愛の進化

 愛には、「愛する愛」、「生かす愛」、「許す愛」、そして「存在の愛」という発展段階がある。

 そして、成功の究極にある真の成功は、そのプロセスで愛が発展して、「存在の愛」となっていくことである。

 幸福の科学大川隆法総裁は、『成功の法』で以下のように説かれました。

「私は、著書『太陽の法』のなかで、「愛には発展段階がある」ということを書きました。そして、「愛の段階には、主として、『愛する愛』『生かす愛』『許す愛』『存在の愛』という四つの段階がある」ということを語りました。さらに、「この四つの愛の段階は、人間の成長のバロメーターである」ということも説いています。  

 まず、「愛する愛」というのは、その下にある「本能の愛」よりは、一段、優れた愛です。「本能の愛」が、どちらかといえば「奪う愛」であるのに対し、この「愛する愛」は、「与える愛」なのです。「与えていこう」と思うところに、まず、一段の心境の進化があると私は考えるのです。そして、その与える愛が高度化していくと、「生かす愛」になっていきます。「より多くの人々を生かし、組織を生かし、社会を生かす」という、指導者の愛に発展していくのです。さらに、その指導者の愛は、「許す愛」という、もう一段高い、宗教的見地まで高まっていきます。指導者の愛が、まだ、自分の指導の下にある者を愛する愛であるのに対し、この「許す愛」というのは、「一視同仁の愛」ということになりましょうか。分け隔てのない愛、「彼我一如。彼も我も同根である。仲間である」という気持ちを持って人に接することができる境地です。「この世には、善も悪もあるように見えるけれども、それを超えるものもある」という目でもって人々を見ることができる、そういう「許す愛」の境地があるのです。その上の段階として、「存在の愛」という段階があると私は語っています。それは何かというと、その時代の精神となるような人の愛のことを言っているのです。「その人が同時代に存在すること自体が愛である」ということです。「その人が、このようなことをしたから、愛なのだ。愛を与えたのだ」ということではなく、その人が同時代にいてくれるだけで愛となるような境地です。そういう、愛の権化、愛の象徴のようになっていく境地、愛の塊となっていく境地があるのです。しかし、この「存在の愛」は、小さな意味においては、いろいろな人の心のなかに宿りうる考え方でもあります。それぞれの人が、小さな社会において、小さな家庭において、存在の愛となることは可能なのです。「ほんとうに、いてくれるだけでありがたい。よくぞ、こんな人がいてくれたものだ」「この人と出会えてよかった」「この人と一緒に生活ができてよかった」「この人と一緒に仕事ができてよかった」というように、狭い意味であっても、「存在の愛」という段階はありうると言えましょう。私は、みなさんに、この「存在の愛」という姿にまでなっていただきたいと思います。  成功理論をさまざまに語ってきましたが、現代の成功哲学は、やはり、愛の進化というものを伴わなければなりません。現代成功哲学の究極にあるものは、「愛の発展段階」であり、存在の愛となっていくことなのです。ここまで行かなければ、真の成功とは言えないと私は思うのです。」