悩みの正体

 悩みの正体は、たいてい、判断がつかないことによる混乱である。そして、その原因は、たいていの場合、知識がないか、経験がないかのどちらかである。

 したがって、そうした悩みから脱出するには、その間題を解決するにあたって必要な知識を、可能なかぎり集めてみること。経験の足りない部分については、他の人からアドバイスを得ることも考えてみること。

 集めた知識を並べて整理し、選択肢を絞り込んでいけば、結論はだいたい出てくる。選択肢が一つにならない場合にも、優先順位をつけることで、かなり心が楽になってくる

 幸福の科学大川隆法総裁は、『幸福の革命』で以下のように説かれました。

「悩みの正体は何かといえば、たいていは、判断がつかないことによる混乱です。「どうしたらよいか、判断がつかない」ということによる混乱が、悩みのほとんどの原因なのです。 こうすべきだ」ということがはっきり見えたならば、悩みはなくなります。しかし、「どうしたらよいのか分からない」という混乱状態が続くために悩むのです。そうした混乱が起きる原因は、たいていの場合、知識がないか、経験がないかのどちらかです。つまり、知識や経験の不足です。知っていることや経験のあることについては迷わないものです。たとえば、「青いリトマス試験紙が酸性では赤になり、赤いリトマス試験紙がアルカリ性では青になる」ということを知らない人は、リトマス紙の色がなぜ変わるのか分からず、混乱してしまいます。「これは魔法だろうか。あるいは神様の力だろうか」と考えるかもしれません。しかし、それを知っている人には迷いがまったく起きないのです。要するに、「知識と経験のどちらかがないために混乱が起き、その結果、悩んでいるのだ」ということを知るべきなのです。それでは、そうした悩みから脱出するには、どうすればよいのでしょうか。ほとんどの問題は知識や経験の不足が原因で起きているのですから、まず、その間題を解決するにあたって必要な知識を、可能なかぎり集めてみることです。悩んでいる暇があるならば、関連する知識を集められるだけ集めてみるのです。こうして集めた知識を並べて整理していくうちに、結論がはっきり見えてくることがあります。それをせずに漠然と悩んでいても、問題が解決することはありません。まず、関係する知識を集めることです。関係する知識を集めて整理し、経験の足りない部分については、他の人からアドバイスを得て、選択肢を絞り込んでいけば、結論はだいたい出てくるのです。 して、「絞りをかけたけれども、選択肢が一つにならない」という場合には、優先順位をつけることです。ある程度、絞り込んだ段階で、選択肢に優先順位をつけ、「一番がだめなら二番。二番がだめなら三番」としていけば、かなり心が楽になります。」

 

