼ)」にかかわり、八俣の大蛇とは「氾濫する河川」で、「治水」の話であるとか、大蛇は「山賊」を意味するとか言われています。なお、この話の舞台は「出雲」の「鳥髪」というところとされています。

 

大国主命の物語 因幡の白兎  

 この後、話は須佐之男命の子供たちの列挙となり、そして、大国主につなげられてきます。こうして、話は「天つ国」の話から出雲系の英雄大国主命の話へと転換しまして、やがて「国譲り」となり、「天孫降臨」となっていきます。

 大国主の神の話は、全体的展開は大国主がこの国の主となる所以を述べるものですが、その説話そのものには多くの他の英雄たちの物語が「大国主のもの」として取り込まれてしまっているようで、かなり複雑になっています。その始まりの話というのが、一般にもよく知られている「因幡の白兎」の話からでした。すなわち、大国主のたくさんの兄弟、それは八十神(やそがみ)と表記されます。その彼らが、皆「稲羽(後の因幡)の八上ひめ」と結婚しようと稲羽に行った時に、大穴牟遅(おおあなむじ)の神に旅の荷物を入れた袋を背負わせていきます。その彼らが 気多 に来たとき、一匹の兎が裸にされて横たわっているのを発見します。その兎に、彼らは「海の水を浴びて、風にあたり高い山の尾根に寝ているがいい」と親切めかして助言します。しかし、そんなことをしたらたまったものではないわけで、哀れ兎の皮膚はひび割れ、塩がしみてひどく痛みます。そして、泣いているところに大穴牟遅が、やっと大きな荷物にヒーヒーいいながら通りかかってきました。そして、泣いているわけを聞くわけですが、兎が答えて言うには、「自分は隠岐の島にいたのだけれどここにわたりたいと思い、鰐(ふか)を騙して、仲間のかず比べをしようと言って横並びにさせてその上をわたってきたのだけれど、渡り終わる時、騙したのだと言ってしまい、最後の鰐に捕まって丸裸にされてしまったのです。そして、横たわっていると、八十神がやってきて助言してくれたので、そうしたところ、「ひどいことになってしまったのです」というわけです。そこで、大穴牟遅は、兎に「河口の方に行き、真水で体を洗い、がまの穂を敷いて横たわっていれば直きよくなるよ」と教えました。兎がそうしたところ、もとのように直りました。これが「稲羽の白兎」なのです。今は「兎神」となっている。この時、その兎は「八十神は決して八上ひめを得ることは出来ません。荷物なんか背負わされているけれど必ずあなたが得ることになるでしょう」と言ったのです。

 

赤い猪  

 果たして、八十神が八上ひめのところにきましたところ、「自分はあなた方とは結婚しません。大穴牟遅と結婚するつもりです」とこたえました。こうして、八十神はひどく憤り、大穴牟遅を殺そうと思います。そして、山につれていき、「ここに赤い猪がいるが、これを追い出すからきっとそれを退治するのだぞ」と言いつけて下に待たせておき、上から真っ赤に焼いた石を転がし落とします。大穴牟遅はその石に焼かれて死んでしまいました。それを大穴牟遅の母は悲しみ、天に行き、神産巣日神にお願いしたところ、「赤貝」を意味する女神と「はまぐり」を意味する女神とを派遣してくださり、二人の女神が貝の粉と汁とで薬を調合して、体に塗ってくれて生き返ることができました。これは古代の治療法を語ったものでしょう。

 

