天照大神

 日本の頂点に立つといわれる神は 天照大神。しかし、その実像を日本人はほとんど知らない。残されているのは、古事記に記された謎の物語だけである。

 「伊邪那岐という神が左目を洗った時に天照大神が生まれた。天照は高天原を治めていたが、弟の須佐之男が、機を織る小屋の上から皮を剥いだ馬を投げ込むなどの乱暴狼藉を働いたので、洞窟に隠れ、岩戸を閉じた。高天原は闇に包まれた。その後、追放された須佐之男は出雲の地でヤマタノオロチを退治した」

 「岩戸隠れ」「ヤマタノオロチ」といった摩訶不思議な描写に、天照も須佐之男も「あくまで想像上の存在」と考える人が多い。しかし、大川隆法総裁の霊査により、日本の源流にあるその史実が浮かび上がってきた。

参考

 今から3000年近く昔、舞台は大分・宮崎にまたがる地域。ある豪族を治めた伊邪那岐という神を祀る一族がいた。

 ある時、一族の娘の元に、現在の高千穂にある王朝から遣いがやって来た。

「神示により、この娘を高千穂王朝の女王とする」

 異例のことだった。当時、王朝の周辺は戦が絶えなかった。王朝の中でも、武人たちによる激しい権力争いが多かった。その中心に娘が座るということは、戦国時代に国の領主を女性が務めるようなもの。

 しかし、人々は、驚くべき現象を目にした。その美しき女王は、王朝の人々や民を慈しむ心が強く、全く自分を顧みなかった。その御前で、どんな武人も自分が恥ずかしくなり、権力欲や争う心を骨抜きにされる。王朝内の争いは みるみるうちに減っていった。まさに奇跡だった。

 周辺の豪族たちも、女王の威光に戦闘意欲を失い、次々に恭順の意を示した。

 女王の在位は20年足らずだった。しかし、この奇跡の20年は王朝の人々にとって忘れられない記憶として語り継がれる。「太陽のような女王が和をもたらした」と。

 この女王には弟がいた。誰よりも勇敢で天才的な武人だった。強大な軍を率い、九州や中国地方へ遠征を繰り返した。

 戦国時代のような当時、隣の国がいつ攻めてくるかわからない。「滅ぼされる前に、先手を打つ」ことにも正義があった。

 ある時、この弟は、海を渡った出雲の地で大きな戦果を挙げ、威風堂々と高千穂へ凱旋した。しかし、高千穂へ帰ってくる千人規模の軍勢の地響きのような足音に王朝では戦慄が走る。当時「やはり、国は武人が治めるべき」と囁く声もあった。「その気になった弟が、このままクーデターを起こし王朝を乗っ取ることもあり得る・・・」

 女王は、弟を信じたい気持ちを押し殺し、城門を固く閉じて立て籠もった。これが「岩戸隠れ」として言い伝えられる。(『須佐之男命・神産巣日神の霊言』)

 弟の弁解により、その後、城門は開かれた。しかし、共同統治は難しいと判断された弟は、半ば追放されるような形で、今の朝鮮半島の豪族たちの平定に向かう。この遠方の豪族たちを象徴したのが「ヤマタノオロチ伝説」として伝わった。

 人々に和をもたらす力。人々を外敵から守る武の力。この並外れた二つの力を持った姉弟は、離れ離れになりながらも、それぞれの地で国を守った。この別れの物語は、「時に相容れないが、どちらも国の繁栄に必要な力がある」ことを教えている。

 

「神武東征」の新事実

 天照大神に関しては、もうひとつ謎がある。「古事記に、無数の神が出てくるにもかかわらず、なぜ太陽の神・天照大神が日本の主宰神になっているのか」ということである。これは、なぜこの国が「日の本」と呼ばれ、国の象徴が太陽(日の丸)なのかにも関わる。その真相が大川隆法総裁の霊査で明らかになった。

 初めて天照大神を国の中心として祀ろうと宣言したのは、日本建国の父といわれる神武天皇だった。神武天皇は「高千穂から大和に東征し、日本の大部分を史上初めて統一した」とされる。総裁の霊査では、この神武も実在の人物であることが確認されている。