細分化の原理

 総裁は、『奇跡の法』で以下のように説かれました。

「悩みというものは、たいていの場合、かなりの部分が感情的、感性的なものです。悩みのほとんどは、心のなかのもやもやであり、理性的なものではありません。感情的にさまざまなものがもつれていて、そのもつれた糸をどうやって解けばよいかが分からなくなっているのです。これが問題に行き詰まっている状況です。
 これを解くためには理性的な対応が必要です。理性的に考えてみることが大事なのです。理性的に考えるとは、冷静に考えるということです。
 それは、第三者の目で客観的に見るということでもあります。自分自身の主観を外して、コンサルタントや学校の教師のような目で問題を見てみることです。
 次に、その間題を、もう少し簡単に解けるように、細分化できないかどうかを考えてみます。一度にまとめて解決することはできなくても、問題そのものを量的に分解、分割することによって解決できないかということです。
 要するに、借金を分割して返済すれば楽になるように、人生の問題も、分割すれば楽に解決できるのではないかということです。一個の問題と思われるものも、よく見ると、たいていは幾つかの要素から成り立っています。いま抱えている問題を、量的に、あるいは時間的に細分化できないかどうかを考えてみるのです。
 時間的に細分化するとは、たとえば、「今日できるものは何か。今週中にできるものは何か。今月中にできるものは何か。あるいは来月中、今年中、来年中にできるものは何か」というように分割していくことです。
 問題を丸ごと全部、現在ただいまに解決しようとすると大変なので、量的、時間的に分割し、解決しやすい大きさにするわけです。
 どのような問題であれ、いかに分解して小さくしていくかが大切なのです。
 これは「雪下ろしのたとえ」で説明することができます。
 雪国では、屋根の上に雪が一メートル以上も積もります。あまり積もると重みで家がつぶれてしまうので、定期的に雪下ろしをしなければなりません。
 積もった雪の重さは、ときには何トンにもなると言われており、そのような重さの雪は、普通はショベルカーなどがなければとても処理できません。しかし、少しずつであればスコップでも下ろしていくことができますし、その方法なら子供にも可能です。
 これが「細分化の原理」であり、人生の問題にも応用可能です。運命と戦うに際しても、まず問題を細分化してみることです。自分が処理できる大きさになるまで分解していき、各要素を一つひとつ片づけていくのです。
 〝スコップ一すくい分の雪〟を下ろせば、その分だけ問題は減ります。まとめて全部を屋根から下ろすことはできなくても、少しずつならば下ろせるのです。自分にとってのスコップ一杯分の雪はどれだけなのかを考えて、下ろしやすい部分から順番に下ろしていくことです。あとは、毎日のやり方を考えていけばよいのです。」

 互いに矛盾する悩みが出てきて、あれもこれも大事で解決できないとき。何をとるかではなく、何を捨てるかを、まず考えてみること。いらないものから捨てていく。何だったら捨てられるかを考えてみる。

 そうすれば、悩みが減っていって、解決は目の前に見えてくる

 大川隆法総裁は、『奇跡の法』で以下のように説かれました。

「悩みを解決する方法として、「細分化の原理」や「優先順位をつける」という話をしましたが、もっと単純にいえば、最後は結局、「何を捨てるか」という間題になります。
 人間は、「何を手に入れるか」という積極的な方向で頑張る傾向がありますが、仏教的にアプローチするならば、「何を捨てるか」ということになります。これは執着の問題です。捨てることによって、実は幸福になれるのです。
 苦しみが生まれるのは欲があるからです。いろいろなものを手に入れたいという欲があり、それが相反しているのです。大きな問題にぶつかって苦しんでいるときは、たいてい執着が大きくなっていて、「あれも欲しい。これも欲しい」と思い、それが互いに矛盾していることが多いのです。
 人生の持ち時間は限られているため、あれもこれもやろうとしすぎると、みな矛盾することになっているのです。
 捨てることは、できるものなのです。
 たとえば、台風で洪水が起こり、舟に家財道具を積み込んで逃げ出したところ、積み荷が重すぎて舟が沈みそうになったという場合には、やはり荷物を捨てざるをえないでしょう。そうしないと命を失うという場合には、命あっての物種なので、荷物を順番に捨てていくしかありません。
 その際に、「では、何から捨てるか」ということになりますが、「お金があれば、また買える」と思ったものは、どんどん捨てていきます。そして、「命があれば、お金だって、また稼げるだろう」と言って、お金さえも捨てていきます。
 「どれを取るか。どれを持っていくか」という選択をすることが、どうしても苦しくて難しい場合には、逆に、「何を捨てるか。何を捨てれば、いちばん楽になるか」ということを考えて、大胆に捨てることです。捨てれば、その分だけ執着が減って楽になり、苦しみが軽くなるのです。
 人は、地位や名誉、財産、健康、あるいは職業上のいろいろな便益など、実にさまざまなものを欲しがります。しかし、危機になれば、やはり捨てていかなければいけないのです。
 何を捨てるかは、わりあい簡単に自分で判断できます。「あなたは何を捨てていきますか」と言われれば、服を一枚一枚脱ぎ捨てていくような感じで、捨てるものを判断することができるのです。
 「何を捨てるか。何を捨てられるか」ということを考えれば、悩みは減っていくはずです。」
(50~55ページ)

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