根の堅州国での大国主命

 これをみて、八十神は、再び大穴牟遅を騙して山につれていき、木の俣に挟んでしまいます。しかし、母親が見つけてくれて助かりますが、母親はこんなところにいたらまたいつか殺されてしまうだろうということで、彼を遠くにやることにします。八十神はしつこく追いかけてきますので、大屋毘古(おおやびこ)の神が「根の国」にいる須佐之男命のもとに行くがよいと助言しまして、こうして大穴牟遅は須佐之男命のところにいきます。よく知られた求婚説話と呼ばれる「求婚に当たっての試練」の物語となります。すなわち、彼が「根の国」に行きましたところ、須佐之男命の娘である須勢理毘売命(すせりひめ)と会い、二人は関係をもって須佐之男命のところに行きますが、須佐之男命は彼を試そうというのでしょうか、その夜、蛇のたくさんいる小屋に彼を寝かせます。須勢理毘売命は、彼にへびの皮の「ひれ」、つまりスカーフのようなものを渡して、蛇が食いついてきたらそれを三回振るようにといいました。そうしますと、蛇はおとなしくなり安眠できました。次の日は「むかで」と「蜂」の小屋でしたが、同じように須勢理毘売命の助けで切り抜けました。次の日、須佐之男命は原っぱに鏑矢を遠く飛ばし、それを大穴牟遅に取りに行かせて、原っぱに火を付けてしまいます。彼の周りが火の海になったところ、ねずみ が現れて「内はほらほら外はぶすぶす」と言いましたので、そこを強く踏んだところ、穴があき、そこに身を伏せている間に火は通りすぎていきました。矢の方はねずみが持ってきてくれました。須勢理毘売命は葬式の準備をし、須佐之男命も彼が死んだものと出てきましたので、大穴牟遅は矢をもって出ていきました。こうして次の日、今度は頭のシラミをとれと命じられましたが、そのシラミとは大ムカデでした。須勢理毘売命は椋の実と赤土を渡し、その実を砕いては赤土を口から吐き出させて、シラミをとっている振りをさせたところ、須佐之男命は心地よく眠ってしまいました。そこで、大穴牟遅は、須佐之男命の髪の毛を天井のたる木にくくりつけ、小屋の前には大石をおいて塞ぎ、須佐之男命の宝であった太刀と弓矢、また、琴を盗みだし、須勢理毘売命をおぶって逃げだします。ところが、琴が木にふれ大きな音がして、須佐之男命は目を覚まし起きあがり、追いかけようとして小屋を引き倒してしまいますが、髪の毛をほどかなければなりません。その間にどんどん逃げていくことに成功します。とうとう黄泉比良坂(よもつひらさか)まできたところで遠く須佐之男命が声を飛ばして、その太刀と弓矢で敵対する神々を追い払い、大国主命となって国を支配し、須佐之男命を正妻として宇迦(うか)の山に宮殿を造れ、と言ってきました。須佐之男命は大穴牟遅を認めたというわけでした。かくして、「国つ神」の地・「出雲」は大国主のものとなったのでした。

 

少名毘古那神(すくなひこなの神)

 その後、話は「八千矛の神(大国主の別名)の歌物語」という歌が挿入され、さらに、出雲系の氏族の家系の列挙となり、少名毘古那神の話となります。これは、「蔓芋の種」の擬人化と見られる点と、「渡来の神」として「現れ、また去っていく」という「渡来神」の姿が描かれていることで重要です。つまり、彼は小さな「蔓芋」のさやの船に乗って現れましたが、正体がしられず、そこで、久延毘古(くえびこ)という「天下のことを知る山田の案山子」にたずねたところ、神産巣日神の子で、名前は少名毘古那神でした。そこで、神産巣日神にただしたところ、その通りであり、大国主と二人してこの国を造りなさい、という答えがあったという。そして、この神は海のかなたへと渡っていきました。この「海の彼方からくる神」は「助っ人として来て、やがて帰っていく」という観念は、日本人に独特の外国観を反映しています。こうして、「海からやってきた」「みもろの山の神」、つまり、大和の三輪山の話と続き、さらに、「大年の神、つまり、稲の実りの神の系譜」が挙げられて、再び話は「天つ国」に戻り、大国主命との関係が語られてくることになります。

 

