お年寄りの心がけ

 お年寄りには、「120歳まで生きようよ」と言ってあげよう。

 そのために何をすればいいのかを考えてみることで、生きがいも生まれ、建設的、積極的な心構えになっていき、幸福な晩年を送ることができる。

 幸福の科学大川隆法総裁は、『幸福へのヒント』で以下のように説かれました。

「お年寄りに対して特に述べておきたいのは、「人生は百二十年である」と思っていただきたいということです。実際に百二十歳まで生きる人は少ないでしょうが、「人生、百二十年」と思って生きると、愚痴や不平不満が消えていきます。そして、その途中の八十歳や九十歳で亡くなったとしても、素晴らしい人生なのです。年を取ると、「人生が残り少ない」という不満を言いがちですが、それを言ったところで、人生はよくなりません。むしろ、人生を百二十年と思って、残りの人生を生きることです。「百二十歳まで生きる」と考えれば、たいていの人は人生がまだ何十年もあります。たとえば六十歳の人であれば、まだ六十年も残っているのです。そう考えると、これから何をなさねばならないかが逆算できます。「これから六十年も生きるのならば、こんなところで愚痴を言ってはいられない。自分がやらねばならないことは、たくさんある。これもやらなければいけないし、あれもやらなければいけない」と、今後の計画が立ってきます。そのなかで生きていくのです。そして、みごとに燃焼しながら生きているうちに、あるとき、あの世から〝お迎え″が来るでしょう。そのときには、周りの人たちに見送られながら、にっこりと笑って、きれいに地上を去っていくのがよいのです。これが、地上を去ったあとの幸福に必ずつながっていきます。四十歳、五十歳までは素晴らしい人生を生きていても、晩年が惨めだと、死後がよくありません。晩年も素晴らしいものにしていかねばならないのです。そのためには、積極的、建設的な未来を心に描くことが大切です。その最もよい方法は、「百二十歳人生説」を信じて、残りの人生を生きることなのです。百二十歳人生説は理論的にも決して嘘ではありません。人間の寿命を延ばすことは可能なのです。人間が地上を去る理由のほとんどは、地上にいる必要がなくなること、地上にいる存在意義がなくなることです。地上での存在意義がある人の寿命は、延ばそうと思えば延ばすことができるのです。ところが、たいていの人は五十歳から六十歳で仕事がなくなってしまいます。仕事がなくては、そのあと六十年も生きられません。したがって、第二、第三の人生を設計しておくことが極めて大事です。できれば、それまでとは違った人生を開いていくのが望ましいと言えます。こういう準備をしていくうちに、建設的、積極的な心構えになってきます。また、やらねばならないことがたくさんあるので、時間が惜しくなってきます。このように前向きに生きていると、他の人に愚痴や不平を言っている暇がなくなるのです。」

生涯現役社会 へ

「仏法真理」へ戻る