「大天狗」になった天皇の身に何が起きたのか?

「天狗の心」とはどのようなものでしょうか

参考

日本三大怨霊の一人、崇徳天皇

 日本史で最も有名な「大天狗」といえば、崇徳天皇があげられます。崇徳天皇は、平将門、菅原道真とともに「日本三大怨霊」として知られ、歌人としても有名です。

 特に、政治的な為政者が、私怨を持って祟り神になった霊のことを「御霊(ごりょう)」と呼びます。

 崇徳天皇の生い立ちを要約すると以下のようなものになります。崇徳天皇は幼少時に即位しますが、若くして鳥羽天皇への譲位を強要されます。近衛天皇時代の後に実権を握るチャンスが来るも、鳥羽上皇によって再び阻止され、後白河天皇が即位。後白河天皇と崇徳天皇は対立するようになり、1156年、保元の乱が起きます。それに崇徳天皇側は敗れ、自らの運命を呪って亡くなったと言われます。

 崇徳天皇は亡くなる前に、「日本国の大魔縁となり、皇を取って民となし、民を皇となさん」「この経を魔道に回向(えこう)す」などと述べ、自らの舌を食いちぎり、その血で大乗経に呪詛の誓文を書き、海底に沈めました。

 やがて、天皇家の勢いが衰え、武士の時代が到来。崇徳天皇の怨霊は長らく恐れられ、孝明・明治両天皇は、京都の白峯神社に神として祀ったという経緯があります。

 

崇徳天皇の天狗化

 崇徳天皇が天狗、怨霊化したという話は、『保元物語』や『太平記』などに記されています。『保元物語』では、以下のようにあります。

 「君(崇徳天皇)は怨念によって、生きながら天狗の姿になられたが、そのせいか、中2年あいて、平治元年(1159年)12月9日、藤原信頼卿にかたらわれた源義朝が、大内裏に立て籠もり、三条殿を焼き払い、後白河院や二条天皇を押し込め、信西入道の一派を滅ぼし、掘り埋めた信西入道の亡骸を掘り起こし、首を大路にさらした。絶えて久しかった死罪を執行し、左大臣殿の亡骸を辱めたりするなど、あまりなことを処断された」

 平治の乱は、崇徳天皇の怨霊が原因であるとあります。

 また、「怨霊化した崇徳天皇に対して折伏を試みた」という小説があります。それは、江戸時代後期の短編小説集『雨月物語』(上田秋成著)の「白峰」です。同書では、崇徳天皇の霊を通して、「善悪とは何か」「正道とは何か」などを考えさせる内容となっています。例えば、崇徳天皇はこう述べています。

「お前は何も知らないが、この頃の世の中の乱れは、全部自分の仕業である。私は生きていた日から魔道に心を傾けて、平治の乱を起こさせ、死んでもなお朝廷にたたりをしようとするのである。見よ、見よ、やがて天下の大乱を起こさせてやるぞ」

「汝よ、よく聞け。帝位とは最高の位である。もしも人の道を天子から乱すような時は、すぐさま天の命令におこたえし、民の気持ちに従ってこれを成敗するのである。そもそも永治元年(1141年)の昔、罪を犯したわけではないのに、父・鳥羽院のお言葉をつつしんでお受けして、その時、わずか3歳の躰仁(なりひと、近衛天皇のこと)に帝位を譲った私の心が、欲望が深いなどと言うことはできないはずだ」と自らの立場を正当化しています。

 『雨月物語』は、儒教や仏教的観点から悪を見つめる名著として、近世日本文学の代表作とされています。同書を読めば、私怨を抑えることが難しいことが分かります。

 崇徳天皇も菅原道真なども、聡明な人物ではありましたが、大天狗や怨霊になっていることを考えれば、「頭がいいことは完全な善ではない」といえます。

 

天狗や怨霊が隠然たる力を持っていた

 日本史をみると、そうした天狗や怨霊信仰が、隠然たる力を持っていました。例えば、幸福の科学の霊言で、陰陽師として活躍した賀茂光栄の霊はこう述べています。

 「当時、私たちは政局も左右しておりましたが、私たちが庇護を受けている者以外の政治家もいましたし、政敵もたくさんおりました。また、怨霊の存在もありました。そこで、当時は、式神と称していましたが、まあ、指導霊団を通じて、あるいは、生きている人間であれば、その守護霊なども駆使して、情報を取っていたわけです。

 いちばん大きな怨霊は菅原道真の怨霊で、大宰府に左遷されて死んだあと、時の政府に、ずいぶん祟っておりました。これを調伏することが朝廷の願いであって、安倍晴明は、それを主として調伏して名を上げた方の一人ではあります」(『日本を救う陰陽師パワー』)

 陰陽師が怨霊を鎮め、朝廷政治を支えていたことが分かります。

 

天狗の心は「謙虚さ」で乗り越える

 しかし、天狗だからといって、地獄的な存在ではありません。

大川隆法総裁は、「天狗や仙人の世界も天国であることはまちがいないので、そういうものに熱心であれば、その世界が好きなのでしょうから、『行くな』とは言いません。ただ、本人が意図した菩薩や如来の世界には残念ながら入れません」(『悟りに至る道』)と述べています。

さらに、「私が経営の話をしても、経営者たちが、すごく嫌がることが多いのです。『いつも怒られる』『また言われた』『「社長族は天狗ばかりだ。自慢しかしない。反省ができない」と、何度も何度も言われる』。耳が痛いと、当会の大黒天たちからもよく言われます。ただ、経営者たちはだいたい”うぬぼれ屋”で、何回でも言っておかないと”すぐ忘れる種族”でもあるのです。だから、これは必要なのです」(『財務的思考とは何か』)とも指摘しています。

 天狗の心を修正するには、「謙虚さ」がいります。仏教的には、「慢」の心に起因する問題ですが、人々が長く成功し続けるためには、謙虚な思いを持つことが大事になります。そうした目でみると、先人から学べる教訓は数多くあります。

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