天つ国からの使者  

 天つ国と大国主命との確執の始まりは、天つ国の天照大神が「あの地はいい国だから私の子が治める地にしよう」などと言い出したことにあります。「あの地」というのは「芦原の中つ国」であり、大国主の国のことです。隣の国がこちらを見て「あの国は良さそうだから自分の支配地にしよう」と言ったわけで、完全な侵略の意図を明らかにしたというわけです。事実的、歴史的には実際そうであり、大和朝廷が各地を侵略していった歴史をうかがわせます。実際、これ以降の物語は、天つ国、つまり、朝廷の出自の国が各地を侵略していく話となっていきます。先ず、天照大神は天忍穗耳尊(あめのおしほみみ)を遣わし、様子を探らせます。その報告によると「あの国はひどく騒がしく、荒ぶる神々で一杯だ」ということでした。これは、強敵になりそうだということでしょう。そこで、天照大神は他の神々と相談し、先遣隊を送り込みます。これは、恭順を迫りにいったということでしようが、失敗で、逆に説得されてしまったようで、三年経っても返事をよこさなかった。そこで、再び天稚彦(あめわかひこ)を送りますが、彼も大国主の娘と結婚してしまい、八年経っても返事をよこさない。そこで、その様子を探らせようと、天探女(あまのさぐめ 雉の鳴き女)というのを差し向けます。そこで、その「雉」は天稚彦のところに来まして天の神の言葉を伝えますが、「天の事どもを探る女」という意味の者が、「この雉は天のスパイであることを見抜いたのでしょう、その鳴き声がよくないから殺すのがよい」と進言し、そこで、天稚彦は天より携えた弓矢でこの雉を射殺してしまいます。ところが、この矢が勢い余って、天まで飛んで天照大神と高御産巣日神のところまで飛んでいってしまい、それが天稚彦のものであり、しかも血がついていることが判明してしまいます。こうして、高御産巣日神は、もし天稚彦が命令通り征服戦争を遂行しているならよし、そうでなく反逆の心で(雉を射殺したのなら)天稚彦に当たれといって投げ返すと、それは寝ていた天稚彦に当たり死んでしまいました。裏切り者ということで刺客が放たれ、暗殺されたということでしょう。

 

国譲り  

 天稚彦も失敗に終わりましたので、天照大神は「次はどの神を送ろうか」と言いますと、その場にあった神々が「剣」をイメージする伊都之尾羽張(いつのおはばり)かその子供の建御雷神(たけみかずち)、つまり<雷の神になりますが、そのどちらかが良いだろう、と言ってきます。たしかに、強力な軍をイメージさせます。そして、建御雷神が行くこととなり、彼は出雲につくと剣を抜き放ち、それを浜に刺し立て、その前にどっかと座って、大国主命に「天照大神がのたもうには、お前が治める芦原の中つ国は自分の子供が治める国とする、ということであるがお前の心はどうか」と言ってきます。完全に脅迫です。大和朝廷が出雲を侵略したという事実的歴史においては、大国主命にあたる出雲の当主は頑強に抵抗したでしょうが、この物語では大国主は優柔不断にされています。自分では判断つかない、自分の子供が返事するだろう、などと言ってきます。そこで、一人目の子供の事代主を呼びつけ返事をさせると、「この国は天照大神に献上するべきだろう」と言って、隠れてしまいます。どうも建御雷神の軍を見て恐れたようです。しかし、もう一人の子供 建御名方(たけみなかた)は、大きな石を片手に持ち上げ、戦いを挑んでいきます。しかし、その結果、建御雷神は負けて投げつけられ逃げ出したとなり、現在の諏訪湖まで逃げたが、そこで追いつかれ恭順を誓ったとなっていきます。こうして、再び大国主命のところに戻って、その心が問われるわけで、ここで大国主は自分の社が「天照大神の社なみに確定されているなら」、という条件で恭順してくることになりました。これは、無条件降伏とはかなり異なる在り方で、支配実権は譲るが名は譲らないといったところで、一族も名誉も確保されているということになります。  

 出雲大社は大和朝廷の社である伊勢神宮に次ぐ大社となり、また、頑張って戦った建御雷神の諏訪大社も由緒と格式のある代表的神社となっているのでしょう。

 

天孫降臨

 高天原では、天照大神が「地上はわが子、天忍穂耳命(あめのおしほみみのみこと)が治める国である」と、地上の平定計画を立てていた。しかし、天浮橋まで行った天忍穂耳命は、「ひどく騒がしくて降りられない」と言って戻ってきてしまう。

