愛の起源

 愛の起源とは、人間の生きていくエネルギーのなかにある、根源的なる力そのものである。

 生きている人間が得ている穀物や野菜類、肉類、魚類のエネルギーもまた、愛のエネルギーである。

 そして、霊的世界を貫いているエネルギーもまた同じエネルギーであって、それは、果てしない宇宙の彼方から降り注いで、人間に永遠の命を与えている力なのである。

 たとえば、なぜ、くだものや野菜、肉類、魚類がおいしいのかと考えてみたとき、たしかにそこには、他のものに尽くしたいという愛のエネルギーが感じられます。

 宇宙の彼方から降り注いで、この世だけでなく、あの世をも貫いている根源的エネルギー。それこそが仏の愛の力であると、大川隆法先生は教えられているわけです。

 その仏の愛の力によって、人間には永遠の生命が与えられているわけで、だからこそ、私たち人間には、理屈でなく「愛」の思いが沸き上がってくる。

 幸福の科学大川隆法総裁は、『愛の原点』で以下のように説かれました。

「なぜ、人間には、他の者を愛したいという気持ちがわいてくるのでしょうか。なぜ、男と女には、お互いに結びつき合おうという気持ちが起きてくるのでしょうか。なぜ、夫婦は「一生涯、別れずに一緒に住もう」と思うのでしょうか。なぜ、親子という関係があって、その関係を何十年も続けていくことができるのでしょうか。そうしたことを考えていくときに、私は、「愛には、やはり一つの起源がある」と思うのです。この愛の起源とは何かというと、結局のところ、人間の生きていくエネルギーのなかにある、根源的なる力そのものではないでしょうか。根源的なる力そのもの、これが愛ではないでしょうか。愛とは、やはり、お互いを高め合い、はぐくんでいく力なのです。生きている人間が肉体を養っていくために得ている穀物や野菜類、肉類、魚類、こうしたもののエネルギーもまた、愛のエネルギーではないでしょうか。この世にも、あの世にも、愛のエネルギーが満ち満ちているのではないでしょうか。魚たちは、なぜ人間の血や肉となるのでしょうか。動物たちは、なぜ人間の血や肉となるのでしょうか。野菜たちは、なぜでしょうか。彼らもまた愛のエネルギーそのものではないのでしょうか。なぜりんごはおいしいのですか。なぜトマトはおいしいのですか。なぜキャベツはあのようにおいしいのでしょうか。なぜ魚のおいしいのでしょうか。なぜ牛や豚が食用に適しているのでしょうか。彼らは、人間に食べられることを決して喜んではいないかもしれません。しかし、彼らの肉のあり方、あるいは果物や野菜のあり方を見ると、やはり、だれかの食用に供されることが予定されているように思えます。こうしてみると、人間が生きていく途中で得る、この世的なるエネルギーも、やはり他のものの愛のエネルギーそのものではないでしょうか。愛とは、自分のためではなく、他のものに尽くしたいという思いです。植物や動物も、結局はそうした思いを持っているのではないでしょうか。彼らもまた愛のエネルギーなのです。そして、そうした地上的なものたちだけでなく、霊的世界を貫いているエネルギーもまた、まったく同じエネルギーです。それは、果てしない彼方から、宇宙の彼方から降り注いで、人間に永遠の命を与えている力です。みなさんは仏法真理の書物を読んで、「人間は永遠の生命を生きている」ということを知っているであろうと思います。この永遠なる生命をはぐくんでいる力こそ、仏の愛の力ではないのでしょうか。」

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