「怒る」と「叱る」

 もちろん、それでも「言わなければいけないことがある」と思うことはあるでしょう。自分に正当性があると思っているからこそ、怒りは湧いてくるわけです。しかし、その場合、以下の観点に注意してみてはいかがでしょうか。

「自己保存の怒りがこみ上げてくるようなことがあったら、いったん踏みとどまっていただきたい。しかし、みなさんは疑問をお持ちでしょう。『世の中は理不尽なことで満ち満ちている。間違ったことが横行しつづけている。また、人から誤解を受ける場合もあるではないか。そのように誤解されたままでは、甚大な被害が出る』と思うこともあるでしょう。

確かに、それも一理あることだと私は思います。怒りにも私憤と公憤とがあり、私がここで避けるべきだと言っているのは私憤のほうだからです。『怒る』のではなく『叱る』のだと区別することです」(『人生の王道を語る』)

 怒っている自分は「相手のため、全体のために叱っている」と思っているでしょう。しかし、「怒る」と「叱る」を分けるものは、一つには「冷静さ」だと言われています。

 なので、本当に「これは指摘すべき」と思ったなら、いったん冷静になってからの方が良さそうです。

 よくよく考えれば、心がいらだっている時には、決して「自分は幸せだ」とは言えません。他ならぬ自分自身が不幸な状態にあるのです。悔しい話です。ここは、「相手に、自分を不幸にする権利などない」と思い、感情をコントロールする術を身につけたいものです。

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