 そこで、天穂日命(あめのほひのみこと)を遣わせるが、一向に返事がない。続いて、天若日子(あめのわかひこ)を降ろすが、大国主の娘と結婚していたため、連絡をよこさなかった。そこで、様子を探るためキジを遣わすが、天若日子に矢で殺されてしまう。そして、天若日子は高天原から高御産業日神が投げ返した矢によって命を落としてしまう。

 3度目の使者として、建御雷之男神(たけみかづちのおのかみ)が副遣の天鳥船(あめのとりふね)とともに送られた。建御雷之男神は、大国主命に対し、地上世界を天の神々に譲るように交渉。しかし、大国主命の有力なふたりの跡継ぎのうちのひとり建御名方神(たけみなかたのかみ)が国譲りを拒否したため、力くらべをすることになった。その結果、建御雷之男神が勝ち、大国主命も出雲に大社を建てることを条件に国譲りを承諾する。

 建御雷之男神の報告を受け、高天原では、どの神がおもむくか協議がなされ、天忍穂耳命の子である邇邇芸命(ににぎのみこと)が任命された。ところが、いざ地上に降りようとすると、天上界と地上界を結ぶ道筋に見知らぬ光輝く神が仁王立ちしている。天宇受売命が事情を尋ねると、それは天の神々の先導役を志願し、待っていた猿田毘古神(さるたひこのかみ)であった。

 ようやく体制を整えた邇邇芸命は、八尺の勾玉草なぎの剣「三種の神器」を与えられ、天照大神から「この鏡を私の霊魂そのものとして、私に仕えるように心身を清めて祀りなさい」と託された。

こうして、邇邇芸命は、天児屋命(あめのこやねのみこと)など五神の従者とともに高天原を後にし、高千穂の嶺に降り立った。邇邇芸命は天照大神の孫にあたることから、「天孫降臨」と呼ばれるようになりました。

 邇邇芸命は、その土地を賛美し、地底深くに太い宮柱を打ち立てて氷木を高々とそびえさせ、壮大な宮殿を造った。

 そして、邇邇芸命の子孫の「神日本磐余彦尊(かむやまといわれひこのみこと)」が、九州から東征し、奈良の樫原の地で即位。初代天皇である神武天皇となり、現代まで続く皇室の始祖となったのです。

参考

神武天皇や建国の歴史を知らない人へ

なぜ天の子でなく、孫なのか?

 このとき、邇邇芸命が降臨した地は日向(宮崎県)の高千穂とされます。大国主命が国を譲った場所が出雲であるにもかかわらず、邇邇芸命はなぜ日向に降りたのでしょうか。さらに、最初は天忍穂耳命が天降る予定であったのが、直前になって子の邇邇芸命(天照大神の孫)に代わったのはなぜか。そこも見逃せない謎ですが、この点については、7世紀後半に即位した持統天皇とのかかわりが指摘されています。  持統天皇は、夫の天武天皇が崩御したのち、皇后の立場で政治を執ったものの、皇子の草壁皇子(くさかべのみこ)が亡くなったため、自らが天皇に即位しました。その後、草壁皇子の子、すなわち持統天皇の孫にあたる文武天皇に譲位したのです。ここには、祖母から孫への継承という関係が読み取られ、「天照大神 → 邇邇芸命」の天孫降臨神話と同じパターンを見ることができます。

 持統天皇にとって、我が子の草壁皇子が亡くなったあと、自分と天武天皇の血統を受けつぐ文武天皇を即位させることは最大の願いでした。持統から文武への皇位継承を正統化し、保証するための大きな拠り所として形成されたのが、邇邇芸命を天孫降臨の司令神とし、孫の邇邇芸命がその命を受けて天降るという「天孫降臨神話」に他なりません。天孫降臨神話の歴史的背景をこのように読み取るならば、この神話の成立も持統天皇の時代と考えることができます。天孫降臨神話が形づくられたのは7世紀後半の段階ということになります。

