愛は結びつけあう力

(『無限の愛とは何か』より)

 愛とは、結びつけあう力です。 ところが私たちは、生まれ落ちてよりこのかた、自分が身につけたところに思想や信条、イデオロギー、偏見によって、いつしか他の人と自分との間に大きな壁をつくっていくのです。 私は、真理の世界に目覚めてより、数多くの人に接し、数多くの人びとの悩みに接してまいりましたが、愛について語るとするならば、そこにあるのはただひとつの事実でした。人と人との間に壁があるかどうか、垣根があるかどうか、境目があるかどうかということであると感じました。愛が結びつけあう力であるのに対して、愛に反する力は、ことごとくこの逆をめざすものです。それが何であるかと言うならば、排斥しあう力であり、人と人との絆を断ち切ろうとする力です。また、相和している者同士を憎しみあわせる力でもありましょう。冷静な目で世の中をみると、この二つの力がせめぎあっているようにも見えるのです。 私たちは、いろいろな人びととの出会いのなかにおいて、いろいろな人びとと共にいきてゆく関係のなかにおいて、常にこの二つの力のなかに置かれているのです。結びつけあう力を選びとってゆくか、それとも退けあう力のほうに流されてゆくか。私たちは常に、この単純な二つの力のどちらかに加担している、と言っても過言ではないでしょう。  さて、私がみなさんにお伝えしたいことは、たとえばキリスト教などにおいて愛がすばらしいものだと説かれているから、その教えを守ってほしい、というようなことではないのです。みなさん自身に愛の問題を考えていただきたいと思うのです。 私は、教条的な、ひとつのドグマとでも言うべき価値観をおしつけることをもってよしとは思いません。人にはそれぞれ、その人なりのすばらしい性質があります。すばらしい心の傾向性があります。私は、各人の心のすばらしい傾向性を信じております。ゆえに、愛がすばらしいからというより、みなさん一人ひとりの心のなかにすばらしいものがあると思うから、その心の内なるすばらしきものに対して、私は訴えかけたいと思うのです。 すなわち、話は人間の本質にかかわることになるでしょう。 みなさんは、私たちが「真理」という名で呼んでいる思想に、多少なりとも触れたことがあるでしょう。日本においては、口にするだけでも恥ずかしく思われる方も、数多くいることでしょう。そうした、真理を、何ゆえに信じ、そして学び、かつ人に伝えることができるだろうか。それは、きわめて困難なことのように思えることでしょう。 私自身の歩みというものをふり返ってみても、こうした考えを理解していただくことが、いかに難しいことであるかがわかります。そして、その理解が多少なりとも得心のゆくものであったとしても、ご自分のその考えを他の人に伝えることが、いかほど難しいことであるかも知っています。けれども、私はみなさんに言い続けています 「事実は事実、真実は真実である」と。もし、私たちがいま説いているこの真理なるものが、まったく多くの人びとを惑わすだけのものであったならば、過去、真理の探究をしてきた私の数十年間は無駄になってしまいます。それまで、神とか霊とかいう言葉に対してアレルギーを持っていたかと言えば、そうとまえは言いません。「神というようなものもあるだろう。霊というようなものもあるだろう。この地上を去った世界もあるだろう」と思っておりました。しかし、そうしたことはすべて、私の頭のなかでは、ひとつの思想として、また「あり得べきこと」としてのみ整理されておりました。 しかし、その私が、この地上を去った世界から啓示を受けた時には、あの世があるということを50%信じるとか、60%信じるとか、80%信じるとか、90%信じるとかいうようなことではすまされなくなりました。それは、100%あるものだったのです。厳然としてあるものだったのです。否定を許されないものだったのです。たとえ、現在の国民の五割、六割、七割の人が、「そんなものはあり得ない」と一笑に付すとも、事実は事実、真実は真実。自らの良心を信ずる人として、自らの良心を信ずる以外に真実の道を歩むことはできないと考えている人間として、私は嘘を言うことはできません。事実は事実、真実は真実なのです。そして、そのような霊的な現象は、決して一過性のものではありませんでした。その日だけのものではありませんでした。今日まで二十数年間、霊的な啓示がない日は一日たりともありませんでした。今、みなさんに語っている私は、肉体を持って大川隆法という名で呼ばれていますが、みなさんに語りかけているのは、「私であって私でないもの」なのです。この地上を去ったはるかなる世界からの啓示を、すなわち、高級霊からの指導、インスピレーションを受けているのです。私は、この事実を百パーセント知っているのです。そうした事実の証明として、すでに五百数十冊(2010年現在)の書物を連綿として出し続けてまいりました。とても創作で書けるものではありません。これは目に見えない世界からの啓示を受けつづけなければ書けるものではないです。それを活字によって、文証として、みなさんにお伝えしつづけています。

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