理系の技術

 文系の人が離れ小島にポンと置いていかれたら、たちまち原始時代に戻ってしまい何もできない。

 理系の技術と成果が新文明の源流の基礎であり、それによって文明の進化度は測られる。

 その意味では、理系も“神の領域”に挑戦している気持ちは持っていただきたい。

 幸福の科学大川隆法総裁は、『「未来産業学」とは何か 未来文明の源流を創造する』で次のように説かれました。

「とにかく、「新文明の源流」となるその基礎は、文系の人には残念なことですが、やはり、理系の技術、あるいは、その成果にあると言うべきでしょう。それによって、「文明の進化度」は測られるのです。私も文系出身ですが、いくら勉強ができ、「秀才だ」と言われても、理系の部分の発達していない文系の人が、離れ小島にポンと置いていかれたら、たちまち“原始時代”に戻ってしまい、何もできないというのが実状でしょう。正直に言って、無人島に送り込まれたら、東大の文系を出ていたとしても、電気もつくれなければ、ランプもつくれず、何もできないというところではないでしょうか。そういう物ができて、それを人が使い始め、何らかの産業が起こり、生活が成り立ってくれば、文系の仕事も発生するのですが、その最初のインフラをつくったり、発明・発見をしたりする部分については、文系ではほぼ不可能に近いところがあります。その意味では、「理系であっても、やはり、“神の領域”に挑戦しているのだ」という気持ちは持っていただきたいと思います。」

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