参考

木花之佐久夜毘売

 邇邇芸命が美しい女性・木花之佐久夜毘売(このはなのさくやびめ)に会い、結婚したいと思い、その父・大山津見神(おおやまつみのかみ)に申し込んだところ、彼は承知しましたが、その姉の石長比売(いわながひめ)までくっつけてきました。ところが、この石長比売は非常に醜かったので、邇邇芸命は彼女を送り返してしまいます。ところが、大山津見神が言うには、自分が二人一緒に送ったのはわけがあったので、この石長比売は「永久に石のように存続する」という性格を持っていて、一方、木花之佐久夜毘売は「花のように栄える」けれど花のように「はかない」という性格を持ち、両方を妻にしていれば「栄えて永久」ということになったのに、石長比売を送り返した以上は、「寿命が短い」ということになってしまうのでした。ここに、天皇の短命なことの理由が述べられているわけですが、実際この時代、天皇家は短命であったことがこうした話しを作らせているのでしょう。一方、木花之佐久夜毘売はすぐ妊娠してしまいまして、そのため、邇邇芸命は、別に男がいたのではないかと疑ってしまいます。そこで、彼女は「天の神の子供なら無事に生まれるでしょう」と言って産屋に入り、それに火をつけてしまいます。そして、彼女は、火照命(ほでりのみこと)、火須勢理命(ほすせりのみこと)、火遠理命(ほおりのみこと)という三人の子供を生みます。

 

海彦と山彦

 ここから、話はこの子供のうち火照命と火遠理命の話になっていきます。火照命は「海幸彦」と呼ばれ、火遠理命は「山幸彦」と呼ばれることになりました。この「山幸彦」たる火遠理命は、兄である火照命に向かって、互いの道具を取り替えてみないかと持ちかけます。火照命は三度も断りますが、あまりにしつこいのでとうとう承知します。こうして「山幸彦」が海にいくわけですが、うまくいかず、大事な釣り針までなくしてしまいます。そこに火照命が、やはり獲物は自分の道具でしかとれないと言って道具を元に戻そうとしてくるわけですが、火遠理命は釣り針を返せません。困って自分の刀で釣り針をつくって返そうとし、五百、千とつくるのですが、火照命はやはり元のものでなければといってきます。困った火遠理命が海辺で泣いておりますと、塩椎神(しおつちのかみ)が出てきて、事情を聴き助けてあげようということになります。「浦島太郎」の原型のような話になって、竜宮城のような海神の宮に行き、歓待され、豊玉姫と結婚して3年経ちます。しかし、かつての事情を思いだし、ため息をついていると、海神が事情を聴いて、魚を集めて はり を探しだしてそれを持たせ、火照命をやっつける方法を授けておくりだします。かくして、火遠理命は火照命をやっつけて支配者となり、火照命は従者となったが、その一族が「隼人」となったといってきます。このあたり、朝廷がどんな部族であったのかをよく物語っており、「海の民」に対する「山の民」の優位が語られています。つまり、「山幸彦」が海へと入り、そこで歓待され、そこから「海幸彦」を支配下においたという物語になっているわけです。

 

豊玉姫

 ここから話は豊玉姫の妊娠となり、彼女はもとの姿で子供をうまなくてはならないが「決してのぞき見しないように」と言い置いて、産屋に入っていきます。しかし、そう言われるとのぞきたくなるのが凡夫の常で、火遠理命はのぞいてしまいますが、そこに見たのは「鰐がのたうちまわっている姿」であったのです。こうして、豊玉姫は恥をかかされたことで海へともどっていってしまいます。こうした禁止されればされるほど、それを侵犯したくなるという「タブーの侵犯」の説話は、日本ばかりでなく世界中にある説話のパターンです。一方、子供は無事生まれていまして、その子は鵜葺草葺不合命(うがやふきあえずのみこと)といいました。一方、豊玉姫はその妹の玉依姫をおくり、その子の養育にあたらせました。こうして成長した鵜葺草葺不合命はそのまま乳母であった玉依姫と結婚してしまいい、4人の子供をもちます。その中に神日本磐余彦尊(かむやまといわれひこのみこと)がおりました。この尊が「神武天皇」となるわけです。

 『古事記』はここから「中の巻き」となっていきます。