ヘルメス文書の今日的解釈

 錬金術は、『ヘルメス文書』と呼ばれる書物に書かれています。また、著者のヘルメス・トリスメギストスは、ギリシャ神話のヘルメスとエジプト神話のトートを同一視した呼び方であることから、「錬金術とは、アトランティス時代の科学技術であったのではないか」と。

 現在、錬金術を紹介している書物は、中世ヨーロッパの書物が元になっているものが多いです。しかし、錬金術はヨーロッパだけではなく、インドや中国にも伝わっています。

 その基となったヘルメス文書とはどのようなものであり、どのように中世ヨーロッパに伝わり、どう変わっていったかを知ることは、今日の科学技術を理解する上でもとても興味深いことです。

 錬金術は、エジプトからアラビア、中世ヨーロッパにどのように伝わり、変遷していったのでしょうか。

 

ヘルメス文書の今日的解釈

 今日、『ヘルメス文書』として伝わっているものは、紀元前3世紀から紀元後3世紀のエジプトのアレクサンドリアにおいて、ギリシャ語で書かれたとされています。

 『ヘルメス文書』の内容は、今日でいう哲学・宗教、占星術、錬金術、魔術など多岐にわたっています。紀元後2世紀のアレクサンドリアには42冊の『ヘルメス文書』があり、司祭たちがそれらを研究していました。『ヘルメス文書』は相当流布していたようです。

 『ヘルメス文書』は、伝授形式や対談の形で書かれているため、その文章が書かれた時代背景などを知っていないと、内容の意味を正しく解釈することは難しいようです。例えば、仏教の経典も、当時のインドにおける生活やヒンズー教、ゾロアスター教の知識に加え、「悪魔との対話」に見られるように、霊的な実体験がなければ単なる比喩としてしか解釈できないようなことが多数書かれています。

 

エジプトの富を築いた錬金術とローマ支配

 エジプトの錬金術の一部は、金属精錬の方法として石碑に刻まれ、祭政一致であるエジプト王国の王と神官だけに秘伝として伝えられ、王家に莫大な富をもたらしたようです。

 紀元1世紀に、エジプトの支配はプトレマイオス朝からローマ帝国へ移ります。ローマ帝国の支配下では、エジプト王朝の滅亡とその後のキリスト教の布教とが相まって、祭政一致であったエジプトの宗教と神官の弱体化が進みます。当時世界一の蔵書を有した知の殿堂アレクサンドリア図書館や、エジプトの神々を祭る神殿が表舞台から消えていきました。

 このとき、キリスト教徒にとって異教徒の書である『ヘルメス文書』をはじめ、錬金術の書もエジプトから2つのルートを通して、ゾロアスター教とイスラム教のアラビア世界にもたらされることになります。

参考

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