死後の世界を恐れること

 死後の世界は、あるかないかのどちらかである。

 ほんとうの世界を知り、「どのような生き方をすれば、どのような世界へ行くのか」ということを知っていれば、死後の世界を恐れる必要はまったくありません。死後を恐れる必要があるのは、罪深い生き方をし、反省や悔悟の意味を知らなかった人だけです。

 幸福の科学大川隆法総裁は、『「幸福になれない」症候群』で以下のように説かれました。

「死後の世界を恐れる場合には、主として二種類あると思います。第一は、「自分が死後にどうなるのか分からない」という恐怖です。第二は、あの世があることは知っていても、「地獄に堕ちるのではないか」「自分がどのような世界へ行くのか分からない」という恐怖です。第二のタイプについては、死後の世界の見取り図をしっかりと知っておくこと、知識的に詰めておくことが大事だと思います。一方、第一の「自分が死後にどうなるのか分からない」というタイプの人、あるいは、「死ねば何もかもおしまいになる」と考えている人に対しては、「あの世があると考えた場合と、あの世はないと考えた場合と、どちらがあなたにとって幸福ですか」と私は言いたいのです。仮に、あなたがいま四十歳で、平均寿命まで、あと三十五年あるとしましょう。「これから三十五年間いろいろなことをして、七十五歳で死ぬと、火葬場で焼かれて、ひとにぎりの骨と二酸化炭素だけになり、自分が生きた証拠は何もなくなってしまう」という思想が、それほど幸福な考え方でしょうか。そうではなく、「特定の名前を持って生きた人間の魂が、そのエネルギーが、死後も永遠に生きつづける」と考えるほうが幸福ではないでしょうか。もし人間は死ねば何もかも終わりになるのならば、この世の道徳も哲学も宗教も、すべて不毛なものとなってしまうでしょう。あなたは何のために、己の人格を磨いたのでしょうか。何のために勉強し、汗を流して働き、努力して良好な人間関係をつくったのでしょうか。何のために、一生懸命に生きてきたのでしょうか。  死によって何もかもなくなってしまうのならば、人生はまったく虚しいものにすぎないではありませんか。人格を磨くことなど意味がなく、努力して一生懸命に勉強し、人格の向上を目指す必要などありません。どちらの考え方が、ほんとうの幸福につながるでしょうか。「この世で努力して身につけたものは、死後の世界に持っていくことができる。死後の世界において、自分の人格が生きつづける」と思えばこそ、努力することに意味があり、その努力が素晴らしく思えるのではないでしょうか。  「死ねば何もかもなくなってしまう」と考えるか、「死後も人格は残る。一生懸命に努力していれば、死後も素晴らしい活躍が続けられる」と考えるか。あなたはどちらに賭けますか。どちらに賭けたほうが、あなたは幸福になれると思いますか。  死後の世界があることについて、私ははっきりとした証拠を持っています。死後の世界があることに賭けたほうが、あなたにとって幸福な人生となることは間違いありません。自分にとって、どちらの考え方に幸福があるかをよく考え、受け入れるべきものは受け入れ、冷静に知識的な学びを行なっていくことが大事だと思います。」

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