 ともすれば、「神武東征」は「野望盛んな青年の征服物語」のようにも見える。しかし、東征の仕上げに、和の象徴を国の頂点に掲げたことを考えると、神武は、「当時分裂していたこの国を一つにし、天照が高千穂で実現した和を実現する」という理想を持っていたことが分かる。(『「日本超古代史」探究“月読命”とは何者か』)

 

神功皇后が出兵した真の理由

 大分県で最大の神社といえば宇佐神宮。ここには、応神天皇とその母・神功皇后を中心とする神々が祀られる。この二者はどのような人物だったのか。神話にはこんな逸話が残る。

「神功皇后は、神のお告げにより、腹に子を宿したまま新羅出兵を行い、朝鮮半島の広い地域を服属させた。その後、生まれた子供が応神天皇だ」

 この逸話自体を疑う声や、「三韓征伐」を”侵略”の物語として忌み嫌う人も多い。果たして宇佐神宮は侵略者を祀っているのか。大川隆法総裁の霊査で その真実が浮かび上がってきた。

 当時、日本と兄弟国であり、日米同盟のような契りを結んでいた百済から、現在の北朝鮮に位置する高句麗に攻め込まれているため、「助けてほしい」という救援要請があった。

 助けるか、見捨てるか。当時治世を任されていた神功皇后に一寸の躊躇がなかったはずがない。しかし、皇后は真の「和」を取る。神話の記述の通り、腹に子を宿したまま軍勢を率いて百済の救済に向かうことを決めた。そして、数度に渡る激しい戦いを経て、朝鮮の三国を打ち破る。

 戦いの後、生まれた天皇の治世には、朝鮮との交流も盛んになり、アジアに大きな「和」が訪れた。そして、日本は国際社会において確固たる地位を築いた。

 日本神話は天照大神が高千穂で実現した「和」が列島全体、そして東アジアに拡がった歴史と言える。この「和」の力により、日本は今日まで 3000年以上の繁栄を続けてきた。このような文明は地球上にない。

 この奇跡の歴史の証である日本の神話を、私たちはもっと誇り、そして、信じるべきではないでしょうか。

 

神代の時代は「祭政一致」

 天上界からの神示を受けて、次期政権担当者が選ばれ、神示を仰ぎつつ、国政を取り仕切っていた。

 しかも、その立場も終身制ではなく、邪心や欲心が出てきた場合には神示で交代させられた

 大川隆法総裁は、『黄金の法』でこう教えておられます。

「天照大神は、日本神道系では、最高神、あるいは、主宰神のように言われております。というのは、天照大神は、女性でありながらも、初めての女帝の地位、すなわち、高千穂国の女王となったことに起因しているのです。天御中主命から数えて五代目ぐらいの国王にあたります。天照大神が初めて女王となったのは、高天原、すなわち、八次元如来界から天御中主命の神示が下ったからです。「我が国を、美しく、麗しき国となすために、女性に統治させるときがきた。伊邪那岐命という高徳の人がおられるから捜し出せ。その娘が、我が国を取り仕切る方である」と命令されました。このように、神代の時代は、天上界からの神示を受けて、次期政権担当者が選ばれたのです。しかも、国王の地位も終身制ではなく、その人の心に邪心や欲心が出てきた場合には、天上界から神示が下って交代させられました。祭政一致とよく言いますが、当時は、霊能者の数も多く、また、人々から大変な尊敬を受けていたのです。普通は、最高の霊能者が統治者となり、神示を仰ぎつつ、国政を取り仕切っておりました。高級霊からの神示は的確で、だれひとりとして異論をはさめず、そのため、政治に秩序があったと言えます。その時代にくらべると、現代の政治家たちは、知名度によって選出され、数のカで支配しており、やはり無秩序の感を免れえません。真理に対して盲目の人々、権勢欲のみに目がくらんでいる人々による衆愚政治の観があります。一日も早く、徳治政治への切り換えが、また、人徳ある人の出現による政治の向上が望まれます。」

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